夏の一日が終わろうとしていた。立て続けに送られてきた純
子からの二通の電子メールをプリントアウトした一樹は、戸惑
っていた。送られてきたメールを手にしたままクーラーの利い
た部屋を出て海岸通りの木陰を目指す。アスファルト道から熱
気が照り返してくる。午後四時を回った海岸通りの遊歩道には
人の姿はなかった。桜の木の下のベンチに深く腰を降ろし目の
前に広がる海を見つめる。ギラギラと輝いている海面から夏の
日射しが照りつけてくる。
大きく深呼吸をしたあと、送られてきた電子メールにもう一
度目を通す。二通目のメールが何を意味しているのか判然とし
ない。海面がかすかな風に応えて揺れている。二通目の電子メー
ルを更に注意深く読んでみる。やはり、どう解釈すればいいの
か戸惑いを覚える。伝わってくる感情は素直で激しく、それで
いてどこか可憐なにおいのする不思議な雰囲気を漂わせていた。
「小早川純子」、一樹の記憶の中には存在しない名前である。
メールの内容から推察できる年齢はおそらく三十代後半、かな
りの教養を身につけていることが、ホームページに書き込まれ
ている英語の文章からも容易に推察できる。しかし何故? 一
面識もない一樹に、これほどまでの激情とも言える感情をぶつ
けてくることができるのであろうか・・・・・解らない!
他人との深い交わりを極力避けて暮らしてきた一樹には、と
てつもなく衝撃的な内容のメールであった。黙殺してメールボッ
クスから消去してしまえば、それで全てが終わることでもあっ
た。
「いつもの手順通り機械的に消去すればいい!」
そう思いながらも、そのメールを黙殺することも消去するこ
ともできない一樹が狼狽えていた。何一つ手がかりのない、ど
う解釈していいのか、それさえもはっきりとしない一通の電子
メールが暑い夏の夕暮れ時を更に暑くしていた。
丸めた電子メールを手にしたまま、一樹は遊歩道の先の防波
堤を目指して歩き始めた。時折吹き上げてくる海からの風が上
気した一樹の頬を優しく撫でてゆく。
防波堤の先端についた一樹は遠くに揺れる島影を見るともな
く眺める。風が長い髪の毛を逆立てながら通り過ぎて行った。
ゆっくりと流れる夏の白い雲が西の空に吸い込まれ、その向こ
うに茜色に染まり始めた夕陽が浮かんでいた。小さく揺れてい
た海面が急に静かになり、波の音が消え始める。夕凪の時刻で
あった。
考えれば考えるほど不思議な感情のこもったメールであった。
どうしてそれほどまでに自分のことを知りたいのだろうか?
何故逢ったこともない自分のことが解るのであろうか?
どうして? 疑問だらけのメールの内容に一樹はすでに振り回
されていることを知っていた。しかし、そのことに不愉快さを
感じてもいない自分が存在していることもまた感じていたので
ある。
風の止まった海の真ん中で一樹もまた立ち止まったままであっ
た。
胸のつかえがおりないまま、軽い夕食をすませた一樹は自室
のコンピューターの前に陣取り、CRTに映し出されている純
子からのメールを眺めていた。素直に伝わってくる感情と、ど
う解釈すればいいのか考えれば考えるほど複雑に絡んでくる糸
を解すことができない半ば苛立ちにも似た感情とに押し挟まれ
て、また思考が停止した状態に陥ってしまった。
黙殺することは考えられなかった。とにかく何とか返事を書
かなくてはという思いが、一樹をコンピューターの前に釘付け
にしていたのであった。しかし、何をどう書けばいいのか、質
問に対してどんな答えを用意すればいいのか、乱れたままの一
樹の脳裏には何一つ用意されているものはなかったのである。
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小早川 純子様
メール拝読いたしました。拙い文章を綴っただけのホームペー
ジを御覧下さいましたことに対し深くお礼申し上げます。
また私の生き方についてのご指摘は、自分自身では、傍目に
どう映っているものなのか、考えたこともございませんので、
よく解らないというのが正直な答であろうと存じます。ただ、
他と交わることを好む性格ではありませんので、その点ではき
わめて個人主義的な生き様になっているのかも解りませんが、
これとても、確信を持って申し上げられるほどのものはござい
ません。
職業柄、自分の研究だけに没頭していればいいという環境に
おりますので、社会的にも閉鎖水域から脱し切れていないとい
う性癖を持っているのかもしれません。いずれにしても、貴女
のご想像になっているような鮮烈な生き方をしているというよ
うな要素はほとんど持ち合わせていないというのが正直な私の
答ではないだろうかと考えています。
それから、まだ一度もお目に掛かったことのない貴女から、
私の姿、形そして声の特徴まで指摘されましたことは、私も実
のところ大変に驚いています。人の世にはいろいろと不可思議
なことが起こりうるということを全面的に否定する気持ちはご
ざいませんが、それにしても不思議なことであると驚きを新た
にしております。
貴女の行かれた神社の境内というものが、どういうものなの
か私には想像することはできませんが、もし、私の知る範囲、
あるいは今脳裏に描き出されている風景と同じものであるとす
れば、ただただ、驚きを禁じ得ないというほかはありません。
頂きましたメールを繰り返し拝読させて頂いております内に、
私自身、すでに貴女に何度も何度もお目に掛かっているのでは
ないだろうかという錯覚にとりつかれ始めておりますことも、
また事実として存在しております。
いずれにしましても、ご送付下さいましたメールに対してご
心配になられているような怒りとか嫌悪感というものを抱いて
はおりませんので、その点だけはどうかご休心下さいますよう、
お願い申しあげます。
お申し越しのご質問等に対して十分な答を用意することがで
きていない返書になっていることと存じますが、自分で自分を
分析することの難しさと、説明することのできない不可思議な
出来事とにいささか戸惑っております現状をなにとぞご理解下
さいますようお願い申しあげます。
橋詰 一樹
何度も何度も自分で書いた電子メールを読み返し、出すべき
か、それとも今まで通り自分の生活とは関係のないものとして
黙殺すべきかという二つの答の間を行き来しながら、まだ見た
こともない純子という女性に思いを巡らせていた。
想像すべき何一つの材料もないままに蒸し暑い夏の夜の時間
を空費している自分の姿に苦笑しながら、一樹はそのメールを
出す決断を下したのである。返書に対してどんな反応が返って
くるのか、全く想像することもできないままに一樹は純子宛の
電子メールを送達したのであった。
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