福岡正信の自然農法と茅茫庵(1)

                                                   

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はじめに



 福岡正信氏の自然農法、宗教、哲学観について、私の考え方を述べるのは、僭越なこととは思っているが、この12年間絶えず頭の中に置きながらすごして来たことでもあるので、自分の理解をまとめてみるのも、私個人の立場からすれば無駄なことではない。興味のある方は一読を。

 福岡氏は、私の生まれ育った地と松山市の中間、伊予市の大平に住んでおられるが、氏の存在を知ったのは、私が東京で建設組合の仕事をしていたときで、もう16,7年程も前のことである。直接、いっしょに仕事をしたことはないが仕事上の先輩であるO氏が、福岡氏の「わら一本の革命」を示しながら、「この本を読んで富士山麓で畑をはじめた」といったのである。そのとき、私は「このような本を書く人が、私の故郷にいたんだなぁ」と思ったものである。しかし、このときはそれ以上の感慨を持つことはなかった。
 それから後、私は仕事上の同僚であるK氏と、ビールを飲みながら色々なことについて夜遅くまで話したものだが、その時農業についても語り、その中でK氏は「わら一本の革命」を私に示したのである。その後、K氏と、私は時を同じくして、組合を辞し、K氏は長野へ行き、私は故郷の愛媛県に帰り、松山市に居を構えたのである。
 私は、「愛媛に帰って何をするのか」と問う同僚や組合員、役員に「百姓をする」と答えたのだが、うなずくものは誰もいなかった。確かに農業で食っていくことは並大抵のことではない。なにしろ、兄は農業をやっているが、私には土地がない。兄はあいている土地を使えと言ってくれたが、正直十分な土地が確保できるわけではないし、私自身作物を作る技術を持っているわけでもない。高校の友達であったY氏は、私が有機栽培の作物を売って生計を立てたいという話に、「話にずれを観ずる」と言った。Yの言うことはもっともなことであって、私は彼の言うことが分かっているのだが、それでも突破口はないものかと話したものである。
 私は、平成元年2月に松山市に居を構えたが、4月1日から建設会社に就職して、5月31日に退職した。給料があまりにも安いのと、仕事が自分に合わなかったのである。6月1日からまた、仕事探しをはじめたが、暇なので畑にキュウリの種をまき、福岡氏の「わら一本の革命」と「自然に還る」を読み始めた。キュウリの種は、草を掻き分けただけの土に、3粒ずつ、肥料もやらずに蒔いただけのものだった。ところが、キュウリは猛烈な勢いで生長し、大きな葉を広げ始めた。私は急いで支柱を立ててやったが、それ以上の手を加えることはなかった。このとき、私は、「無耕起、無肥料、無除草、無農薬」でも作物はできると思いこんだのである。
 私は、福岡氏に会いたいと思い、氏の自然農園をぜひとも見たいと思った。氏の家を訪ね、会うことができた。夏の暑い日だった。何のコンタクトも無しに訪ねた。私の訪問はぶしつけである。氏は私の訪問に不快感は表さなかったが、「話すことは何もない」というようなことを言い、「自分の書いた本を読んでくれ」というだけで、奥に入っていった。自然農園を見せてもらう話も切り出せなかった。私には、ほとんど知識がないので食い下がってあれこれ質問することさえできなかったが、禅者のような氏にあっては、一度訪問したくらいで相手にしてもらえないのは当然であったかもしれない。
  私は、「自然農園」をぜひとも見てみたいと思った。どこか近くの山にあるに違いない、と思って、そちこちの山に登り探したが、なかなか見つけることができなかった。本の中にある写真を見て、似ている景色はないかと、探し回ったが、どこを見てもないのであった。私は本の中の写真をじっと見つめつづけた。その時、はっと閃いた。写真は右と左が反転しているのではないか、と思ったのである。写真の景色を反転させて、もう一度その景色を探した。すると、あるではないか。私は一ヶ月ほど探して場所を見つけたのである。8月終わりの暑い日だった。
 道端から自然農園の様子を見た。高い木の上に沢山のキウイフルーツがなっていたり、枯草の中から大根が自然に生えていたり、なるほどという印象を持ったが、自生したキュウリは小さく、実をつけるにはあまりにも貧弱で、がっかりという印象もあった。色々な作物や果樹が混植され、草が生い茂っていた。
 福岡氏の許可なく、農園を探したことは、マナー違反かもしれない。いや、そうである。弁解するつもりはない。私はどうしても、実物を見てみたかったのだ。
 福岡氏の自然農法は、私を真に困惑させる。これは正直な私の思いである。何を困惑するのか。我々の現実と氏の世界のあまりにも大きな隔たりと、その隔たりの中にありながら氏の世界の何ともいえぬ魅力にである。私は氏の本を読んでいても、氏の自然農園を見ても、氏の農法を真似してやってみようとしても、私は困惑してしまうが、決してネガティブに評価しようと言う気にはならないのである。その魅力はなんなのか。12年間、ひきつけられて益々深みに入ってゆく次第を書いてみたいと思う。
(2000年7月19日)




「自然農法」とはなんだろう?



