心の中で胎動を始めていた純子の葛藤が具体化する前に、一
通の電子メールが送付されてきた。前回の空白のメールを更に
丁重に詫びる内容と共に、純子のホームページを紹介するリン
クを張るための一樹からの依頼のメールであった。
相変わらず丁寧に書き込まれたメールからは何の感情も読み
とることはできなかった。コンタクトをとりたいという願望に
とりつかれていた純子には願ってもないチャンスが訪れたので
ある。しかし、空白のメールに対する詫びと、リンクを依頼す
るだけの簡潔な内容のメールは、心の中の高まりを押さえ続け
てきた純子にとって少々冷たい響きの手紙に見えたのである。
直ぐにも承諾の返書を出したいという想いと、自分の葛藤に
比べ、ほとんど事務的にさえ見える内容のメールを送ってきた
ことに対する一方的な苛立ちとの間に挟まれて、また一つ大き
なうねりの中に飲み込まれて行く自分自身を止めることができ
ないままの純子が立ち竦んでいた。
「この感情の揺れはいったい何なの?」
「どうして?」
幾度となく問いかけてみる。答えは返ってこない。
夏の日の午後の時間が気だるくゆっくりと流れて行く中で、
純子は立ち止まったままであった。全く一方的な、それでいて
どうしても解答を要求せずにはいられない、理由のない切迫し
た感情の波の中に飲み込まれたままの純子が戸惑っていた。
・・・ミステリアスなメールのおかげで、素敵なお話を読むこ
とが出来ました。数回のアクセスで、ようやく見終えましたが、
とても感動しました。
犬との距離が私とよく似ているような気がしました。
リンクの件、喜んで。
私の「お気に入りのリンク」のページからも、そちらのHPに
行けるようにしたいのですが、宜しいでしょうか?
良いお返事を、お待ちしています・・・
さざ波のように打ち寄せてくる漫然とした葛藤の中で純子は
ようやく返事を出すことができた。もっともっと長いメールに
なるはずであったが、いざ書き始めてみると何も書くことがで
きない。書くべき質問があまりにも純子の一方的な感情である
ことに改めて気付かされたのである。
遅い昼食を独りですませた純子は、近くの神社に出かけるこ
とにした。神戸からこの地に移り住んで十五年、未だにただ広
いだけで、山も川もない風の吹き抜ける関東平野のたたずまい
に慣れることができない純子にとって、唯一ホットできる場所
が自宅から車で十分ほどのところにある神社の森であった。
樹々が重なり合い、暑い夏の日差しを遮ってくれるその社叢
に着き、風の通り道になっている場所に腰を降ろす。じっとり
と汗ばんでいた体の周りを樹々の間を通り抜けた風が優しく包
み込んでくれるのを感じながら目を閉じる。風が運んでくる木
の葉たちの声が純子を眠りの国へと誘う。
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百日紅の紅い小さな花を照らし出していた冬の日の木漏れ日
のような陽光の向こうから誰か見知らぬ人が歩いてくるのが、
ぼんやりと見える。ゆっくり純子の休んでいる木陰を目指して
歩を進めてくる。がっしりした体格のその男性は、惑うことも
なく純子の方に近付いてきた。
強い日射しのためだろうか、逆光線の中の男性の顔がはっき
り見えない。
「純子さんですね!」
「えっ・・・」
「小早川純子さんでしょう?」
「はい・・・」
「やっぱり! 僕ですよ、お解りになりませんか!」
「・・・・・橋詰さん?」
「ええ、一樹です」
何故なんだろう? 一面識もない、バーチャルな世界でしか
会話を交わしたことがない二人が、こんなにも簡単に相手のこ
とを識別できることがあるのだろうか・・・
しかし、純子は確実に橋詰を認識し、初めて聞く橋詰の声も、
サマースーツに包まれたがっしりした橋詰の体躯も、かすかに
漂ってくる橋詰からのコロンのにおいも、全く違和感を覚える
ことなくごく自然に認めることができた、まるで何年も前から
の知人であったかのように・・・。
「お待ちになりましたか?」
「・・・あっ、はい・・・」
「そうですか、ここに来るまでにちょっとだけ迷子になりまし
たから・・・方向音痴なんですよ」
「おかしい! あなたが方向音痴だなんて・・・」
「そうでしょう、僕もそうは思うんですけど、でもそうなんで
す」
「凄い汗!」
「迷子になったあと一生懸命歩きましたから・・・」
差し出された純子からのハンカチを無造作に受け取った一樹
が、汗の浮き出ている額から顔全体をごしごしと拭き、また無
造作に汗で濡れたそのハンカチを純子に笑顔と共に返してきた。
上着を近くの木の枝に掛けながら一樹が樹々の間からかすか
に覗いている夏の空を見上げていた。
「不思議ですね、今お会いしたばかりですのに、もう何十年も
知っていたみたい・・・」
「あなたもそう思われましたか、僕も実はそうなんです」
「お座りになりません?」
「ええ」
木製の小さなベンチに腰掛けた一樹の体から汗のにおいと共
に漂ってくるコロンが純子の鼻孔を甘くくすぐった。かつてに
おったことがないはずのその香りは、純子にとって何故か懐か
しいものであった。その香りを身体全体で受け止めようと大き
く息を吸い込むために、両の手を突き上げようとしたとき、ま
どろみの妖精が飛び去った。虚ろな目を一杯に開いた純子の前
に、一樹の姿はなかった。
夏の日の終わりを告げる蜩の声が広い社叢一杯に響きわたり、
風が舞いはじめた。
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