5月7日(水)香川県文化会館、芸能ホールにて、5月例会および例会事業が行なわれた。今回の例会事業は2部構成で開催された。

第1部は法政大学工学部建築学科教授の陣内秀信先生をお迎えし、高松の街について陣内先生の研究をもとに基調講演をいただいた。第2部は「どうなる、どうする高松」をテーマに、パネリストをお迎えしてディスカッションしていただき、これからの高松の街について考えてみた。パネリストには、陣内秀信教授、(社)香川県観光協会専務理事:松岡勝哉氏、(株)天満屋取締役社長:伊原木隆太氏、四国新聞社論説副委員長:明石安哲氏をお迎えし、コーディネーターは、高松まちづくり協会会長であり元高松青年会議所理事長でもある野崎敬三氏にお願いし、活発な議論を取りまとめていただいた。


陣内教授は、主にイタリアの建築物を研究されており、ベネチア、フィレンツェなどの主要な大都市はもちろんのこと、周辺の小都市までも詳しく研究されている。その中で、1980年代から1990年代には廃れかかったイタリアの小都市が、街づくりのボランティア、行政の協力、そしてなによりその街に住む人たちのパワーなどによって、20年から30年の日々を費やしながら、大変魅力あふれる街になり、小さな会社や町の人々を中心に街の活力がよみがえっていった様子をお話された。
陣内先生は講演の中で、大企業や行政主導では小回りが利かないためまちづくりにおいては画一的になりやすく、魅力ある街にはなりにくい。素敵な街を築いていくのは、個人のもつアイディアとひとりひとりの思いであると述べられた。それはすなわち街に暮らし、街を楽しむ、生活を楽しみ人生を楽しむ、そして街の人達が心から人生を楽しみたいと思った時に、魅力的な素敵な街が自然とできるということを示唆されているのだろうと思った
「ゆめタウン」には何でもある。「マック」も「スターバックス」も「デオデオ」も「デポ」もある。一日中歩き回っても全部見られないほどのあらゆるものが揃っている。それなのに「ゆめタウン」になくてイタリアの小さな街にあるものは何であろうか?それは我々の心を癒してくれる空間ではないだろうか。心休まる木々、さわやかさを運んでくる水辺、懐かしさを感じる建物、歴史を伝える橋、疲れを癒す日差しなどを備え、その上で生活に必要なショップや娯楽を備えたもの、それが街というものなのではないだろうか。
「家庭」という文字には意味がある。「いえ」と「にわ」があって家庭となる。家族が生活を楽しみ人生を楽しむためには、「いえ」と「にわ」がなければならない。つまり、人が生きるためには心を癒す空間が必要だということであろう。高松には「イサム・ノグチ庭園美術館」「栗林公園」「屋島」「瀬戸内海」「猪熊源一郎美術館」などすばらしい観光スポットがある。しかし、本当の意味で魅力のある街になるためには、ひとりひとりの楽しく生きるためのパワーが集まり、行政の導きによって、日々の暮らしの中に癒しのある街に変わっていくことが必要である。そうなれば多くの人が高松を訪れるようになり、観光や産業も充実していくのではないだろうか。陣内先生には今回の講演の中で、これから高松の街が進むべきひとつの方向性を示唆していただいたように思う。
第2部では、野崎敬三氏のコーディネートによりパネリストの方々に、パネルディスカッションをしていただいた。その中で、サンポート高松の未来についての話題も話し合われた。パネリストの方々からは、サンポートにシンボルタワーができても人を集めることはできないであろう、との意見が相次いだ。サンポートは巨額の資金をつぎ込みながら、その使用目的、街づくりのビジョン、民間との話し合いなどその構想に不十分な点が多く、「ただ箱を作ってみた」という感がいなめない。それは、行政に頼りすぎている我々にも多くの責任があり、今のままでは日本と一緒に高松も沈んでいくのではないかと思われる。そして、さぬきの県民性なのか日本の国民性なのかはわからないが、現在本気で将来のまちづくりを考えて行動している企業や行政は、ほとんど見当たらない。もしかしたら60年前と同じように日本は、もう一度どん底を経験しないと本気で行動しないのではないかとさえ思う。
人生50年から70年にのびたとはいえ我々に残された時間は少ない。しかし、今の行政や経済が限界にきていて、まもなく大きな動乱が起こり、我々もそれに巻き込まれるであろう。その時この高松の街が、そして日本の国がどういうふうに変革し、どういうすばらしい街に変化していくのかをきっと間近で見ることになるのだろう。それにはきっと本当に大きな痛みをともなうだろう。しかし我々は、それを直に受け止め、ひとりひとりの力をあわせて、未来につながっていく街を築きあげていかなければならない。