 今、「エキサイト・ジャパン」で、「自然農法」について検索すると541,790件のサイトが出てくる。「自然農法」にかくも多くの人々が関心を持っているということである。中でも福岡正信氏の「自然農法」に関心を示す人はまことに多い。
 「自然農法」という言葉を聞くと、私は何か奇異な感じを受ける。私のイメージの中では「自然」とは手付かずの「自然」であり、「農法」とは人為的なものである。最初はなにか自然の力に任せて栽培する方法だろう、というように思っていた。
 福岡正信氏の本に載っている写真を見ると、大根や蕪、杓子菜、ごぼうなどが、そちこちに無造作に生えている。色々な果樹がうえられている。しかし、人が手を入れていないわけではない。稲の作り方にしても、クローバーを生やしたりして、実は人の手が随所に入っているのである。しかし、今日の多くの農法が行っている農薬の使用や、化学肥料の使用は見られない。そういう意味では、より自然に近い農法と言うことができるだろう。
 人は、「自然」というと、何を思い浮かべるのであろうか。まるまると太って結球し、みずみずしさを誇っているキャベツや白菜をみて、人は「これぞ本物の野菜」と思うのだろうか。「これこそ自然の恵み」と思うのだろうか。キャベツや白菜の種が自然に発芽し、成長したとしても、みずみずしく、丸く大きく結球することはまずない。私は3年前、草を刈り取っただけの土の上に、キャベツと白菜の種を無造作に蒔いておいた。9月の終わりのことである。ほとんどお遊びという感じで蒔いておいたのだがどちらも発芽して成長をはじめた。白菜はそのままにしておいたが結球せず、翌春黄色い花を咲かせた。キャベツは11月のはじめに掘り起こして畑に仮植えし、たっぷりの堆肥をすきこんだ畑に定植した。4,5月に猛烈に成長し、農薬を使うことなく、まったくと言っていいほど虫がつかずに見事に結球した。
 白菜もキャベツもアブラナ科の植物である。アブラナ科の植物は大根が白い花をつける他はほとんど黄色い花をつけ、菜の花のようになる。菜の花はアブラナ科の本来の姿であろうと思う。人々は野菜としてのキャベツや白菜を見るとき、みずみずしくて丸々と太ったキャベツや白菜と、細長くて味のない菜の花の葉っぱをみてどちらを自然なものと思うのだろうか。人はどちらを望むのだろうか。
 全く同じ白菜の種、キャベツの種を蒔いても、その土地のあり方、育て方によって白菜もキャベツもまるで違う種であるかのように違った成長をするのである。結球していない白菜は緑が濃くて、葉は硬く苦味が強い。それに対して、まるまると結球した白菜はやわらかくて、白く甘味が強い。大方の人の好みはまるまると結球した白菜の方にあるであろう。しかし、人の立場でなく白菜の立場にたってみると、果たして結球することがよいことであろうか。白菜に聞いてみないことにはなんとも言えないが、私の感じでは白菜は結球を望んでいないと思う。何故か。結球したキャベツや白菜は春先にとう立ちするとき、葉が腐り、葉がとう立ちの邪魔になって結球が裂けたりしながらやっとの思いでとう立ちを実現しているからである。おうおうにして、人の望むところと野菜本来の望むところとは異なっているのではないだろうか。
 人が作る野菜は、ほとんどが野にあった植物を交配などを繰り返して、人間の好みに合うもの、作りやすいもの、丈夫なものなどと人間の価値観に合わせてより選って作り出したものである。これに対して野菜と同じように人の食材となりながら、野や山でできたものを調理に工夫をしさえすれば摘み取るだけで十分食べられるものは山菜と呼ばれる。山菜は栽培に人手のかからない食材なのである。野菜は、いわば人間が作り出した奇形植物である。だから交配の結果が相当に安定していないとその種子から育った作物は親とは著しく違ったものになることがよくある。野菜の話ではないが、私はテッセンの花が好きで一房の種房についた20個ほどの種を蒔き、15本ほどが成長し3年後に咲いた花は全部違っていた。店では見ることのない花ばかりなので、大切に育てている。
 このように、交配を繰り返した作物は、その子孫に種としての安定性がない。したがって、栽培においても山菜のように簡単には作れない。いま、私は「野菜は人間が作り出した奇形植物だ」と言った。異論もあろうが、とにかくここではそういうことにしておく。野菜を人間が人間の価値観に合わせて作った奇形植物であるとすれば、その栽培の仕方も植物本来の生育にとってよいことと、人間の価値観にあった栽培の仕方には自ずと違いが出てくる。牛に運動させないでたっぷりえさを食べさせて、脂肪の塊のような牛肉を作るのと同じく、野菜栽培もそのような仕方をしていることになるであろう。人間もやたら栄養を取って、運動をしないとやがて病気になってくるが、野菜もまた、人間の価値観によって植物本来の育ち方と違う育ち方を強制されれば、やっぱり病気になるだろうと思う。
 野菜の種を野に蒔き、ほったらかしておいたときに成長する形と、人間が手をかけて栽培したときでは見た目にもかなりな違いが出てくるが、人は見栄えや味のよいものをイメージして、そのイメージを追いながら栽培するのである。科学の力を信ずるものは化学肥料を使って成長を早め、病害虫にやられないように農薬を散布したり実の着きやすくなるホルモン剤を使ったり、色づきをよくする農薬を使用したりする。今日では病害虫に強い遺伝子を他の種から持ってきて移植する遺伝子組み替え作物なども栽培されるようになってきた。野菜に限らず、穀物も肉用動物もみな、見栄えがよく、味がよく、丈夫に育つことを期待して栽培するのである。そうすることがより高い商品となる道だからである。もっとあけすけに言えば、人間の欲望を実現するのに早道だからである。
 人が植物の交配を繰り返して、欲望を実現しようとする程度なら、たいした弊害は起きなかったが、土の中に様様な化学肥料を撒き、繰り返し農薬を散布すれば土壌が変化を起こし、植物の本来の生育環境を損なっていくのは当然である。ここには科学農法と言われるものの問題点がある。
 しかし、有機農法といわれるものもまた、作り出そうとする野菜のイメージは、健康とか、無農薬とか環境にやさしいといった修飾語がつくが、やはり商品としてのイメージアップが目的であるといってよいと思う。有機物を大量に畑の中に鋤き込んで、土に変化を起こさせているのであるから、よいこと尽くめでもなかろう。有機農法であれ、やっぱり奇形の植物を追い求めていることに違いがあるだろうか。
 しかし、福岡正信氏の自然農法は、人間の欲望から解放されているとまでは言えないが、商品価値を高めるといったことを目的としてはいないように思われる。
 商品価値を追い求める栽培法は、また、植物本来の季節をも狂わせる。畑で普通に栽培すれば、5月ころに熟するイチゴをクリスマスに最盛期とさせるように栽培したり、トマトを3,4月ころに収穫するハウス栽培はその典型である。植物は人に教えられるまでもなく、自分のカレンダーをもっており、発芽したり花を咲かせたり、実を熟させたりするときを見計らう時計を持っているが、人はそれをわざと狂わせるのである。近頃ではイチゴの旬は12月、トマトの旬は3,4月と8,9月などと言われていたりするが、12月のイチゴがいかに見栄えよく、甘くても、本来の旬ではないし、3,4月のトマトがいくら甘くても本来の旬ではない。カレンダーを狂わせると病気や害虫に弱くなるのは当然であり、農薬の出番を作ることは成り行きと言うものである。キャベツなどは周年栽培ということで年中栽培されているが、季節はずれのキャベツは農薬無しには栽培は極めて難しい。
 人間の欲望は、季節はずれの野菜を求め、見栄えがよいものを求め、口に合いやすいものを求めて、そして何より換金作物として効果の高いものを栽培しようとするが、それらは科学の力に一層依存しようとする。そして、野菜など作物の本来の姿を見失い、栽培法は混沌としてくる。
 福岡正信氏の自然農法は、そのように科学に依存する農法を真っ向から否定する。科学的手法で土や作物をいじりまわすことを断固として拒否する。人間の科学をはじめとしたさかしらの知恵によって作物を栽培する必要はなく、命ある作物、一本の稲、一輪の花、一本の大根のうちには完全な機能が備わっており、それは「神そのもの」といってよいものであり、人間が手を加えるまでもなくその成長を実現すると言う立場に立っている。日本には広く、大樹や高い山、大きな岩などに神が宿るといった信仰があったが、福岡氏の自然農法では一粒のモミのうちにも、一輪の花のうちにも神が宿っているのである。(2000年7月27日)

 
 

自然な作物とはどういうものか



 野菜でなく、「山菜」と言われるものには、わらび、ぜんまい、つくし、こごみなどのシダ植物、みつば、せり、ウド、ふき、つわぶき、よもぎ、ミョウガ、筍などがあり、これらは春に集中している。春先の新芽や柔らかい茎、葉を食べるのである。これらの植物は野や山に自生し、肥料や農薬を使用しなくても十分に育ち、食せるものになる。このような山菜は人手をかけて改良するということは殆どなかった。改良する必要がなかったのであろう。近年でこそ商品として店頭に並ぶこともあるが、もともと野や山で簡単に採集できるものには商品としての魅力はない。人の欲望をそそらないのである。
 山菜は、土地を選ばないのであるが、それでも堆肥を鋤き込んだ土で栽培するとその効果はやはり目立ってくる。
 ところが、山菜でなく、野菜は肥料や堆肥を施していない土で作ろうとしても思うようなものはできない。野菜は様様な養分を持った土でないと、人が期待するようなものには成長しないのである。野菜は人間が改良を重ねて作り上げられたものだが、それは改良無しには人の欲望に応えることができないようなものであったということであろう。そして、野菜は品種の改良だけでなく、土の改良や病虫害との戦いを必要としたと思われる。それは、米や豆などの穀物についてもそうであろう。
 このように、品種も土も成長過程での手入れも限りない改良を加えられた作物は、もともとの自然状態ではどのようなものであったのか、全く分からないような存在になっている。
 わたしは、いまトマトの栽培に非常に興味があって色々な作り方を試みているが、一般に行われているわき芽を摘んで一本立ちにするという栽培法がいかにトマト本来の姿と違っているか、ということを痛切に感じている。トマト栽培はきちんと作る人ほどしっかり芽を摘み、支柱にしっかり固定しているが、これはトマト本来の樹形とは全く違うものである。トマトを一度全くの放任状態で育ててみるとよく分かるが、トマトはわき芽をしっかり成長させ、枝となり、枝から根を生やし、地を這うようにして広がり、花をつけ、実をつけてゆき、熟したトマトの実は腐りながら種を落としていくのである。そして、この種は10月ころに芽を出したり、翌春になって芽を出したりして、また同じことを繰り返すのである。この全くの放任栽培でも、トマトにとっては全く問題はないのであるが、この放任栽培そのものでは、人の欲望には応えられない。何故かと言うと、人が食べたくなるような果実に仕上がらないのである。枯れた葉っぱが黒くくっついたり、実が割れたり、腐ったりして、人が食べたいと思うような果実の確保は出来ないのである。
 トマトの苗は、近頃では4月の半ばころから売りに出される。以前は5月の連休ころが苗の最盛期だったように思うが、だんだん早くなっているようである。トマトは、土が十分な養分を持っていると、3月に定植しても5月末ころ定植しても、花が実をつけ始めるのは天気に恵まれた梅雨なら、6月から、雨が多ければ梅雨明けになってから本格的に実をつけ始め、8月、9月に沢山の収穫ができるようになる。8月、9月はトマトの糖度が最も高くなり、ビタミンCの量が最も高くなる時期である。土が十分な養分を持っていないと、早く実を着け、数は少ないが玉太りが早く、7月の半ばころには収穫ができる。土の中の養分が少なければ、花は沢山咲いても実が少ししかつかず、少数の果実をどんどん太らせていくのである。不思議なことだが、トマトは根でどの程度の養分があるか測定してその状況に応じて育む果実の数や、熟す時期を決めているようにさえ、見えるのである。
 本屋さんへ行くと色々な野菜つくりの本が出版されているが、トマト栽培のところを開いてみると、例外なくといってよいほど、トマトはわき芽を摘んで一本立ちにして、支柱に固定すると書いている。私が11年前にトマトを初めて作ったとき、私の母は、同じことを私に教えた。しかし、私は、摘み取ってしまうわき芽を育てたらどうなるのか、という疑問と伸ばしてみてみたいという気持ちを抑えることが出来ず、4年目ころ、数本の苗のうち、一本だけ2本立ちにして育ててみた。すると結果として2本立ちの方が沢山の収穫を得たのである。わき芽をすべて伸ばして、わき芽を育てる栽培法を追求している私のトマト栽培法はここから出発しているのである。
 トマトに限らず、野菜の栽培法は色々な形で指導がなされ、常識とされて疑問をもつことすら許されないようなものがいろいろある。みかんの栽培などでも指導員が回ってきて、肥料をやれだの、なになにの消毒をしろ、摘果をせよだのと細かい指導がされ、従わないと果実のランクが下げられたりすると聞いたことがある。トマトも面識のない指導員がやってきて、わき芽を摘め、と言ってくるという話をきく。
 私は、趣味で野菜の栽培をしているのだから、誰はばかることなく、自分の思いつくままに栽培法を変えてみることが出来る。全然収穫がなくても困りはしない。失敗こそが成功への道なのである。
 自然農法の理解のためには、世の中に流布している作物の栽培法を一度全くの無に帰して、作物の本来の姿が何であるのか、それを見極めることが必要であろう。
(2000年7月27日)




