8ビットマイコン時代

 私のパソコンとの出会いは、十数年前にNECから発売していたインテルの8080という 8ビットのCPUチップを使用したものを購入したことに始まる。
 確かその時のユーザーメモリーは256バイトだったと記憶している。それでも入力はテンキー、出力は8桁のLED表示のみであったのでさしたるプログラムも書けず、しかもハンドアセンブルでマシンコードを一つずつ入力するしか入力の方法がなかったため 十分な大きさであった。

 その後テレビをモニターとして使用できるPC6000なるものを購入し、雑誌に出ていたゲームのプログラムをインプットして遊んでいたことを 記憶している。その時の記録媒体はカセットテープであり、何度か使うとテープが伸びで読み込みエラーになったものであった。

 そういうことをやっているうちに8ビットCPUではあるが3.5インチのフロッピーが付いた漢字も使えるPC6600が発売となり、RS232Cもサポートしていたので、 パソコン通信がやりたくてこれを購入した。
 その当時はまともな通信ソフトが無かったので、雑誌に出ていたアセンブラーのRS232C処理プログラムとベーシックの画面表示処理を組み合わせて使っていた。
 パソコン通信の揺籃期であり、ホストも四国には無く大阪などの草の根BBSに音響カプラーを使って300bpsでアクセスしていた。
 文字も当然全角文字はサポートされておらず、すべて半角文字であり、今のポケベルのメッセージのように非常に読みにくいものであった。

 暫くしてPC−VANやNiftyなどの大手のBBSが登場して漢字が使えるようになったので、漢字の送受信がやりたくて通信ソフトを漢字対応に変更したりするのに 苦労したものである。
 当然日本語FEPなどは無くまた漢字コードもパソコン内部とBBSでは異なっていたので、日本語文章は専用のワープロで作成しておきアップロード時に変換ルーチンをかまさないといけないなど大変であった。
 それでも漢字が表示された時は感激であった。300bpsのスピードでは漢字の一文字一文字がカードをめくるように表示されたのを思い出す。
 その当時音響カプラーは5万円程度したと思うが今から考えるとよく買ったものである。

PC98時代

 8ビットマシンのスピードに限界を感じて買い換えたのがPC98U2であった。インテルの8086とコンパチのNEC製チップであるV30を搭載しており、メモリーも128KByteであった。
 買ってすぐにメモリーを256KByteに増設し、1200bpsのモデム、熱転写のプリンターも買い、一応のことは出来るようになった。さらに2MのRAMディスクも買った。
 MS−DOSに出会ったのもこの頃である。ワープロが欲しくて買った一太郎に付いていたV2.1であった。
 PC−VANで出会った人に誘われてパソコンクラブに入った。そのパソコンクラブでは、草の根BBSを運営しており、そのホストプログラムいじるためにTurboPascalなどという言語を独学したのもこの頃であった。
 冬場のコタツでのプログラム作成のため、98noteを発売と同時に購入した。この機械はCPUはV30であったが、1MのバッテリバックアップされたRAMディスクを備えており日本語変換の辞書やコンパイラーなど今のようにサイズが大きくなかったことから常時入れておけ、ちょっとしたハードディスクのように使えて結構重宝したものであった。
 その後アプリケーションの大型化により、CPU速度の不足を感じてきたので、ディスクトップは80286を搭載したPC9801UXに、ノートは80386とハードディスクを搭載したPC9801NS/Eにアップし、さらにUXについてはCPUを内部クロック50MHzのIBM486SLCに取り替えるとともにBBSのホストで使っていた20M のハードディスクを譲ってもらいWindows時代を迎えることとなる。

