日本一大きい満濃池(まんのういけ)



高松市立古高松小学校4年3組 伊井佑一
1996年8月 夏休み自由研究

1.研究した理由
 ぼくは、1学期の授業でしの池や谷池や長尾池を見学しました。 香川県は、昔から干ばつの被害で米がとれなくて人々が大変こまったそうです。そのため多くのため池が作られました。 ぼくは、その中でも日本一大きい満濃池にきょうみを持ちました。以前に一度、満濃池森林公園に遊びに行きました。今回この池についていろんな方面からしらべてみました。

2.研究のテーマ
 満濃池にいってみてその大きさや歴史にふれてみました。 写真を取ったり町役場にも行ってみました。また、池にまつわる伝説や満濃池をささえた人々についても図書館を利用して研究のさんこうにしました。 

3.研究内容
   位置
 香川県の南西部の満濃町にあります。ぼくの住んでいる高松町から車で一時間ぐらいで行けて、レオマワールドがある綾歌町より南の方にあります。
   形 
 写真や地図を見ると手を広げたような形ですが、実際に池を見ると大きすぎて大きな湖(たとえばびわ湖)のような感じがしました。

   歴史 
 満濃町役場でもらったしりょうや香川県の歴史の本などからわかったことを年表にしました。




350〜710年米作りがさかんになる。(聖徳太子が活やく)
702年頃さぬきの国守(今で言えば知事)が満濃池をきずいた。



774年空海が善通寺に生まれる。



821年空海がこう水でこわれた満濃池をしゅうりする。



1596年西嶋八兵衛が浜松に生まれる。



1628年西嶋八兵衛が満濃池の作り直しにかかる。
1631年満濃池ができあがる(現在の形に近い)。

  満濃池をささえた人
     
 空海(774〜835)

 平安時代初期のお坊さん。真言宗(しんごんしゅう)を開く。弘法大師(こうぼうだいし)とも呼ばれる。空海は善通寺に生まれ、小さい時から学問が好きでした。804年、31才のとき遣唐使船(けんとうしせん)に留学生として乗り、唐の長安(ちょうあん)で真言密教を学んで806年に帰国する。816年、43才のとき高野山(和歌山県)に金剛峯寺を建て真言宗を開く。821年たびたびこわれていた満濃池をしゅうりし、農民たちを助けました。



    
 西嶋八兵衛(1596〜1682)

 土木技術家(どぼくぎじゅつか)で、遠江国(とおとうみのくに)今の静岡県に生まれる。1626年に4ヶ月の間雨がふらずイネが全部かれて人々は困りました。そこで翌年、讃岐(さぬき)の藩主生駒高俊(いこまたかとし)は八兵衛を讃岐にまねきました。満濃池のしゅうりをはじめ18年間に90あまりのため池を作ったりしゅうりしたそうです。



4.研究した感想

 ぼくたち家族は、八十八か所のお寺まいりをしました。弘法大師(こうぼうだいし)のぞうは、よく見ましたがどんな事をした人なのかは、知りませんでした。今回の研究でよくわかりました。
 また、米作り=水=ため池の関係は、深いつながりが大昔から今も続いているんだなあと思いました。
 それから、満濃池のりゅう神さまのお話しを読んだのでほんとうに今でもりゅうは、いるような気がしました。
 ぼくたちの住んでいるまわりにも、たくさんため池があります。その土地の人が苦労してため池を作って、田で育っているイネにゆるぬきで水を送っているのでため池は人間にとって大切だと言う事がこの自由研究をしてわかりました。


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