 作物の本来の姿とは



 野菜ではないが、私はコケにも大きな興味を持っている。高校1年の時、理科は生物であった。このときの生物の先生が私は大嫌いであった。生物も暗記しかないような科目で大嫌いな科目であった。この生物の授業で今でも決して忘れないことがある。先生が「誰か、家にこけ庭のあるものはいるか」と訊いたのである。誰も返事をしなかったので私はふざけて「はい」と答えた。先生は「そうか、一度見せてもらいたいものだ」といった。このはなしは、それっきりで、先生は見にこなかった。こられても困る。しかし、この時のことが、今でも頭の中に残っていて、私は庭にスギゴケを植え、山でスギゴケの栽培を試みている。
 コケというのは、育ててみると私自身が持っていたイメージとは全く違うものであることが分かってきた。以前の私のイメージでは、コケは日陰で育つもの、乾燥を嫌うもの、冬は育たないもの、といったものであった。しかし、実際に育ててみると、コケは日向を好むし、乾燥しても枯れ死することはなく、雨や水に濡れるとすぐに青々としてくるのである。乾燥には相当強い植物なのである。5月6月ころでなくとも、1月の寒いころでも、松山市なら新芽をぐんぐん伸ばすのである。
 人は、様様な植物にそれぞれのイメージを持っている。人によってそれは違うであろう。正反対のイメージもあろう。その様々なイメージにあって、どれが本当の姿であるのだろうか。福岡氏は、みかんの木の自然の樹形はどんなものか、それを突き止めるのに大変苦労されたことを書かれている。自然な形を突き止めることが簡単なようで非常に難しいと言われている。
 作物は、先に書いたように、人間が改良を加えて作り出してきたものである。品種の改良を加え、栽培法を改良し、味がよくて、病害虫に強く、季節を選ばす、作りやすい、といったことに向かってゆくのである。この人間による改良と言うものは、それが科学的な手法を取っていても、むしろそうであればあるほど、人間の欲望を反映したものになる。科学は、人間の欲望と無縁であるどころか、欲望を凝固させる。科学の発達を促すものは人間の欲望であるからである。人は植物を見るとき、この欲望から離れて見ることが出来ない。人間は植物を見るときも、人間の欲望を投影しながら見ている。たとえば、夏の暑い日、木の葉がしなだれているとする。人は木が水をほしがっていると思って水をやる。私もそうしてしまう。しかし、木は本当に水をもらうことを望んでいるのであろうか。水をやらなければ、木は根を深く伸ばし、雨の少ない季節にもしっかり生きていけるように成長するかもしれない。逆に水をやることによって根の成長があいまいなままになり、日照りの年に枯れてしまうかもしれない。道路のわきに平戸つつじが植えられていて、夏の暑い盛りに葉が茶色になっても水をやらないところが私の通勤路上にある。茶色になると本当にかわいそうであるが、季節が変わるといつの間にか青々としてきて、春にはいっぱい花を咲かせている。先ほどのコケについて言うと、乾燥した土のところから、まさか芽を出してくるとは思えないところから新芽をだしてきたりする。
 人間は、生物がみな子孫の繁栄を願って繁殖していると考えている。そのために多くの種子を作る、と。しかし、これも本当かどうかは分からない。植物は、種をつないでいくには一本の木が2本の子供を作る必要はないのである。一本の木がその一生のうちに一本の木を成木にしさえすれば種は残るのである。むしろ一本の木が2本の木を成長させるとすれば、他の植物は生きていけなくなるし、その木自身が生きていけなくなるのである。木はその一生のうちに何万もの種子を落としたりするが、その種子が芽をだして成長するのは、一本で十分なのである。ところが、人間はこの一本の木が何本もの木を生み出すと思い勝ちなのである。
 また、植物は昆虫に食害されるのを嫌がっていると思いがちである。しかし、昆虫は木の葉を食べるだけでなく、時には木の花の受粉に一役買っている。木にとってわるいことばかりではない。葉の一部を昆虫に食わせることは折込済みのことかもしれない。
 植物と言うのは、人間が思っているようなものではないのである。植物の本当の姿を見るためには、人間は自分の中にある植物像を一度すべて取り去って、植物そのものをじっと見つめる必要があるだろう。人が他人の言葉や書物やテレビその他の媒体によって振りまかれた植物のイメージや栽培法を捨てて、ただひたすら植物を眺めていると、自分をじっと見つめていると自分が何であるのか分からなくなってくるのと同様に、植物というものが何であるのか分からなくなってくるであろうが、それぞれの植物がそれぞれに完璧であることが納得できるのではなかろうか。釈迦が会衆の一人から手渡された一輪の花を手にとり、無言のまま会衆の前に突き出したが、会衆は何のことか分からない。ひとり摩訶迦葉のみが微笑んだというはなしがあって、福岡氏はこの話を何度か書いている。言葉によっては伝わらない真理があるのであろう。
 作物の本来の姿は、人が言葉で描いたり、絵に描いたり、茎や葉の成分を分析したりしても、決して捉えることは出来ないのである。人間は人間の目で植物を捕らえようとするが、人間の目で植物の何たるかをとらえうるという保証はどこにもない。人間には人間自身が何であるのかを捕らえることすらできない。まして、植物の何たるかなど捕らえられるはずがない。だから、人間の欲望のままに開発された化学肥料や農薬、農業機械、施設をふんだんに使って行う栽培方法を無視して、何ものにもとらわれることのない自由な精神で、一切のタブーを無視して作物に迫れば、それでよいと思う。(2000年8月1日)



草木を観察してみると



 私は、畑に出かけると、作業時間半分、観察半分である。畑に出て楽しいのは作業より観察である。作物の中に座り込んでふと放心状態になることもある。何もかも忘れている。あっという間に時間が過ぎている。最高に気持ちがいい。
 観察は畑だけではない。野も山も道端も、他人の畑も、庭も、どこでも植物の観察をするのである。なにを見ているのか、それはそのときによって違う。見る対象も視点も時によって違う。だが、見ることによって色々な発見がある。時に草がずいぶんとよく繁っているところを見つける。そこで、なぜそこの草はよく繁るのかを見極めようとする。逆に草がまばらでいじけたような育ち方をしているのを見つける。なぜなのか見極めようとする。木に虫がついているのを見ると、木の種類、虫の種類を確認する。何度も見ていると木によって食いつく虫の種類がほぼ一定しているのがわかったりする。同じ庭の木でありながら木の種類によって虫の種類が違うことに気が付く。野菜も種類によって違う虫がつく。虫の出る季節の違いが見えてくる。同じ畑の、同じ作物でも、虫のつくものとつかないものがある。その違いが何なのか見極める。植物の生長する季節の違いが見えてくる。
 観察を続けていると、色々なことが分かってくるのである。私は昨年の9月に大玉のキャベツの種をまき10月末に仮植えをし、12月始めに定植して、5月ころの収穫を目指した。このキャベツは完全に失敗した。5月末になっても葉はびっくりするほど大きくなりながら結球せず、虫がついたからである。このキャベツは晩生であった。7月くらいにならないと結球しないのである。これについた虫はアブラムシだった。隣に始めての経験であるメロンが勢いよく育ち始めていた。隣にメロンがあるが私はキャベツを切り倒し、その畑に放置した。普通は遠くに捨てたり、土に埋めたりして、アブラムシが他の作物に移らないようにするのである。しかし、私はあえて1週間放置した。結果は、アブラムシは全くメロンには移らなかったのである。私には、移らないという確信があったのである。そのあと、キャベツをその場に埋めて、その場所にナスを定植した。ナスは実によく育った。ナスにアブラムシは全くつかなかった。野菜の本などをみると虫がついたものは「焼き捨てよ」というようなものもあるが、それほど神経質になることはないのである。私はなぜ移らないという確信があったのかと問われても言葉で説明は出来ないが、観察しているうちにそのような確信が生まれてくるのである。
 ここ数年、私は草木ばかりの堆肥を作っている。草は、私が子供のころ育った家を壊したあとの屋敷跡で、200坪くらいの平地に生えている。この草を8月の暑い盛りにだらだらと汗を流しながら刈りとり、シートの上に積み上げて半年ほど、日に当て、雨に当てて作る。屋敷跡の草は私が刈り取り、別の場所に持っていってシートの上に積み上げるのだから、草を刈り取られた屋敷跡は、だんだん養分を取られて草の生長は年々悪くなっていくと考えるのだが、ここの草はますます繁ってくるのである。別に、肥料を撒くわけではない。なのになぜ草はますます生長するのだろうか。草の根を引き抜くのではなく、草を刈るのであり、根が残されるからであると私は見ている。私は庭の草を、丁寧に全部引き抜くようにしているが、このようにすると、庭の草は年々小さくなっていく。草の根が引き抜かれるのではなく、土の中に残されると、根は多年草で無い場合には、枯れて分解し、土を耕していくのである。
 3年ほど前のことだが、この屋敷跡の隅の方で、草が他の場所に比べて極端に大きく成長しているところがあった。よく見てみると、そこには家を解体したときに出た廃材が置かれており、その廃材が腐ってぼろぼろになり、そこの土の養分となっていたのである。
 このように、草や木の観察をするうちに、植物が自然の中でどのようにして育っていっているのかがだんだんと見えてきたのである。それを応用して、私は畑の中で思いっきり草を生やすようにしたり、枯れた木材を畑の中に置いたり、土の中に埋めることを覚えた。白菜を植えたところや、大根の畝の間に腐りかけた木材を転がしたりしているのは、人が見ると奇異ではあろうが、これは良いことなのである。