例会事業を終えて懇親会の席で、陣内先生にはいろんなお話をしていただいた。お話を聞きながら目を閉じると、まるでヨーロッパを旅しているようであった。


Q.パリの街はどう思われますか?
陣内.パリの街はすばらしいが、あの街は王が築いた街だから面白味に欠けます。たとえば凱旋門から放射状にまっすぐな道が伸びていたり、綿密に設計された町だからです。私は個人的には民衆の力によってできた町のほうが好きです。


Q.それはたとえばどんな街ですか?
陣内.たくさんあるけど、まずはイタリアのベネチアですね。道路はまるで迷路のようになっていて、しかも車が一台もいない。それは運河を利用した水の街なので、街の交通は船によって行なわれているからです。決して便利さだけを追求した計画された街ではないけれど、民衆のパワーが伝わってくるすばらしい街だと思います。


Q.他にもそんな街があるのですか?
陣内.イスラム教の街にはそんな街がけっこうあります。モロッコの街を研究にいった時にもけっこう迷路のような街がありました。ある留学生によると、イスラムの街に比べるとベネチアは2次元だからわかりやすい、イスラムの街は3次元に複雑だと言っていました。これもまた民衆によってつくられた街のようです。


Q.他に、民衆によって作られたすばらしい街はどこですか?
陣内.ベルギー、ブリュッセルのグランパレは、市庁舎とギルド(例:フランダースの犬で有名な肉屋のギルドなど)が集まったところで実に美しい広場です。また、中世の町ブルージュも美しい町のひとつでしょう。ブルージュは中世のヨーロッパで最も栄えた町のひとつでしたが、気候の変化などにより運河が閉ざされ、何世紀にもわたって眠った町でした。しかし最近になって観光の町としてよみがえってきた町です。


Q.スペインはどうですか?
陣内.スペインの街はなんともいえないエネルギーがあります。建物一つ一つに民衆の力を感じます。有名な建築家ガウディ―が、アンダルシアの日差しの下で力を蓄えたことも納得できます。そして、ホワイトビレッジ(白い村)に代表されるように、気候や風土にあった街であるにもかかわらず、その自然なたたずまいが、すばらしい調和と美しさを示している街が多いのも、アンダルシアの特徴でしょう


Q.イスタンブールはいかがでしょうか?
陣内.以前何かのアンケートで、世界中で最も好きな場所はどこか?という質問があったときに、私はイスタンブールと福岡の中洲と答えました。両方とも屋台が並んでいたり人がたくさんいて、民衆のパワーを強く感じられる街です。また、東洋と西洋の交差点であるイスタンブールはイスラム教とキリスト教の接点でもあり、かつて世界の都であった街でもあり、すばらしいエネルギーを発散させている私の大好きな町のひとつです。


Q.西洋の話が出ましたが、現在のヨーロッパと古代ローマ帝国のつながりについて、先生はどのようにお考えでしょうか?
陣内.現在のヨーロッパが今でも、同じヨーロッパの民としてユーロの統合などを模索できるのは2つの大きな理由があります。そのひとつは同じキリスト教徒であること。カトリック、プロテスタントの違いはあれ、同じ神のもとにひとつになれる可能性をもっています。もうひとつは、ヨーロッパの国々は、古代ギリシャ、古代ローマの時代に同じ国として統一されたことです。古代ギリシャ、そして古代ローマ帝国は、その政治手法や、考え方において今でもアングロサクソンの見本になっています。現代においてもその影響があるほどの古代ローマ帝国は、ヨーロッパを研究する上で非常に大切なキーワードとなっています。

世界中で戦争や経済不況、SARSなど暗いニュースが多い中、ヨーロッパの歴史や建築物から街を考え、将来の明るい未来に夢をはせる、陣内先生のお話にはそんな夢つまっているようでした。
陣内先生のお話の一部を紹介させていただきました。たくさんの楽しいお話、本当にありがとうございました。