大 和 時 代 | 350〜710年 | 米作りがさかんになる。(聖徳太子が活やく) |
702年頃 | さぬきの国守(今で言えば知事)が満濃池をきずいた。 | |
奈 良 時 代 | 774年 | 空海が善通寺に生まれる。 |
平 安 時 代 | 821年 | 空海がこう水でこわれた満濃池をしゅうりする。 |
安 土 時 代 | 1596年 | 西嶋八兵衛が浜松に生まれる。 |
江 戸 時 代 | 1628年 | 西嶋八兵衛が満濃池の作り直しにかかる。 |
1631年 | 満濃池ができあがる(現在の形に近い)。 | |
平安時代初期のお坊さん。真言宗(しんごんしゅう)を開く。弘法大師(こうぼうだいし)とも呼ばれる。空海は善通寺に生まれ、小さい時から学問が好きでした。804年、31才のとき遣唐使船(けんとうしせん)に留学生として乗り、唐の長安(ちょうあん)で真言密教を学んで806年に帰国する。816年、43才のとき高野山(和歌山県)に金剛峯寺を建て真言宗を開く。821年たびたびこわれていた満濃池をしゅうりし、農民たちを助けました。
土木技術家(どぼくぎじゅつか)で、遠江国(とおとうみのくに)今の静岡県に生まれる。1626年に4ヶ月の間雨がふらずイネが全部かれて人々は困りました。そこで翌年、讃岐(さぬき)の藩主生駒高俊(いこまたかとし)は八兵衛を讃岐にまねきました。満濃池のしゅうりをはじめ18年間に90あまりのため池を作ったりしゅうりしたそうです。
4.研究した感想