川面をわたってくる涼風が、茜色の空の下を歩く火照った体
を優しく包み込んでくれている。一年ぶりの訪問であった。
河口まで34キロを示す石碑が一面の草の向こうに広がる川
の流れを動こうともせず眺めているようである。吹き抜けてゆ
く風の中で葦の葉が右に左に揺れ、刈り上げられた土手がうね
るように波打っている。
「ギャインッ」
初対面の挨拶であった。体高65センチのドーベルマンから
は想像も出来ない臆病さであった。ビロードのように陽光の中
で輝く漆黒の体毛と、鮮やかな鉄錆色のマーキング。リードを
持たせて貰い河原を周回し始める。おとなしく左側を歩いてく
れる。九月の声を聞いたとは言いながら、昼下がりの河原は、
暑さと草の匂いで一杯になっていた。
血友病と輸血によるバベシアの感染に苦しんでいたドーベル
マン「ドペ」君との出会いであった。
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度重なる輸血の副反応のせいであろうか、脾臓の腫れを庇っ
ているかのように背中を丸めて歩くドペ君の姿がか細く、弱々
しく見えた。しかしリードを引く力は流石にドーベルマンのそ
れである。皮下出血の原因を作らないために、リードを強く牽
かせることはできない。走れない自分に歯がゆさを感じながら、
速歩で何とかドペ君についてゆく。リードを飼い主に返す頃、
ドペ君は脚足に座り、頭を撫でさせてくれていた。
一年に及ぶ、ドペ君と飼い主、そして私を加えた二人と一頭
の闘いの始まりの日は、何事もなく静かに暮れていった。
「思い切り走らせてやりたい!」
「犬であることを楽しんで貰いたい!」
帰路の車中で頭の中を駆けめぐった願いは、この二つであっ
た。この二つの願いを叶えるために為すべきことは・・・でき
ることは???
大きな命題を前にして小さな頭はフル回転を始めていた。先
ず病理の勉強、そして症例集の収集、ドペ君の過去の経過を記
したものがあるのかどうか、更に過去の担当獣医師の治療記録
や各種検査データーの収集・・・鹿児島から徳島の地に越して
きたドペ君の過去の記録が集められるかどうか・・・難問の連
続のように思えた。
署名欄に「血友病」「バベシア」と書かれたメイリングリス
トの投稿が目に留まった。犬種はドーベルマン。ロビンと暮ら
しはじめて二年が過ぎた頃である。同じ犬種、しかも致命的な
遺伝疾患と、おそらく輸血に伴うバベシア症の感染であろうと
思われる病気・・・他人事ではない。
こつこつと作り上げている私家版獣医学事典の項目から「血
友病」と「バベシア」について詳しく調べてみる。バベシアは
ともかく、血友病はやはり人間と同様、基本は輸血による維持
療法しか打つ手がないようである。しかし日本では犬の血液型
が判定できない。といって、血漿製剤を造って保存管理してく
れる施設もないようである。
病理は理解できても、臨床例が殆どないドーベルマンの血友
病に対してどんなアドバイスができるのであろうか・・・・・
僅かな時間ではあるが、リードを牽きながら観察したドペ君の
体調や体格は、我が家のロビンと比較するまでもなく良くはな
かった。特にアーチ型に湾曲した背骨は、決してドーベルマン
の体型にはないものであった。貧血を主因とする脾臓の腫脹が
原因なのであろう・・・・・
大腿部外側にできている鶏卵大の腫瘤・・・度重なる筋肉出
血による血餅なのであろうか。右前肢肘関節が僅かに腫れてい
るように見えるのも・・・おそらく、関節内出血を繰り返して
いるために起こっている滑膜炎症状が出ているのであろう。
完治することも寛解に至ることもない血友病を、なんとか友と
して共存させながら、ドーベルマンとしてのすべての素晴らし
さを発揮させる方法はないものであろうか・・・
迷路に吸い込まれそうになる思考を奮い立たせながら夕闇の
中に五色台の稜線を探し求める。
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