DOS/V−486時代

 UXのCPU置き換えによりDOSでは相当速くなったと感じたもののWindowsでは、メモリーと画面のサイズ、色数さらに通信速度(当時の98は19.2Kbpsが最速)不足もあいまってほとんど使いものにならず、Pentium機への移行を決断することとなる。
 そこで98しか知らない私は、その当時最速であった98MateのXaを販売店に注文したのではあるが、生産が間に合わないとかで待てど暮らせど入荷せずついに3ヶ月たってしまった。
 この世界の3ヶ月というのは一世代に相当し、次の製品の噂も聞こえはじめていたので、いまさら買ったとたんに旧機種となるのが目に見えているものを買うこともあるまいと考え断ってしまった。
 そんな頃インターネット程度であれば何もPenyiumでなくても486機にメモリーを積みさえすれば十分動くとの雑誌の記事を読んだことと、Pentium機については半年すれば半値になるのがはっきりしてきたので、そんなに物がないのであれば、15万円以内の486機で半年持たしてそれから次のPentium機を買っても遅くはないと考えるようになった。
 15万円以下で買える当時のオールインワンタイプのパソコンには98ではCanBeがあったので、スーパーの野菜のように毎週変わる値段を見ながら買うチャンスをうかがっていたところ、会社の同僚からBig−SでDOS/Vではあるが、EPSONのViVidyという486機を10万円以下で売っているとの情報を得、 行ってみたところ、1台しか残ってなく、店員によればCanBeよりは速いとのことであったので、即購入した。
 これが私が98からDOS/Vに変わった事情である。その後ViVidyの情報収集のためNiftyのEPSONのフォーラムを訪れるようになり、そこで見たものが、2次キャッシュの取り付け、CPUの交換、HDDの容量の大きなものへの交換など改造の体験談であった。

 これを見ていて居ても立ってもおられず、まず最初にやってみたのが2次キャッシュの取り付けである。フォーラムでは秋葉原でメモリーチップを購入して取り付けるという内容であったが、私の場合は経験もなくどこで買って良いのか分からなかったこととViVidyのオプション用品を見ていてEPSONから発売されていること を発見したことから少し割高ではあったが無難な純正品を購入した。取り付けもICチップの向きなどが分からず苦労したが、付けてしまえば後わ何てことはなく、Biosが認識した後はBenchMarkで1割程度高速化した。

 2番目にはメモリーの増設である。その頃だいぶ安くなったところで買ったが4Mのもので1万5千円であった。今なら64Mが十分買えてしまう金額である。これも取り付けは初めてであったので、差込加減がよく分からずヒヤヒヤものであったが、動いてしまえば何てことはない。当初8Mであったものが 12Mとなりアプリケーションの起動が少し速くなった。

 3番目がCPUの取り替えである。Niftyの書き込みの中には色々なものがあったが、その中で確実に動きそうなのがIntelの486DX−100Mへの取り替えであった。地元のDOS/Vショップでは2万円近くしたもので通信販売でFAN付が付いて1万円程のものを購入した。体験談の通りの ジャンパーピンを設定し、電源を入れるとあっけなく動作した。これでさらに4割程度高速化した。
 ViVidyのマザーボードにはクロックを40MHzとする設定があったので、試してみたが2倍速の80Mでは動いたが、3倍の120Mでは起動すらしなかったので33Mの3倍速で使うこととした。

 4番目がHDDの取り替えである。その当時速いと言われていたQuamtumのFireBall 1.2Gbyteのものを購入した。スレーブに設定し、フォーマットした後、古いHDDに入っているものを全て新HDDに転送し、マスターに設定しなおして起動すれば完了であった。 これまたアプリケーションの起動が速くなった。

 五番目がメモリーの20Mへの増設である。ViVidyのメモリーはマザーボードに付いている4Mと2個あるメモリースロットに実装したメモリーの合計となる。しかもスロットのメモリーは同一容量とする必要があった。つまり、2番目の改造で4Mを1枚増設して12Mとなっている ことから次なる増設は4M+8M+8Mの20Mであるが、これだと8Mを2枚購入することとなる。これでは2枚の4Mが無駄になることからその当時売られていたSIMM VERTERなる4Mを2毎実装することにより8MのSIMMカード1枚となるようなプリント版を3千円程で購入し、新規のメモリーは8M1枚で済ますことができた。

 最後はビデオボードの取り付けであった。Trio64V+を使ったものが安く売られていたのでこれを購入して取り付けた。これにより速度がさらに速くなり、Win95もそこそこ動くようになった。