 比較観察をすると違いがわかる



 野菜つくりにおいて、病虫害の観察は極めて重要な観察である。病虫害を経験しないような栽培家はおそらくこの世に一人もいないであろう。誰もが経験するのである。だから、私も一生懸命観察し、考えるのである。しかし、考えなくて済ませる方法がある。そんなうまい方法が蔓延しているのである。農薬を使うという簡単な方法である。農薬を作る人は考えて作るのであろうが、使う人はあまり考えなくて済む。だから、つい手が出て、農薬を使うことになる。私も野菜を作り始めて3年目くらいからよく使うようになった。殆ど使わなくなったのはここ3年くらいである。
 野菜つくりを始めて、行き詰まると簡単に手を出すものに、もうひとつ、肥料がある。農家では割合簡単に化学肥料を使う。私の実家はみかん農家だったが
、そのせいか母などは化成肥料を気軽に使う。大量生産では少量で効き目のある化学肥料が撒きやすくて重宝なのである。
 私は、苦土石灰やいわゆる有機配合肥料の中に含まれている硫酸カリなどの化学肥料以外には出来るだけ化学肥料を使わないようにしてきた。しかし、虫にはやっぱり苦労してきた。
 先に、3年程前キャベツの種を草を刈った後に無造作に蒔いておいて、仮植えの後定植して無農薬で見事に結球したことを書いたが、このときの種まきには肥料などは全く撒かなかったのである。また、一昨年と昨年は大根を蒔いた後、農薬をぜんぜん使わなかったのだが、この大根の種まき時には、土を掘り起こさず、刈草を畑に置いていただけだった。このような経験から、私は野菜に与える肥料と虫害の間には関係があるのではないか、と考えるようになった。
そこで、実験によってそれを確認することにしたのである。実験では、山から何も栽培したことの無い土を採取してきて、ふるいにかけ、二つにわけて、一方には市販の化成肥料を混ぜ、もう一方には私が草だけを使って作った堆肥を混ぜて育苗パットにいれ、このパットに白菜の種を蒔き、虫害がどのように進行するかを観察したのである。。
 この実験によると、化成肥料を使った方が極端に虫害が大きいのである。誤解の無いように断っておくが、この実験では、実験であるがゆえに虫の行動について何か私が作為を行うというようなことは一切やっていない。虫がどこからやってきたのか、私は知らない。私がやったことは、土の用意と化学肥料、堆肥の混入と白菜の種まき、それだけである。結果についての確信は始める前からあったのではあるが、だからといって結果を求めるための作為を何かするというようなことはしていない。それでは実験にならないのである。まだ、一回しか実験していないから、この結果が常に同じ結果になるかどうかはわからない。しかし、実験回数を増やしてもおそらく結論は変わらないようには思っている。それは、第一に私の10年余の野菜栽培の経験から感じたことと一致しているということであり、第二には化学肥料と堆肥の二つのサンプルにはそれぞれ3列あるが、化学肥料の方の3列の虫害はいずれも堆肥の3列より大きいということであり、第三には葉を食べる動きが化学肥料の方にいる虫の方が活発であることが確認できるからである。
 しかし、この一回の実験をもって結論とすることに異論をもたれる方がいるとすれば、それは全く当然の見識であるから、それぞれ実験を試みていただきたい。この実験が回数を重ね、化学肥料が虫害を引き起こすと言うことが実証されれば、これは大変素晴らしいし、逆の結果が出ればこれまた、素晴らしいことである。
 すこし、話が先走るような感があるが、化学肥料が虫害を促進するということが事実であるとすれば、虫害を予防するための農薬は化学肥料と切っても切れない相関関係を持っているということができるのである。マッチとポンプのような関係である。明治以前の人間はほとんど化学肥料も化学的な農薬も持たずに草刈を最も重要な農作業として作物を作っていたのだから、この近代的な農法はマッチとポンプの関係であったとしてもさほど不思議ではないのである。



