ドーベルマン・ドペ



自然探索路


 標高四百メートルの五色台山頂に秋の色が迫っていた。眼下
の瀬戸内海の輝きも、真夏のまぶしいぐらいにギラギラとした
輝きから優しい銀色の反射に変わってきている。季節毎に変わ
る山の表情をドペ君に見せたくなる。夏草が生い茂り殆ど歩け
なくなっていた自然探索路も季節の交代を迎え歩けるようになっ
ているはずであった。

 広場で芝生の感触を楽しんだあと、幅一メートルほどの自然
探索路の入り口にドペ君を連れて行く。入り口から五、六メー
トル進むともう急な下り坂である。土を削り丸太で設えた自然
探索路に入る。用心深くドペ君が急な階段状の坂道を降りてゆ
く。右前肢の肘が痛むのであろうか、スムーズに坂を下れない。
十メートルほど下ると十字路であった。更に坂道を下るか、右
に行くか左に進むのか・・・コースを右にとる。斜面を切り開
いた平坦な小径であった。鬱蒼と茂る樹々で日射しが遮られ、
落ち葉が敷き詰められた探索路はドペ君の痛んだ肢にとっては
最良の運動場であった。


 後ろも振り返らず小径を走り去るドペ君! しばらくすると、
全力で走りながら戻ってくる。休憩所として造られた木のベン
チに座りドペ君の運動を見守る。走っては戻り、また走り去る。
土を蹴る音が聞こえてきそうな勢いである。しきりにあちこち
の匂いを嗅ぎ情報の収集に余念のないドペ君が肢をあげた。切
り株の根っこにシャァァァァッと一筋、きれいな尿であった。
赤褐色に濁った尿ではなく、薄黄色の透明な尿である。軽くびっ
こをひいていた右前肢もちゃんと動いている。

 呼吸を整え、ドペ君と次の目的地に向かう。平坦な道が続き、
所々樹々の間から海と瀬戸大橋が見える。風も優しく身体を包
んでくれる。三メートルから五メートル前をドペ君が速歩で進
む。時折後ろを振り向いて我々が追随しているのを確かめまた
早足で進む。前を行くドペ君の姿が踊っているように見える。
急な角を曲がり、ドペ君の姿が樹々の中に消えてしまう。

 「ドペェェェェッ」
 「どぉぉぉぺぇぇぇぇっ」
 
 母親と二人が期せずして同時にドペ君を呼び戻す。
 
 「どうしたの?」

 怪訝そうな顔つきでドペ君が膝元に帰ってくる。頭を撫で軽
く背中を押し、前に進むことを促す。疲れも見せずドペ君が再
び樹の中に消えてゆく。また分岐路であった。どこからか人の
声が聞こえてくる。用心のためリードを付けたドペ君に母親が
引きずられながら歩く。下り坂であった。中腰になり、両手で
リードを握りしめた母親が倒れそうになりながら坂を下りる。
元気なドペ君の姿に思わず笑みが漏れ、母親の滑稽な姿が心配
の種を完全に吹き飛ばしてくれる。


 雨で半分以上流されたのであろう悪路に変わった上り坂を喘
ぎながらゆっくり登る。ドペ君のリードを持たせて貰い引っ張
り上げて貰いながらの小径は、景色を楽しむ余裕はなかった。
胴輪が擦れて皮下出血の原因を造ることだけは避けたいという
思いから、ドペ君の速度になるだけ合わせて坂道を上る。苦行
以上のものであった。喉から心臓が飛び出しそうになるのを必
死で押し込みながらの上り坂である。額から滴のように汗が噴
き出し、目の前の道がユラユラと揺れ始める。やっと広場の入
り口に帰り着いた。
 東屋のベンチに座りドペ君の遅い昼食である。メニューは、
赤味の牛生肉二百グラム、薩摩芋の蒸かしたもの三切れ、そし
てミルク味のスティックパン一袋、それに大好きなスポーツ飲
料水百五十cc。お座りの姿勢が長く保てないほど空腹のようで
あった。ガツガツと食べる。薩摩芋のお相伴に預かる。ペット
ボトルのお茶を一気に飲んだせいか、あまり味が解らない。

 母親は持参のお弁当に箸を付け、ドペ君はそのお弁当のお裾
分けに預かるべく母親の横できちんとお座りの姿勢。目線は食
べ物に釘付けのまま前肢を向後に踏み催促することも忘れては
いない。母親が食べ物を与えて良いかどうか目で尋ねる。答え
はもちろん「ノー」である。胸郭の深いドーベルマンは食餌の
あと、十分な時間をとってからでないと運動させることは胃捻
転などの危険を伴う。

 探索路でおそらく生まれて初めて思い切り走り、遊んだであ
ろうドペ君が、このまま素直に帰路に就いてくれるとは到底想
像できなかったし、仮に帰路に就いてくれるとしても食後直ぐ
に長時間のドライブをさせることはできない相談である。その
上、先ほどの食餌量はロビン以上であった。これ以上の食べ物
は厳禁である。

Dope The Dobermann
 ゆっくりと広場を周回し、また探索路の降り口から今度は反 対方向に進む。十字路を左に曲がり樹々のトンネルを潜りなが ら駐車場の方向を目指す。こんもりとした茂みに目を移す。小 さな通草の実がぶら下がっていた。足を滑らせながら茂みの中 に潜り込む。ドペに甘い通草の実を食べさせてやりたい・・・ 木をかき分けながら熟して真ん中から割れている実を探す。  のばせるだけ手を伸ばしやっと小さな二つの実を採り、じっ と待っていたドペ君に食べさせる。ベンジャミンと蜘蛛の巣だ らけになりながら林の中で懸命に通草を採った日と同じ光景が、 あった・・・