<第5回>
 ・歩いた所:内子町の町並み
 ・語 り 部:内子町町並みガイドの会
       久保 正憲さん

 今回は、内子町町並みガイドの会の久保正憲さんに、南予歴史文化道エリアにある内子町の町並みを案内して頂きました。 通常は、芝居小屋の内子座から八日市護国の町並みまでの約1.5kmを、2時間程度かけて案内されているそうです JR内子駅から歩いて7〜8分のところにある内子分庁舎の内子町総合観光センターで待ち合せ、ご案内頂くことになりました。


 それでは、久保さん、よろしくお願いいたします。

語り部の久保さん
(内子町総合観光センターにて)
左は「南予・旅コレクションマップ」
(観光スポット等を紹介したカード形式の地図)
内子は木蝋(もくろう)生産で栄えた町ということですが、この木蝋とは?
(久保さん)
 「観光客の方から、『内子は蝋燭(ろうそ
く)づくりで栄えたんでしょう』とよく言わ
れるのですが、正しくは『蝋燭の原料である
“木蝋”づくりで栄えた』のです。」


 「内子町では、江戸時代中期から大正時代
にかけて、櫨蝋(はぜろう)の一大生産地で
した。櫨蝋とは、ウルシ科の櫨(はぜ)とい
う木の実から取れる?のことです。電気のな
い時代、明かり取りとして蝋燭は必需品でし
たから、その原料の生産地として内子は大い
に繁栄したのです。」


櫨(はぜ)の木
。地上10m以上にもなり、また折れ
やすいので、櫨の実を取る作業は命がけだった。
木蝋資料館上芳我邸にて、左は久保さん)
 「昔は木から蝋を作っていたのに、何故、蝋の字に虫偏がついているのか、という質問を時々受けます。もともとはミツバチの巣から蝋を取る蜜蝋が主であったことから、蝋という字が虫偏になったのです。」
「櫨(はぜ)はどこにでもある木のようですが、何故、内子が全国有数の櫨蝋の産地になったのですか。」
(久保さん)
 「一つは、江戸時代末期に高品質の晒蝋を大量生産する技術を確立したことです。これは伊予式蝋花箱晒法(ろうばなはこさらしほう)と呼ばれています。まず、櫨の実から搾った生蝋(きろう)を煮溶かし、冷水に注いでかき混ぜると、花のような結晶(蝋花)ができます。それを浅い木箱(蝋蓋:ろうぶた)に並べ、繰り返し日光に晒すと、良質な蝋燭ができるのです。」

右下にあるのが蝋花を日光に晒すための蝋蓋(ろうぶた)。
久保さんが手にしているのは、精製する前の生蝋。
「この蝋花については、本芳我家の初代 芳我弥三右衛門(やざえもん)がある夜、厠(かわや)に行った際、手にしていた蝋燭から溶けた蝋が手水鉢に落ち、小さな結晶になるのを見て考案したと伝えられています。それまでは固形の生蝋をカンナで削って干していたため、非常に手間がかかっていたのです。」

 「内子発展のもう一つの要因は、ブランドの確立と輸出の拡大です。蝋の粗悪品が出回る中、本芳我家3代目の弥三衛(やざえ)は「旭鶴」という独自の商標を使い、他社製品と区別しました。また、パリの博覧会に出品し表彰を受けるなど世界的評価を獲得し、輸出を大幅に伸ばしたのです。」
「この箱晒法で使われる蝋蓋は、本芳我家で5万箱、その分家である上芳我家には2万5千箱あったと言われております。蝋蓋を幾つも並べた広大な晒し場で、夏場などは暑さで?が溶け出さないように、何人もの使用人がおよそ30分おきに蝋花に水を掛けて回っていた、ということです。木蝋づくりはたくさんの人手と資本を要する一大事業だったのです。
本芳我家の蝋製品の商標(ラベル)
(内子町観光協会「内子新風土記」より)
「ただ、大正時代に入ると電気やパラフィン蝋の普及とともに、木蝋産業は急速に衰退し、晒蝋業者も大正12年には全て消滅、代わりに製糸業が盛んになり、晒し場も桑畑に変わっていったのです。」
<以上のような予備知識を踏まえて、内子の町並み巡りに出かけます。
まず、最初は内子座です。>


大正時代の芝居小屋「内子座」
内子座は大正時代に建てられた建物だそうですが・・・

(久保さん)
 「はい、内子座は大正天皇の即位を記念して、地元有志が資金を出し合って建築したもので、大正5年に完成しました。当時、内子は和紙や木?、製糸業で栄えていたので、こうした芝居小屋を建てる財力があったのでしょう。」
 「内子座は回り舞台や花道などを備えた本格的な芝居小屋です。テレビのない時代ですから、芝居は何よりの娯楽だったのです。1階には枡席があり、当時の入場料は一枡単位で売られていました。一枡に何人座ろうと自由ですから、お金のある人はゆったりと、そうでない人はギューギュー詰めで芝居を楽しんだのでしょう。」
「ただ、戦後の昭和25年には映画館になり、枡席も椅子席に変わるなどの改造が行われました。映画の斜陽により昭和42年から商工会館として使われていましたが、やがて老朽化がすすみ、建物を潰して駐車場にしようという意見もあったのです。しかし、内子町はこの建物を保存・活用する道を選び、昭和60年に復元工事が完成しました。今やこうした芝居小屋は全国に8つしか残っていないそうです。観光客の方を案内していて、『内子の人はよくこの建物を残しましたねえ』と言われるのが、一番嬉しいですね。」
<内子座を出て商店街を歩いていくと、途中に「商いと暮らし博物館」があります。>
「商いと暮らし博物館」に入ると、人形に大きな
 声で「おいでなはい」と声を掛けられ、ちょっと
 びっくり。