福岡正信氏の「無」の世界と私の読書について



 すこし話題を変える。このホームページの「茅茫庵の主について」を御覧になった方はご承知のことと思うが、私の最近の読書傾向が、禅や老荘思想に関するものが極めて多いと思われることであろう。私は、ずっと以前から、「沢庵和尚」につよい興味を抱いていた。興味を抱いていたと言っても、本を読んでいたとか、知識があったわけではない。少ない知識の中で「なにも持たず、わが身ひとつで生きていた」ようにみえる沢庵が私の生きるべき道の目指すべきものとなるのではないかと思っていたのである。また、一方で「茶」にも関心があった。そこで、岡倉覚三の「茶の本」を読んで驚いた。「茶の本」なかに書かれた思想と福岡氏の思想の余りにも共通することに驚いたのである。そして、茶の世界は「禅の世界」であることも知った。茶を理解するためには禅を理解しなければならぬ。一幅の掛け軸に書かれた禅語を理解するためにも、ぜひとも禅を理解しなければならない。こうして、私は、禅の入門書を何冊か読んで、基礎的な知識を得て、臨済録や法華経を読んだ。一方禅の理解のためには「老子」「荘子」の理解がなければならない、ということもわかった。こうして、老荘関係の書物や禅に関する本を勤めて読んできたのである。
 私は、福岡氏の「無」の世界が、今日ではかなり特異な思想とも見られがちでありながら、実は中国や江戸時代以前の日本においてはごく普通の思想であったことに気がついたのである。京都には東福寺や大徳寺、妙心寺などの五山があり、鎌倉には円覚寺を始めとする五山があって、禅宗の寺は全国に広がっている。こうした寺と権力が禅的な思想を広めていたのである。禅僧に帰依した天皇も沢山いたし、徳川家光は沢庵に帰依していた。金地院崇伝は徳川三代に仕えていた。権力者たちの間ではかなり、普及していた禅が、一般庶民の中でどのように普及していたのかは、よく分からない。私の家系は臨済宗東福寺派の禅宗であり、近隣の家々もみな同じ寺の檀家であるのだが、そうした状況から見ると、数十年前までは庶民、農民の中にも禅宗の影響はかなり大きかったであろう。私自身が禅に惹かれていった背景にはそうした遠因があったのかも知れぬ。
 それはそれとして、福岡氏の「無」をあらためて読んでみると、禅の世界で出てくるエピソード的な話題が随所に出てくる。だから、本当に福岡氏の著作を理解したいと思う方があれば、ぜひ禅や老荘関係の本をお読みになるのが良いと思う。福岡氏は自らを「覚者」といっておられる。「仏教的な悟り」を開いた者と自ら言っておられるわけである。そして、「真の実体は、人間が現象界を超越してみて初めて直感的に把握しうるもので、真の認識は大悟による直感的知覚以外にない、すなわち仏法的認識が真の認識であると確信する」とか、「東洋仏教の禅の道こそ、真人となる近道であり、人間の行く道、学ぶ道は他にはないと断言せざるをえない」などとのべて、禅的な悟りを真理認識の道と断言されているのである。
 一方、科学について、
 「人間は灯火の下に事物を認め、手探りでそれを確かめ、一つの原理、科学的真理を発掘したと驚喜するのである。人々は人間の知によってとらえられた科学的真理をもととして、さらに新しい原理、真理が次々と発見、発掘されていくものと期待する。事実、新しい発見、発明が続出してそのたびに新たな事業が開発され、人間社会の発展は加速度的に推進、飛躍せしめられた。だが、科学的真理は、真の真理ではなかった。常に変転、浮動する、昨日の真理は今日の真理ではなく、今日の真理は明日は忘れ去られる運命にある。」
と述べているように科学的真理を「真の真理ではない」と断じているのである。
 こうした立場から、科学的農法の排除と仏法的認識による農法の実践が福岡氏の自然農法となるのである。今日の一般的な知的状況からすれば「自然」
という概念は宗教よりも科学との親近性があるようにも思われるが、福岡氏の「自然」の概念は科学的な概念としての「自然」では無く、東洋的宗教的な「自然」であり、日本語本来の「自然」である。決して"NATURE"の訳語としての「自然」ではないのである。
 このように福岡氏は科学の無用を宣言し、禅的悟りの立場から百姓に専念し、「何もない、科学技術の無用であることを、百姓の具体的仕事の上で実証してみる。それが、私の把握した真理の実証になる。・・・・・・私はただ一途百姓となり、米麦作りに、果樹作りに専念した。私の哲学の正しさを実証するために、いつしか二十年、三十年経った。無耕起、無中耕、無除草、無肥料、無防除を目標とする無手段の手段による自然農法の確立であった。科学技術を白紙に返した立場から、再出発した農法。・・・・・私は今ようやく、このような自然農法が、近代の科学農法に比べて、なんら遜色のないものであるばかりか、より以上の成果をあげられることも実証することができたのである。」と述べて、自らの立場の確信を宣言されているのである。
 私は、農に強い関心は持っているが、冒頭にも書いているように、百姓として生きるだけのふんぎりのついた人間ではない。私は野菜つくりをしているがあくまでも実益を兼ねた趣味である。だから色々な試みが自由に出来る。私は12年前初めてキュウリを作ったとき、まさに無耕起、無除草、無肥料、無農薬でみごとな成果を得て、この農法の正しさを確信したのもつかの間、よく年からさんざんの結果となり、耕し、草を取り、肥料を撒き、農薬を使う農法になってしまっていた。そして、いま、大草を生やし、無農薬で作ること3年目、今年は石灰や有機肥料も含めて無肥料の栽培に挑戦し、野菜が順調に生長するのを見ることが出来るようになってきた。
 私は、福岡氏がいうように、科学技術の発達のうえに作り出されたこの文明が、人間の幸福とは無縁であるという思いが強く、昔の百姓の暮らしは悲惨であったとする歴史認識が、本当は嘘なのではないかという思いが抜きがたいのである。私は山道をドライブするのが好きで、山奥の小道を好んで走る。すると、「こんな山奥に」と思うところに、いたるところに集落があり、今は空家になったりもしているが、大きな家があり、畑や田もあり、人々が豊かな暮らしをしていたと思われるのである。私自身、昭和24年の生まれであるが、山の中の農家に生まれ、幼いころの暮らしが、決して悲惨なものではなく、むしろ豊かでゆったりとしたものであったという記憶が甦ってくる。米を作り、麦やとうもろこしを作り、大豆、小豆のほか数種の豆、きびや粟を作り、季節の野菜を作り、柿やみかんのほか、ビワ、桃、梨、すもも、梅、栗など何種類もの果物が家のまわりに植えてあり、山にはスギ、ヒノキ、松などの針葉樹の林やクヌギ、ナラなどを中心とする雑木林があって、薪にしたり、炭を焼いたりしていた。家を作るときは、基本的なところは大工や左官が作るが職人の分業は少なく、宅地つくりや石垣を積むこと、土壁づくりなどは自分たちでやっていた。いまのように工期3ヶ月などという短いものでなく、ゆっくりと暇を作りながら作っていた。まさに「百姓」というがごとく、人々は何でもこなしていた。そして、同じ集落に住む人々は金勘定ではなく、互いに助け合いながら仕事や作業を進め、仕事を手伝ってもらった後の夜には晩飯に招き、肴をだして酒を酌み交わしていた。畑での作業中、脇の小道を人が通りかかると、手を休めしばらく世間話がつづくという具合で、時間はゆったりと進んでいたものである。
 いま、私は、会社の経理の事務を行い、一日机の前に座り、パソコンをいじっている。パソコンの前に座ってする仕事をもう二十年近くやっている。パソコンが嫌いではないから、続いているが、今の私は毎週一日畑仕事をすることが出来るから今の暮らしを悲惨なものと感じなくても済んでいるのである。私は出来ることなら、前述のような田舎の暮らしをしたい。しかし、それには、様々な障害がある。だから、日曜百姓に甘んじているのである。だが先に書いたように、「科学技術の発達の上に作り出されたこの文明」の虚偽、昔の百姓の暮らしが悲惨であったとするような歴史認識の嘘を何とか確信してこの世を去っていきたい、という思いが私の頭から離れないのである。「人間の幸福の増大が科学技術の発達による」のであれば人間がまだ、人間でなく、やっと人間になったころには人間は幸福がゼロの、不幸のどん底といってよい状態の中にあったことになる。私の感性からすればこのようなことは信じられない。人間の幸福と科学技術の発達の間には比例関係はない。これが、私のなかから自然にわきあがってくる思いなのである。
 この「人間の幸福と科学技術の発達の間には比例関係はない」という私の思いの実証として、私は私自身が「自然農法」を確立してみたいと思っているのである。(2000.10.20)



