はじまりの日(二)



 さてさて、一難去ってまた一難! ロビンの健康状態は想像
していたよりは悪くはなかった。絞り上げるような咳だけが残
された問題である。しかしこれとても人犬一体となれば克服で
きないというものではなさそうであった。問題は妻である。亡
くなった犬たちを含めるとロビンは何と十六頭目になる、しか
もはじめての大型犬、ついでに「ドーベルマンギャング」とか
いう映画のせいですこぶるイメージの悪い犬種でもあった。

 その上に、本来妻は動物を苦手としている人であった。妻の
母親は「あなたの所は犬だらけで怖い、行けない!」といって、
遊びに来てくれたことも、私が持病のせいで入院しているとき
でさえもついぞ来高してくれたことはなかったのである。

 つまり家系的に動物嫌いの一家なのだろう・・・とはいえ、
老齢期を迎え病床に伏す犬たちの看病を始め、食餌の用意に始
まる日々の世話、庭にいる三頭を除いて各々に障害を持つ犬た
ちの世話など、まさに起床から就寝まで犬イヌ犬の生活を切り
盛りしてくれてもいた。しかし根本的な苦手意識は厳として存
在していることもまたどうしようもない事実でもあった。

 その上に、インスタントラーメン一つ満足に作ることができ
ず、縦のものを横に動かすとかえって面倒を起こすという曰く
付きの旦那の存在は、ワン君たち三頭以上のトラブルメーカー
でもある。とてもではないが正直に「ロビンをずっと預かる・・
家の子供にする」等ということを告げるわけにはゆかない。そ
の上これまでもずっと「里親を捜すから・・・」「病気が治っ
たら誰かに貰って貰う、大丈夫!」「だって可哀想だろう・・・
放って置いたら死んでしまうじゃぁないか・・・」等々、時間
稼ぎの方便を並べられるだけ並べずるずると拾ってきたワン君
たちを居着かせてしまった実績がある。

 何とかかんとか時間を稼ぎながらワン君達を今までは居着か
せることができた。しかし今度は違う! 飼養主はいるし、妻
にとってはかわいいという表現を脳裏に浮かべることさえでき
ないであろう漆黒の筋肉の塊、ドーベルマンである。どうにも
方策がない。考えれば考えるほど袋小路に突っ込んでしまう!

ロビンの生家
 ワン君中心の生活が妻にとっては私ほどの楽しみではないの は十分に解る。ゆっくり外で食事をとることも、ウィンドゥシ ョッピングに時間を費やすことも、大阪の実家に出かけて母親 とゆっくり時を過ごすことも、彼女にはできないのである。  その上できが悪いだけならまだしも、しょっちゅう病気で倒 れる旦那の世話とワン君たちだけでへとへとになり、時間と体 力をとられてしまうのであった。  難問であった! さりとてロビンを飼養主の所に帰し劣悪な 環境に戻すことはなおさらできないことである。いつまで妻が 私の嘘に騙されてくれることか・・・刻の流れの中に身を浮か べるしか方法はないようである。
「どうでした?」
「ウン・・・、詳しいことは検査結果を見ないと・・・」
「で・・・?」
「ウン・・・、咳が問題だと思う・・・」
「そんなに悪いんですか?」
「多分・・・」
「じゃあ随分長く預からないといけないんですね?」
「まぁ、しばらくは・・・」

 何とも切れ味の悪い会話である。妻の顔を見ないように、な
るべく暗い顔をしてぼそぼそと話すようにつとめる。

「食餌は?」
「できてます!」
「お肉は?」
「少し多めに入れてあります・・・」
「ウン・・・食べさせたら散歩に出かける、蘭も連れて・・」

 三十六計逃げるが勝ちであった。長く話を続けると嘘が完全
に見破られてしまう。見破られるともう開き直るしかしょうが
ない! それでは大惨事になるかもしれない・・・


 長くは持たないであろうと思っていたとおり、妻に全てを見
破られる日がついにやってきた。簡単なことである。それまで
のセダンでは大きなロビンを助手席に乗せられず、といって後
部座席ではフワフワシートのため今度はロビンの姿勢が安定し
ない。しかもロビンだけを乗せているのならまだしも、蘭たち
も乗せなければならない。

 ロビンが我が家にやってきてから一ヶ月が過ぎたころ、ロビ
ン用に購入した流行のワゴン車が納入されたのであった。完全
に嘘が破綻した日でもある。ベンジャミンが亡くなってから殆
どエンジンをかけることがなかったセダンの上にもう一台のワ
ゴン車である。ばれないわけがない・・・・・ロビン号と名付
けたワゴン車が破綻のきっかけを作ってしまったのであった。


「時間と体力が持ちませんっ!」
「・・・」
「ロビンにはちゃんとした飼い主もいるのに、どうして?」
「だって可哀想じゃぁないか・・・」
「でも死ぬようなことはないでしょう?」
「ウン・・・でも・・・」
「実家に帰らせていただきたいと思っています・・・」
「ウン・・・」


 どうにもだらしのない経過である。妻をなだめる方法がない!
ひたすら沈黙を守ることしかできない。どうも今度ばかりは相
当の覚悟を持っているようであった。「家庭のことは何一つで
きない情けない旦那様のことを思うと」、という妻の優しさが
今度ばかりは収まりのつく範囲を超えたようである。逆らうこ
とすらできないまま刻が過ぎてゆく。

「解った! 好きなようにしなさい・・・」

覚悟を決めるより仕様がないようである。

「犬と心中ですか!」

 返す言葉かないままに虚ろになってゆく頭で必死に考えよう
とするが、何も考えることができない。一言の相談もなく物事
を進めてきたこれまでの亭主関白ぶりを責め立てる声が続いて
いた。


 何処でどうなったのであろうか・・・! 絶体絶命の危機が
いつの間にか雲散してしまっていた。書斎と応接間以外への出
入りは禁止されてはいるものの、庭の犬舎から屋内の居室に住
居を移して貰ったロビンと、やっぱり一言の相談もなく物事を
勝手に押し進め、そのくせラーメンどころか、一人で外食する
ことさえできない、ワン君たちにだけはめっぽう優しい出来の
悪い旦那様が狭い室内で転がり回って遊んでいた・・・。

ロビンがきて二ヶ月が過ぎ、夏の一日がいつの間にか過ぎよう
としていた・・・・・