大正時代の商家を再現した「商いと暮らしの博物館」
使用人は土間で麦飯を食べている。
(久保さん)
 「商いとくらし博物館は江戸時代後期及び明治43年の建物で、変化に富んだ空間になっています。蝋人形を使って、大正10年頃の薬屋の生活の様子を再現しています。例えば、箱膳での食事風景。畳に座って食事しているのは商家の家族で、米のご飯を食べています。当時、お米のご飯を食べるのは余程の金持ちです。また、畳の上ではなく、土間で食事をしている使用人は、麦飯を食べています。このように、展示物は細かいところまでこだわっていますので、好きな方はじっくりと見て行かれます。」
 「2階に上がると、洒落た四角い欄間があります。明治後期に作られたとは思えないモダンなデザインです。このように建物のつくりにも随所に工夫がありますので、住宅や建築に興味のある方にも面白い所だと思います。」
<いよいよ、八日市護国の町並みへ>
内子の町並みの見所と言いますと?



(久保さん)
 「町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、エリア一帯が統一的な景観で保たれています。それぞれの家屋では、今も地元の人が生活していますし、所々にお店などもありますので、のんびりと散策して頂ければと思います。」

白壁の建物が建ち並ぶ内子町八日市護国の町並み
「建物のなかで、最も古いのが大村家(国指定重要文化財)です。江戸時代末期寛政年間の建物で、今も大村さんが住んでおられます。この家の縁側にはいつも猫が寝そべっています。人懐っこい猫で、観光客が近付いても逃げません。」
江戸末期寛政年間に建てられた「大村家」。内子の並みでは最も古い建物。今も大村さんが生活されており、縁側で猫が迎えてくれる。
 「大村家の隣にあるのが、本芳我家(国指定重要文化財)です。木蝋の生産で財を成した芳我一族の本家にあたります。明治17年の建築で、鏝絵(こてえ)と呼ばれる見事な漆喰細工など装飾を施した外壁から贅を尽くした建物がよく窺えます。また、よく手入れされた庭も一見の価値があります。なお、本芳我家は平成18年秋まで改修工事中で、工事完了後は期間限定か、あるいは人数制限による施設公開を検討されているようです。」

 「町並み観光の拠点となっているのが、木蝋資料館 上芳我邸です。本宅は明治27年の建築で、松の巨木をふんだんに使い、外観も重厚な漆喰壁となっており、名家らしい風格のある建物です。」

 「また、木蝋資料館という名前のとおり、主屋の外には木蝋生産に関係する建物群が配置されており、櫨の実から生蝋を搾り取る蝋搾り小屋、さらにこれを漂白精製する工程、つまり生蝋を蝋花にする釜場など、木蝋生産の過程を製蝋用具とともに理解することができます。また、一番奥にある木蝋用具展示棟では、木蝋製造の過程を判りやすく紹介したビデオを鑑賞できます。」

 「この木蝋資料館上芳我邸は、内子駅から歩いた場合、町並みの終着近くになります。町並み歩きに疲れたら、上芳我邸の離れの2階にある喫茶室で一休みされては如何でしょうか。明治の豪商になったような気分で、ゆっくりとくつろげると思います。」

重厚な漆喰壁を持つ「木蝋資料館 上芳我邸」

<この他にも興味深いお話は尽きないのですが、ここでは割愛させて頂きます>


最後に、久保さんが観光ボランティアガイドになられた切っ掛けを教えて頂けますか
(久保さん)
 「私は昭和34年から内子に住み、地元の小学校で教師をしていたのですが、観光客などから質問を受ける度に、内子について知らないことが多いと痛感していました。そこで、仕事を辞めたら、ボランティアガイドを始めようと思っていたのです。」

 「観光客からは、郷土史や建築、木?など様々な分野の質問を受けますが、自分で答えられない質問をされても、内子町総合観光センターの方をはじめ地元の人が必ず調べてくれ、丁寧に教えて貰えます。このように、地域を挙げたガイドへの支援態勢があるのは心強い限りです。」


取材の最中にも、観光客に気軽に声をかける久保さん
(商いと暮らしの博物館にて)
 「普段の生活の中で、ボランティアガイドをしている時が一番楽しい、これが今の実感ですね。また、楽しいからこそ、続けられるのでしょうね。」
〔取材余話〕
 久保さんから、芳我家をモデルにした小説『花炎』(佐和みずえ著、双葉社)をご紹介頂きました。絶版になっていますが、図書館で借りて読むことができました。当時の木?生産の様子などがよく判りますので、興味のある方は読んでみては如何でしょうか。

※内子町町並みガイドの会の利用方法などは、こちらをご参照下さい。
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