自然農法の哲学



 福岡氏の自然農法は福岡氏の宗教的・哲学的立場の正しさの証明である。宗教は禅的悟りであり、哲学は「無の哲学」である。科学ではなく、なぜこのような宗教、哲学なのであろうか。人々は一般には科学的立場に立つことが自然認識の道であると漠然と信じているが、科学的認識は実は自然から遠ざかる認識であると考えているからである。
 今日の人々が作物を作ろうと思い立って、種まきを始める段になると、早速畑の草を取り、土を掘り起こし、溝を作ったり、穴を掘って種を蒔く。そして、肥料を撒き、虫がつくと虫を殺し始め、手に負えなくなると農薬をまき始める。季節を変えて作るためにハウスを作ったり、色々と施設を作ったりするのである。肥料も効果的にするために色々な成分を調整したりする。始めは自然農法で不耕起、無農薬、無肥料、無除草でやろうと思って始めても、実際に始めてみると様々な障害が起こってきて、いつのまにか科学的な知識とか、他の人々がやっていることに振り回されて、自然農法とは遠く離れた農法になってゆき、終いには「自然農法では作物は作れない」という結論に落ち着いてしまったりする。
 人は、障害に会うと考える。考えると、いろいろな知識を頭に詰め込む。そして、その知識に振り回される。たとえば、初めて、種を蒔くとき、あるいは苗を植えるとき、畑に草が生えていると草が作物の生長を妨げるとか、草が養分を吸い取ってしまうと考えて、草をとってしまう。
人の畑を見てもみんな草を生やすことを拒んでいるのである。しかし、草は自然に生えてくる。自然に生えてくるものは生えてくる必然性があるのである。だから草は生長させるのが良いのである。実は草の生長を見ていれば、作物が出来る土地かどうかも見えてくる。草は生長しても動物のように歩いてその畑を出て行くことはない。その畑の中で一生を終えて、次の生の準備をするのである。その草は枯れる前に種子を作り、その畑に種子を落とし、茎や葉を枯らして、再び生命となって蘇ってくるのである。自然の中では生命は、完全なものであって、人の手助けを必要とはしない。どのような条件のもとでもその生命の本性にしたがって生長するのである。
 科学は、その担い手たちがどのように考えているかは別として、人間の欲望に従って発達するものである。「科学的真理は人間の欲望などとは関係のない真理である」などと素朴に考えている人もあるが、科学の発達を促してきたものは人間の欲望である。数学のように抽象的な科学には人間の欲望とは関係がない、と思う人もあるが、作物の個数や、羊の頭数を数えること、兵士の員数確認が自然数をおぼえる根底にあったことや、幾何の発達はナイル川流域での測量などと深い関係があったことなどを思い起こせば人間の欲望と深い関係があることが明らかになる。
 農法に関する科学も、人間の欲望と深くかかわっているのであり、農業科学は人間の欲望の体系そのものである。果実の小さいものは大きく作りたいと思い、大きすぎるものは小さくしたいと思い、単位面積あたりの収穫量を大きくしたいと思い、すっぱい果実は甘くしたいと思い、虫のついた菜っ葉よりきれいな菜っ葉を作りたいと思い、というように農業科学が実現しようとしているものはすべて、人間の欲望である。
 しかし、自然の生命は人間の欲望に素直に応じてくれるわけではない。むしろ、人間の欲望に拒否的態度を取るのである。人間の欲望が強ければ強いほど自然の生命の抵抗が強くなるのは道理というものである。寒い冬にトマトを作ろうとしても、トマトの性はそれを拒む。生長もしないし、大体枯れてしまう。それでも冬に作ろうとすればハウスが必要になる。夏ならば、戸外の畑で十分育つのに冬ならばハウスが必要になる。トマトは、「そんなに冬にトマトがほしければ、人間はそれなりの手間と経費をかけよ」と人間に抵抗しているのである。冬のトマトを収穫するには夏には不要な手間と経費がかかるのである。
昨年ナスを作った畑で、今年もナスが儲かりそうだと考えてナスを作り、来年もまたナスを作ろうとしても、ナスの生長と共に変化するその畑の土壌はそれを拒む。この畑で毎年ナスを作りたいと思うのは人間の欲望である。ナスはその欲望に応えはしない。人間の欲望は生命の生長の条件を破壊してしまうのである。人間の欲望を追及すれば畑は病み、人間の欲望は結果的に実現されない。しかし、人間の欲望は実現されないことを受け入れることが出来ず、無理にでも実現しようとする。土壌の改良を考えて実践し、連作を続けるのである。土壌が変化して作物が病んで、虫がついたりすると、農薬を使用してでも作物を実らせようと思うのである。人間の欲望は果てしが無い。この果ての無い欲望を実践する学問が農業科学であるといってよいと思う。。農業科学に限らずすべての科学は人間の欲望を追及しているのである。
 自然農法は、人間の欲望から完全に解放されているとはいえないが、自然というものが、作物というものが人間の欲望のままに応じてくれるなどという素朴な理解には立っていない。自然農法といえども作物を作ることを目的としているのであるから、人間の欲望そのものであることには違いは無い。しかし、自然農法は欲望に裏打ちされた科学的知識を無にして、人間の関与を極力排して、自然の生そのものの生き生きとしたあり様をこそ求める。そこではがむしゃらな科学とは違って、自然と人間の対立、戦いを超えて、自然と人間が一体となって、つまり、人間が本来そうであるように自然の一員として生きるという生き様として関与するのである。
人間の心は、一面では人間の歴史の中で自然のあり方そのものの心を忘れ、自然との対立と戦いのなかで心を作り上げてきた。人間の心は作物に対して臨むとき、この自然と対立し、自然と戦う心を捨てることがなかなかできないのである。人間にとっては人間が主であり、自然が従でなければ気がすまないのである。この人間の心を矯正することが必要なのであるが、それは人間の心を無に帰すひとつの悟りであると言えよう。。 
 人間は、自分の欲望を実現しようとして、欲望を阻むものと戦う。それ故に人間の欲望は悩みであり、煩悩であり、迷いである。人間は欲望に向かって突っ走るのであるが、自分ではそれを「欲望」とは思わずに、「理想」とか「目的」とか「幸福」であると思い、ひたすらそれを求めるのである。しかし、人間が「理想」とか「目的」とか「幸福」を求めて走れば走るほど「理想」や「目的」、「幸福」は遠ざかっていく。当初の「理想」「目的」「幸福」が実現されるとそこにはもう「理想」も「目的」も「幸福」も無く、「理想」「目的」「幸福」を求めて走ったことの「負の遺産」が残っているのである。そして新たな目標を求めてまた走るのである。人間と違って、自然には欲望は無く、目的も無く、理想も無い。だから、迷いも無く、煩悩も無い。只、それぞれがそれぞれの性に基づいていきている。だから、人間が人間の欲望に基づいて、自然を人間の欲望の下に従属させようとすれば、自然は人間に抵抗するのである。人間が自己の欲望を自覚し、この欲望を捨てるには、ひとつの悟りが必要である。自分のあくなき欲望を追求しつづけているときには、この悟りは無い。欲望を捨てたときにひとつの悟りがある。
 この悟りは道理を知ることであり、自然の理を知ることである。水は高いところから低いところへと流れる。これは道理である。しかし、水は低い所から高いところへ昇っていきもする。高いところから低いところに流れるときは液体の形をとり、低い所から高いところへと昇るときには気体の形に変わって昇る。しかし、どこまでもどこまでも昇るのではなく、一定の高さまで昇ればそれ以上昇ることはない。目に見えない気体となった水は、高い空の上で雲となり、雹や霰のような固体にもなり、雨粒ともなって再び、地上へと落ちてくる。水は、絶えずそのあり様を変えている。水は、その水の性にしたがって一瞬たりとも同じ状態の中にとどまることが無い。バケツに汲んでおいた水でさえ、いつのまにか生物の活動する水となり、あるいは又、気体となってバケツの中から逃げていく。水は決して同じ状態にとどまるものではない。
 しかし、同じ状態にとどまりつづけるものでないのは、水だけではない。すべてのものが、我々の目にするもの、聞くもの、匂うもの、肌に触れるもの、人の心までも、すべてが一瞬たりとも、同じところにとどまることはない。無常なのである。これが、道理である。水は、いま、ここにありながら、同じ瞬間にここにはもうないのである。これが道理である。「ここにありながら、この同じ瞬間にここにはもう無い」のである。無常と言うことはこの矛盾した表現を受け入れる事無しには掴み取ることが出来ない。「いま、ここにあるものは、いま、ここにあるのであって、いまここに無いということは容認できない」と言うのであれば、流れる水を見ながら「いま、ここにある」瞬間と「いま、ここに無い」瞬間が、どのように連続しているのか、説明をしなければならない。
 私たちが生きているこの世界は、何事もとどまることなく、変転している。人は、この変転の中に無常を感じ、時に不安を覚えるのであるが、世界はこの変転によって壊れるわけではない。水が高いところから低いところへと流れても、山に水が無くなってしまうということはない。低いところに水が流れていくからといって、海の水が溢れ出すわけではない。海の水が天高く上っていくからといって海の水が無くなってしまうわけではない。世界は絶えず変化、変転しているのであるが、それは壊れていくのではなく、世界を安定させているのである。
 人間は水が、一瞬たりとも同じあり方つづけているのではなく、それぞれの瞬間の中に変化をしつづけているにもかかわらず、そこに無変化の継続というものを見る。きのうバケツに汲んだ水は今日も昨日と変わらぬ水であると信じることが出来るのである。バケツの中の水は昨日の水とは同じではないということが絶対的である。昨日の水と同じであるというのは相対的な意味合いにおいてのみ妥当性を持つ。たとえば、昨日汲んだバケツの水が昨日飲めて、そのままにしておいて今日になっても飲むことが出来るという意味合いにおいて、昨日の水と今日の水は同じであるというのであればこのことの妥当性はもちろん認めることができる。しかし、絶対的な意味においては、昨日バケツに汲んだ水はそのままにして置かれたとしても今日のバケツの水とは違うのである。
 絶えず変化、変転しているのは水ばかりではない。この宇宙に存在する一切のものが変化しつづけている。水も、土も、空気も、光も、星もすべてが変化している。この変化の中にあることが常態なのであり、この変化、変転こそが動かぬものと見るのが真実である。無変化の継続をみるのが誤りである。
 この世界は絶えず変化していくが、変化し、変転することによってこの世界を壊すことはなく、変化し、変転することによってこの世界を維持するのである。
この宇宙、この世界、この地球の営みのすべてが変化、変転しているのであるが、この営みの一部を取り上げこれをあるべき変化から変化を奪い取り、無変化を作り出せば、そして逆にこの変化に拍車をかければどうなるであろうか。たとえば、昼と夜を繰り返す毎日を、畑の上に覆いをかけて光の無い夜ばかりにすれば作物はみな枯れてしまう。明るい日差しの太陽の下、さらに強い熱と光を作物にあたえれば作物はやはり枯れてしまう。この世界に存在するものはすべて変化するままに任せてこそ正常な営みとなる。
 ところが、人間は先に述べたように無変化の継続をありうるものとして容認する。物事を、世界を、宇宙を相対化して捉える。目の前の海で汲み上げたそれぞれ10リットルの2杯のバケツの海水は、絶対的に同じ海水ではあり得ないが、人間の目的に応じて同じ海水として捉える。人間は、思考の過程の中で、そして人間の行動の中で絶えず相対化して事物を、世界を捉える。作物に対して、昼と夜の時間の長さを故意に長くしたり、短くしたりする。熱や光を強くしたり、弱くしたりする。人間は、自分の目的に応じて、自分の目的を達成することができさえすれば、目的に関する条件以外のすべての条件を無視することが思考の上でも、行動の中でも出来る。しかし、人間の思考の中で、人間の行動の中で、人間の社会の中で無視することが可能であっても、この無視が絶対的妥当性を持つわけではない。
 人間が水の中で魚のように泳ぎまわろうとおもっても、魚のようになることは出来ない。人間の体の動きにとって水は抵抗のあるものであり、人の体の動きを阻むという感触をぬぐうことが出来ない。しかし、魚にとって、水は、人が大地を踏みしめて安定感を感じるように、もっとも安定感のある居場所である。水は魚にとって抵抗感を与えるものではなく、泳ぎまわっていても、たゆたっていても己の安定した居場所なのである。同じ水の中にあっても人と、魚にとっては水は全く異なった存在である。
 空を舞う蝶や、鳥にとっては、空気は人間にとっての大地のごとくわが身の安定を提供する。人間は鳥を真似て空を飛ぼうとし、様々な飛行機や、パラグライダーのごときものを作って空を飛ぶ。しかし、人間にとって空はその身の安全を保障するところではない。それ故に事故の危険に付きまとわれつづける。しかし、鳥や蝶が空を舞うからといって事故に遭うことはない。
 人は、魚ではないにもかかわらず、魚のように水の中を泳ぎまわりたいと思い、鳥や蝶ではないにも拘わらず空を飛びたいと思う。大地も、水も、空気もないのに地球の外にでて見たいと思う。これは、自然の理にかなうことではない。自然の理にかなわないことは常に危険を伴う。人間は自分が何であるかを自覚し、その中にわが身の総てがあることを自覚する前に、水の中の魚や、空に舞う蝶になろうとするのである。
 人間が、人間の世界において何を空想し、何をしようとそれは人間の勝手ではあるが、自然の世界にとっては、自然には自然の理があることであり、人間の恣意のままになるわけにはいかない。
 人間の考えることや、行動には理にかなわぬことが山ほどあり、理にかなわぬことをすることがむしろ人間の本性であるやもしれぬ、と思われるほどに人間の考えや行動は理に沿うていないのである。しかし、自然は理に適うことしかしない。人間の目の前に起こることは、人間の目や思惟にとってどれほど奇異なことに見えようとも、理に適うことである。野菜に虫が着き、葉っぱを穴だらけにされても、それは理にかなったことが起きているのであり、野菜が病気になって枯れてしまうことが、人間にとって如何に奇異なことに思われても、それは理にかなったことである。虫が着き、病気になった野菜を見て、農薬を散布して、その場を取り繕ってみても、虫がつき、病気になるその真の原因が除去されたわけではない。ここでも、人間は理にかなわぬことをしているのである。
 人間は人間の糞や動物の糞をみると、嫌悪感を感じるが、自然の中にはこの糞をご馳走としている虫や小さな生物たちがいる。この世に住んでいる生物はそれぞれが全く違ったものを好物としている。人間には人間の糞を食べる虫たちの食性を理解することはできない。虫たちの食性を理解することは出来ないが虫たちが糞を食べるのは自然の理なのである。「俺の糞を食うな」とハエを追いまわしても、ハエは再び糞の中に口を突っ込む。人間が思うこととハエが思うこととは全く違うのである。人間が人間の考えで振舞うとき、人間はいわば幻想の中にいるのである。幻想の中にいるからこそ、理にかなわぬことをするのである。
 
