| 水任流のお話 |

水任流独特の逆煽り足(当流ではこれを正の煽り足としています)
06.06.04

小池流・高橋師範の見事な浮き身
06.06.04
水任流の歴史(概要)
高松市の無形文化財として指定を受けている水任流は、
今から360年もの昔から高松に伝わる伝統的な泳法です。
江戸時代・寛永19年(1642年)高松藩の藩祖松平頼重公は
「讃岐は海辺の国なれば、水練は武道の一班たるべし」
と考え、今泉八郎左衛門盛行に命令して、大的場海岸の堀溜で藩士に水泳を習わせました。
この時、今泉八郎左衛門盛行は游泳目録十二ヶ条を作成し、
その中には「棒抜手游ノ事」「肱抜手游ノ事」 などの泳法が記されています。
享保5年(1720年)には、今泉八郎左衛門盛行の孫の今泉八郎左衛門盛 増がこの「游泳目録」の一部を変えて伝えました。
また明和5年(1768年)に芦沢清六より山室儀太夫に許された「伝心游泳録十七ヶ条」が残されています。
このように、江戸時代の高松藩では、水任流は御当所流(讃岐の泳法)として、
居合・太刀・槍などの武芸とならんで藩士の間で修練されてきました。
毎年夏には、大的場水練所において藩主の前で披露される御前泳ぎが行われ、水練の技が磨かれました。
5代藩主頼恭公の時代には大的場での游泳期間中の藩士の安全を祈る行事が
藩主の命令で行われていたという記録が残されています。
このことは、現代の人命尊重に似通うものがあり、藩の武芸として大切にされていました。
明治の時代になり星野平次郎が古典の「善游者任水(ヨクオヨグモノハミズニマカス)」という言葉をもとに、
これまで受け継がれてきた御当所流を「水府流水任游泳術」と名付けました。
星野平次郎は、水府流水任游泳術研究所をつくり後進の指導にあたるとともに、
香川県教育会高松市部会の游泳部の師範となり
市内の小学校・旧制中学校・旧制女学校・師範学校(現香川大学教育学部)の全児童生徒を指導しました。
そのために当時の高松の人たちは、いろいろな泳法を身に付けて、
神在の浜(高松市西部)や長崎の鼻(屋島)女木島などから大的場までの遠泳を行っていました。
この泳法の特徴は逆煽足(ギャクアオリアシ)を使うことです。
昭和6年には、明治神宮奉納演武大会で星野亀太、高橋数良らが「水任流」として全国に正式発表しました。
その後水任流は、絹漉清、三木嘉人、川崎重男、井筒一郎らによって伝承されてきて、
「水任流」として日本泳法十二流派の中の一流派として知られています。
※以上 水任流保存会資料より抜粋
すばらしい、ふるさとの無形文化財です。360年の伝統を絶やしたくありません。
わたしたちには、次の時代にこれを伝えるつとめがあります。
水任流保存会
水任流には以下の11段階の段級位があります。
入門〜三級〜二級〜一級 初段〜中段〜上段 準教師〜教師 準師範〜師範
段級位の審査には「水任流泳法段級位審査委員会」が、これにあたります。
現「第十五代師範」は福家恵美子先生です。
いきなり、お見苦しいものをだしてしまいました。と、いいながらこの写真、私のお気に入りです。
笑顔のホテルマン(当時45歳)、水任流・水書に初挑戦の巻です。
色紙に書いている文字は「泛く=うく」 水任流では「浮く」ではなく「泛く」といいます。
・・・・・平成10年1月8日・・・・・
平成9年の9月のある日
突如、思い立って水任流保存会に電話し、入会を申し込みました。
以来、毎週木曜日の午前中は大的場の室内プールにうきうきと出かけ、練習に励んでいます。
現在はかろうじて「一級」
免許皆伝への道は果てしなく遠い。
1月7日 ’99初泳ぎ
書き初め(私にとって2回目の水書) 今年のお題は「遠泳」
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