 しかし、ここまで来た時には、次に書く我慢できずに買ったPentium100Mの乗った東芝のBREZZAがメインマシンになっていたのであった。

改善効果
購入時キャッシュ取付時DX4-100M
3DBENCH38.441.658.8

DOS/V−Pentium時代

 当初の予定通りViVidyを購入してから半年が経過したため、Pentium機を購入した。機種はPentium100の乗った東芝のBREZZAである。
 ViVidyに相当入れ込んでいたのでもう少し使ってからとも考えたが、インテルのマザーボードとカノープスのドライバーで速そうだし、値段もそこそこであったので思い切って購入した。
 ViVidyの時と同様にNiftyの東芝のフォーラムで情報収集したところ、やはりDOS/V機である。ここでも改造に関する書き込みであふれており、また、同じ事を繰り返すことになってしまった。
改善効果
購 入 時キャッシュ取付時P5-120MHzP5-133MHz
3DBENCH90.983.390.9>100
Speedy60.3470.2568.9973.90
WinTach136.75153.34170.01181.29

 このように相当つぎ込んだのではあるが、次の自作キット購入によりだんだん使わなくなってしまい現在はほとんど冬眠状態にある。P55−200当たりが安くなれば取り替えてみたいとも考えているが、キャッシュがもう一つなのでそんなに速くならないかもしれない。

DOS/V−自作機時代

 なぜ自作に走ったかは、今もってはっきりしないのであるが、おそらくBREZZAの改造を続けているうちに市販品の改造では半年ごとに発表される新CPUについていくのは難しく、結局新品を1セット買うはめになってしまうことを漠然と感じていたのではないだろうか。
 それと、インターネット通販のページに割安なキットがあり、ViVidyの部品を使えば10万円以下で最新のマザーボードとタワー型のケースでパソコンが一台組あがることがはっきりしてきたためであろう。
 そんなこんなでケース、マザー ASUS P55T2P4、CPU(P5−133)、メモリー16M、フロッピードライブ、キーボードで7万円程のキットを衝動的に申し込んでしまうことになる。

 最初に組みあがったときのスペックは、ViVidyから1.2GのHDDと倍速CD−ROM、Trio64V+のビデオボード、ディスプレイさらにメモリー16Mを流用したものであった。  それでもBREZZAよりは1割程度速かった。

○改造履歴

次期マシン

 このところパソコンに関してこんな事を考えている。現在のマシンのスピードに不満があるわけではないのだけれど、そろそろ何かしたいという虫がうずいている。
 最近のAKIBAMAPなどを見ていると、バススピード100MHz時代などという言葉が飛び交っている。やはり次に挑戦するマシンは100MHzのバスクロックの3倍、300MHzクラスのPentiumMMX機なのであろう。
 PentiumUもあるが、私としてはSoket7にこだわりたい気分である。
 世の中の様子は、100MHzとするためのマザーボードと10ns以下のDIMMメモリーはすでに発売されているようであり、後は100MHz対応のCPUの発売を待つばかりであるそうである。
 そろそろ準備、つまり資金の準備に取りかかる時期に来ているようである。必要な物はマザーとメモリーそれにCPUと必須ではないがグラフィックボード、しめて7万程度と踏んでいる。
 決行時期は今すぐというのもまだまだ寒い日が続きそうだしCPUもまだであるので、もう少し時期を待って四月頃を考えている。
 この時期にCPUが発売されていない場合は、既存のPentium200程度を使っても良いかもしれない。というのは秋葉原のショップでP55−166MHzで100MHz×2の動作を確認したという情報もあるようである。

Socket7でのバージョンアップ

 暫く間が空いたので経歴としては少し飛んでしまったが、仕方がないので現時点の状況を述べることにする。
 いつSlot1に行くべきかと色々悩んだが、今もSocket7にこだわっている。理由は、マシンを新しくした場合、古いマシンが残ってしまうのだけれど、長く使ってきたものであるが故愛着があり、ついついそれも生かしていきたいという気持ちが働くもので、それを生かそうとするとCPUを順送りすることとなり、形を変えるとそれが途切れてしまう。
 そのため、Soket7のAMDK6−2を使い続けている。今後もAMDがK6のバージョンアップを継続してくれるか心配はあるが。
 メインマシンをK6−2−450Mにして、浮いたK6−2−300Mをセカンドに回した。セカンドで使っていたK6−200Mが余ってしまったが、Win98であれば十分実用になるので、これも部品を集めて使える状態にしたいと漠然と考えている。
 これではマシンが増えるばかりで、置き場所に困ってしまいそうである。

さらに続く