人間は、膨大な記憶を持ち、想像をし、思考し、自然界には無いものを作り出す。人間はこの故に人間を優れたものと思う。しかし、この人間の優れた特性と人間が考えていることも、想像をすることも無く、思考することも無く、自然界に無いものを作りだすことも無い人間以外の生物にとってはまったくの「幻想」でしかない。自然にとってみれば、人間が得意になってやっていることは「幻想」の塊である。
 たとえば、人間は自分の勝手な希望から春にアサガオの花を見ようとして、寒い冬にアサガオの種を蒔くことがある。大抵の人はアサガオの花は夏咲くのであるから、冬に種を蒔いたりはしない。しかし、人はこうしたことをやってしまうのである。やって失敗する。失敗して「アサガオは夏の花だ」と知るのが道理を知ることであり、これはひとつの悟りである。ところが、中には「アサガオの種は寒いから芽を出さなかった」と考えて、花畑全体を暖かくする人間がいるのである。たとえばハウスを作る。ハウスを作れば、ハウスの中では、暖かくなり、冬の寒さの中でじっとしていた虫たちや草たち、微生物が季節はずれの活動を始めたりする。ハウスの中は本当の太陽の光が入ることは無く、空気は淀み、雨は降ることが無く、その中の環境は外の冬の世界とは著しく異なったものとなる。そこでは思いもしなかったことが起こり始め、空気や湿度、気温、水などの調整が必要になってくる。そして、そのようなことをはじめる。だが、こうした人間の行動は自然界にとっては全くの幻想が作り出すおどろおどろしい世界である。
 人間の頭の中は、長い歴史の中で作り上げてきた様々な知識によって、こうした幻想に誰もが取り付かれているのである。作物が自然の営みとして自然に育つような農法を人間が獲得しようとすれば、人間は一度このような幻想から解放されなければならない。幻想から自分を解放するのはひとつの悟りであり、この悟りはこの世の実相を掴むことである。
(2001年1月8日)



変転する世界をつかまえる



 この世界、宇宙、地球、生命、水、土、人の心、何をとっても変わらないものはない。今、ここにあるものはもうその瞬間に別のものになっている。人は安易に他人と約束をする。「私の心は変わらない」などと言う。しかし、口がそうしゃべるとき、心はもう別のことを考えている。約束をした当人同士が、心の中で約束を違えたときの言い訳を考えている。こんなことは人の心の常であり、だからこそ、約束には法律上の拘束も必要になるのである。
 水は、絶えずその姿を変え、居場所をかえるのだが、変わるのは水だけではなく、空気も土も生物も、そして岩石のように堅固なものも絶えず変わっているのである。土は、雨によりかわり、露によって変わり、気温によって変わり、太陽の光によって変わり、地下水によって変わり、そこに生える植物によって変わり、そこに住む動物によって変わる。様々なものが変わる要因となり、要因となったもの自身がまた変わる。総てのものが変わる要因となり、被要因となる。
 海の中にいる魚は、自分の餌となる魚やプランクトンを求めて場所をかえる。魚は動き回るのだから、釣り人が、昨日釣れた場所に今日もまた釣り糸をたれれば今日もまたつれるという保障はどこにも無い。魚は動き回るのだから、釣り人にはいくつかの選択がある。魚の居そうなところに自分が移るか、魚がやってくるまで待つか、魚を呼び寄せるために撒き餌をまくか。いずれにせよ、魚のいるところに釣り糸をたれないことには魚はつれないのである。しかし、魚の居るところに釣り糸をたれても、すぐにつれるというわけではない。魚にしても腹を空かせているときもあれば、食べたくないときもある。潮時というものがある。
 人は、時として、農業に収穫の安定を見、漁業に定まりなきをみる。しかし、農作物をつくって見ても、いつも同じ作柄というわけにはいかない。土が変化し、気候が変化する。そこに住む動物が変わる。
 作物が育つべき畑は位置的にも変化があるといってもその変化はきわめて緩やかである。しかし、その土の変化はきわめて早い。作物の1世代が終わる前にもうすっかり変わっている。その畑で人は絶えず作物をつくる。人は、その畑の状態を絶えず的確に掴み取らなければならないのである。土の変化に敏感な農夫は、土を手にとり、にぎつて見るだけで、湿り具合や、土の色、土の粘りや、ほぐれ具合をみながらその土の良し悪しを判断してしまう。また、そこに生えている草の状況を見れば、その土が作物を十分育てる力があるかどうか、どのような作物が育つかを判断することが出来る。
 畑の環境は常に変化しているのであるから、人が作物を作る場合にはその状況に応じて対応することが必要である。だから、作物を作るということには定まった方法というものが、本来無いのである。「このようにすればよい」という方法は無いのである。世の中には「栽培法」を指南する本が沢山出されている。
私も、沢山のこうした本を買ってみたが、自分で満足する本は殆ど無い。私は料理が好きで、料理の本も何冊か持っているが、レシピどおりに作った料理などというのは一つも無い。調味料の分量まで書いた本もあるが、分量を量って料理など出来ない。材料もレシピの通りにそろえると全く不経済だ。
 人は、それぞれ自分の確保できた畑で作物を作る。その畑は、それぞれが全く別々の畑であって、土の種類も、砂地であったり、粘土であったり、腐葉土の混じった土であったり、長年有機物を投入しつづけてきた土であったり、逆に化学肥料を投入してきた土地であったりする。また、それ以前に作られた作物の種類も様々である。また、気候もその土地によってまちまちである。その土地の状況や気候その他の条件がみな違っているのに、本に書かれた通りの方法で作物を作ればうまくいくと考えるとすれば、そのように考えるほうが理に合わないのである。
 科学の力と技術にたよる農法では、草を取り除き、トラクターで土を掘り返し、化学肥料を撒き、農薬を散布するのが一般的であり、福岡氏の自然農法では、不耕起、無除草、無肥料、無農薬である。このことをもつて、実は私自身もそうだったのだが、いきなり「不耕起、無除草、無肥料、無農薬」に挑むのである。私のように1回目に成功したものは良いほうで、多くの人がこれで失敗しているのではないかと思う。私は2年目になって躓き始め、3年目には完全に崩れた。「不耕起」だからといって、土の上に種を無造作に蒔いても、うまく芽を出すものもあるが、芽を出しても根を張らずに枯れたりする。「無除草」といっても草に負けることもある。「無肥料」といっても、造成地の土のように雑草でさえ生長しにくい土もある。「無農薬」といっても虫はどこからともなくとんでくる。こうしたことに初心者は全く困惑してしまうのである。「こんなはずではないのだが?!」
 しかし、実は、福岡氏は、絶えず変転していく畑の条件に対して、無条件に適用しうる方法は無いといっているのである。誰が、どんなときでも、こうすればよい、というような方法はない、といっているのである。「無」なのである。
 ところが、科学や科学に基づく技術の発達は、農作業を誰でも同じようにすれば、同じように出来ることを目指して発達させてきた。違った条件のもとでも効果のある方法を作り出すということは、実はそこにある多くの条件を無視し、つまり捨象し、特殊な条件を抽出するということによって成立する。そして、科学技術は「このようにすればよい」という方法を示すのである。だから、技術は言葉によって伝えられる。
 科学技術は、様々な条件を無視して、特殊な条件を引き出して方法にするのだから、言葉で伝えることが出来るが、福岡氏は様々な条件を無視することなく、その作物の生育環境に関する絶対的把握を目指すのであるから、その方法を伝える言葉は「無い」のである。
 科学技術が、多くの条件を無視して、誰にでも分かる言葉で話しかけ、福岡氏が総ての条件を掴んで、その方法を語る言葉をうしなったとき、両者は相反する方向へと向かう。特殊な条件のみを取り上げて、様々な条件を無視した科学技術はそれ故に自然と対立し、その作物は病気や虫害にまみれ、止む事なき戦いの世界に生きる。そして、絶対的な条件の把握を目指す福岡氏の自然農法は自然・作物との調和の中に生きる。そこには自然との戦いは「無い」。
 福岡氏は、語る言葉を持たない。彼にとっては、真理の把握は直感の中にあり、悟りの中にある。まさしく、達磨大師が言ったという「不立文字」なのである。ちなみに「不立文字」とは松原泰道氏のやさしい説明に寄れば「文字や言語には限界があって、それだけでは十分に表現できないものがあること」を言う。
 福岡氏の自然農法を簡単に「不耕起、無肥料、無除草、無農薬」による農法といったり、土団子を作ってばら撒き、自然に発芽、生長させることがその特徴とされたりする。福岡氏自身が土団子をテレビに出てつくつて見せたりする。だから、人はそのように真似してやってみるのである。しかし、私には福岡氏の農法に何か、定型の農法があるという見方は出来ない。福岡氏は若いときに大悟し、その時獲得した真理を証明するために一途百姓になり、何十年にもわたって試行錯誤を続けながら、そして誰もがするのと同じように失敗もかさねながら、今日、氏が紹介しているような農法にたどり着いたのである。氏は色々と工夫しながら、色々やってみた結果として「不耕起、無肥料、無除草、無農薬」で作物は作ることが出来るというところに到達したのである。福岡氏が、「不耕起、無肥料、無除草、無農薬」で作物に向かうのと、初めて作物に向かうものが「不耕起、無肥料、無除草、無農薬」で作物に向かうのとは、その意味も、向かい方も全く違うのである。言葉は同じでも、その向かい方は全く違うのである。
 私は、ここのところ禅に関する本を探しては読んでいる。正直に言って、禅というものが全くといっていいほど分からない。「禅問答」といわれるがほんとにちんぷんかんぷんで99.9パーセント分からない。私にはその程度の理解しかない。それでもあえて恥をかくつもりで自分の考えをいま書いているのである。読者はこの私の事情を理解した上で読みつづけていただきたい。
 禅の世界では、修行僧は師と仰ぐ覚者から「公案」というものをもらい修行するようである。「公案」とは岩波国語辞典の簡単な説明に寄れば「禅宗で悟道のために与えて工夫させる問題」である。要するに先生から与えられる問題のようなもので、弟子はこの問題に座禅を組みながら向かうのである。で、その問題である「公案」といえばたとえば次のようなものである。

