校章の意味と本校の歴史

1校章について


旧校名「板西小学校」のころの校章

板西小校章
 昭和10年に現在のJR高徳線が開通。板野(当時は「板西」)は、徳島県の玄関口として、盛大な開通行事が行われた。高徳線の開通を機に、校区内の「阿波川端」「板野」「阿波大宮」駅を中心に「桜のごとく咲き誇れ」という意図でデザインされたもの。
 なお「板西」という地名は、現在鳴門市大麻町になっている「板東」と対になった地名で、「板野町」の前身は「板西町」と言っていた。今でも、県内のあちこちで、「板野町へ行くこと」をお年寄りが「板西へ行くんで?」という。当然、本校は「板西小学校」と呼ばれていた。
 この校章は、8年ほど前まで、講堂の舞台上に掲げられたままだった。


現在の「板野東小学校」の校章

現在の校章

 「板野東小学校」になったときに新しい校訓や校歌にふさわしいものにするために考案された。 1わかりやすく 2新鮮なデザインで 3意味の深いもの ということで募集されたらしい。
 「イタノ」を円にデザインしたものだが、いろいろな意味が込められている。
 まず、円は「心・地球・太陽」を意味する。「イ」の部分は、人を表し、かつ中心の棒を周りを人々が支えている様子を表す。「タ」の部分は「多」であり、全校児童を意味するとともに、みんなが助け合うという意味を持つ。「ノ」は、一生懸命支えている様子を表す。中心になる「人(個人=一人ひとりの子ども)」を全校児童が助け合い、支え合って、美しい心を持ち、太陽のように輝く学校という意味を象徴している。なお、色は「金色」または「青」と規定されており、「金色」は、「誇り高く輝くように」との願い、「青」は、「清い空気と美しい川の水」を表す。
 ※編集者感想「単にイタノのデザインだけと思っていたが、ずいぶんいろんな思いが込められているものだ・・・なんだかこじつけっぽい感じもするが・・・」


2 本校の歴史

このページは、本校の沿革や歴史的なデータなどを入れていく予定です。

まだ、作成中です。ごめんなさい。

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