    香厳和尚が言われた、「人が樹に登るとする。しかも口で枝をくわえ、両手を枝から離し、両脚も枝から外すとしよう。その時、樹の下に人がいて、
    「禅とはいったいなんであるか」と問いかけてきたとする。答えなければ問うた人に申し訳がたたない。そうかと    いって答えようものなら、樹から落ち
    ていっぺんにあの世行きだ。さあ、そういう事態に直面した時、いったいどう対応すべきか」(岩波文庫、無門関より)


    雲門和尚はある僧から、「仏とはどういうものですか」と尋ねられて、「乾いたクソの塊じゃ」と答えられた。(同上)
    これをどのように理解するか。

 ここでは比較的意味のわかり易いものを例に引いたつもりであるが、弟子はこのような、凡人には訳の分からない問題や、切羽詰った問題を与えられるのである。弟子は日々この公案に向かって思案をめぐらし、師の前で自分の考えを言葉にして答えるのである。すると、われわれの先生とは違って、常に、けなされたり、棒で殴られたり、「カァーッツ」などと渇を入れられたりする。弟子は目を白黒させながら、また答えを探して修行を続けるのである。しかし、何度答えを出しても、師から「正解」と誉めて貰うことは無い。「正解」はどこにも用意されていないのである。しかし、師は、弟子の答えを聞きながらその力量の高まりをちゃんと見計らっているのである。そして、頃合を見て、別の公案を与える。こうした、師と弟子の問答を通じて、機が熟したとき、弟子は開悟するのである。つまり、悟りを開くのである。しかし、この悟りを開いても、この僧の修行はさらに二十年、三十年と続けられるのである。この二十年、三十年と続けられる修行を経て、やっと弟子を持つことが許されるのである。修行僧が、何ゆえ公案を与えられるかというと、出家して修行生活に入ることが既にひとつの悟りであり、その公案に取り組むことがまた、ひとつの悟りであり、悟りとは修行することと一体であるからである。仏とは悟りを開いたもののことであり、悟りを開いたものが修行をするということは仏が修行するということである。仏が修行するということは仏が仏を目指すということである。つまり、仏が仏の道を歩いているのである。
 いま、ここで私が何ゆえに禅の話を持ち出したかというと、福岡氏の「不耕起、無肥料、無除草、無農薬」というテーマは、禅で言うところの「公案」に相当するという具合に、私は解釈してみたいのである。福岡氏は福岡氏の水準でこの公案を捉えている。これに取り組もうとするものは、未だ未熟ではあるが取り組もうとするときに既にひとつの悟りの境地に入っているのであり、このテーマ、この公案に取り組むものは既に福岡氏のいう「自然農法」の修行者なのである。しかし、この自然農法の修行は禅の修業と同じく、修行者に対して、「正解」と申し渡すことはない。この「自然農法」の修行者になったものは既に自然農法の道を歩くものであり、自然農法の道を歩むものが自然農法を求めているのである。この修行を続けて、「不耕起、無肥料、無除草、無農薬」というテーマ、この「公案」を会得したものは本当の自然農法の覚者となるのである。このとき、この覚者と作物の関係は「自然」が「自然」に対しているのであり、そこでは主体としての人間が、客体としての自然に対しているのではなく、主客が区分されることのない関係が成立しているのである。そして、このとき、人間は自然そのものとなっているのであり、自然のふところに抱かれて暮らしていると言えるのである。
 だが、先に述べたように、科学が、凡人にでも分かる言葉で語りかけるのに対して、自然農法は語る言葉を持たない。福岡氏は真理は直観によって悟るほかには無いという。科学は直感ではなく、言葉や数式によって伝える。凡人は言葉や数式によって示されるマニュアル、手引書を期待する。だから、福岡氏の著作を読んでもそのような手引書として読もうとする。ここに福岡氏の自然農法に対する困惑の源があるのだ。
 だが、いま、私が思っているのは、福岡氏の自然農法は実はどのような型も持たない全く自由な農法であり、既存の農法にもとらわれることの無い自由な人間の自由な活動としての農行為だということである。禅は、何ものにもとらわれることの無い全く自由な世界なのだが、自然農法も全く自由な世界なのである。人が作物の栽培を始めると、誰でも困難にぶつかる。たとえば病気や虫害、獣害、鳥害、台風の被害などその障害は数えればきりが無いほど多い。この困難に対してどう対処するか。これが勝負の分かれ目なのである。この勝負はこの勝負に臨む農夫の力量の見せ所なのである。ここには、先に実例として出した香厳和尚の「公案」のように切羽詰った状況があるのである。この切羽詰った状況をあらん限りの知恵を絞り、直感的なひらめきによって乗り切り、困難をもはや困難ではなくした時にこの農夫の力量は一段と高まっているのである。一休禅師は自分のよき師であった謙翁の死に際し自殺をも遂げようとするほどの青年であったが、ふたたび修行に精をだし、漁師の船を借りてその中で座禅に打ち込み、闇夜の中で「カァーッ」とざわめくカラスの声を聞いて豁然と大悟したというが、農夫が困難に直面してこの困難を突破する時には、この一休禅師の精魂込めた座禅修行にも劣らぬ求道の精神があるのである。だが、夜も日も明けず、困難を突破しようとその道を求めているとき、自然はその答えを求道の農夫に開示して見せるのだと福岡氏はいうのである。自然の中にある困難は自然がその答えを用意している、と福岡氏はいうのである。困難の所在をしっかりと見据え、自然を見る目がしっかりしていればその答えが自然と目の前に現れてくるというのである。このようにして、農夫が獲得していく自然農法というものは、科学の力を借りた農法とは全く違うものなのである。自然農法は与えられた自然条件のもとで農に取り組む農夫が自分の直感によって状況の把握をし、その解決を見出すのであるから、暑い地域であれ、寒い地域であれ、又、肥沃な土地であれ、痩せ地であれ、己の才覚の向上によって進むしかない。一方科学的農法は、土や空気、水などの条件を数値で捉えて、栽培しようとするのであるから、生育環境の画一化を計るしかない。環境を画一化してのみ有効な農法なのであるから、画一化しさえすれば北海道でも、九州でも、夏でも冬でも栽培可能となるわけであるが、このような方法は膨大な費用を必要とすることになるのである。画一化してのみ有効なのであるから破天荒な自由は利かないのである。そして、科学農法は所与の自然環境から遠くへ遠くへと離れていくのである。さらに所与の環境から離れることによって新たな困難に直面するのである。科学農法に取り組む農夫は労せずして作物に向かい、自然農法は困難を持って作物に向かうが、科学農法は進むほどに新たな困難を抱え込み、自然農法は進む程に困難を解消していくのである。
(2001.1.12)

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