私の最愛の妻

        宮武房代 の事  (3)




  平成17年1月13日 苦しい抗がん剤治療終わる

  平成17年2月8日

  平成17年1月13日三度目の抗がん剤治療(タキソテール、カルボプラチン)が終わって
  薬の副作用(脱毛、味覚障害、手足のシビレ、爪の色素沈着)は確実に現れたが、
  肝心の腫瘍マーカーは下がるどころか、まだ上がってきている
  主治医の先生はMRIの写真を見せて、骨盤腔の深いところに腫瘍陰影があり
  切除出来るかどうか一度中央病院の外科の先生に診てもらったらどうだろうとの話が
  あった
  今まで腹部の腫れに対して穿刺して悪性細胞が見つかっている事から考えると、その
  腫瘍だけ取りきれればなんとかなるという保障もないので、この際は追加の抗がん剤治療も
  手術も受けないで出来るだけ家での生活を続ける事にした

  血便が続く

  平成17年2月16日
 
  横田外科医院を受診して、今までの病気の事を話して血液検査を受けた
  ついでに痛み止めの座薬、吐き気止めの座薬、止血剤などを処方してもらった
  今後いろいろお世話になる旨お願いして、帰りに中山うどんを食べた

  平成17年2月18日

  昨夜の2時頃お腹が痛いと苦しんでいたが、座薬を入れてその後朝まで寝ていた
  房代の顔
  朝起きてきて「二回も座薬を入れる様になった」「私もうそろそろだめなんだろうか」と
  聴いてくる(ツライ)


  平成17年2月21日(月
  
  寒いけれども、いいお天気の朝だ
  昨夜は少しお腹が痛いといっていたが、早めにボルタレン座薬を入れて寝たので朝まで
  ぐっすり眠る事ができたとの事で(良かった)
  昨日の日曜日、毎日家の中ばかりいるので公園の散歩か お寺参りでもと車で出たのはいいが
  あまりにも寒くて、道行く人が震えているのので急遽高松のワーナー・マイカルへ出かけた
  ところが11時30分頃だった為、適当な映画の時間がなくて
  仕方なく、房代の「鳴門のルネッサンスへでもいきますか」の声に従って11号線を徳島へ向かった
  ところ急に腹痛がひどいと言うので家に引き返した(駅伝があったので浜街道を)
  なんとか座薬で2時間ほどすると、元気になってほっとする
  夕方、キタチャンがやってきたので夕食を「すみ」で食べた

  2月22日(火)

  今朝も6時頃かから隣で痛がっている房代が可哀相である
  自宅での快適な生活を送れるものか ? 今は試行錯誤の最中
  少なくとも医者の自分がどの程度の介護をしていけるのか いけないのか
  目の前に次々起こってくる予想外の出来事(下血、腹痛、便秘などなど)
  に対してあまりにも無力である・・・・・情けない



  3月23日 彼女が眼鏡をかけて事務作業をするのがつらいとの事で
         この日から私が代わりに毎日の現金出納の仕事をする
         (彼女のようにきっちり出来るかどうか不安だ)
         でも、彼女の頑張り(3月の決算まではと)3月末までは
         銀行勘定帳、労務関係の仕事をやりとげてくれた(偉い)




  (しばらくお休みしていた)
  今年のスギ花粉は異常に多くて、そしてインフルエンザ(B型が中心)が4月最初
  まで流行したので忙しくて、日々の仕事や事務処理で疲れ切った
  3月23日までは現金計算や事務処理は房代がやってくれたが、症状がひどくなって
  からはいろいろ聴きながら自分がやっている
  そんなこんなで日記も書けなかった


  4月11日(月
  久し振りの日記である
  家で一人一日中寝ている状態となったので、出来るだけ横についていてあげたくて
  パソコンへ向かう時間を少なくしている 
  今朝はまた、家政婦協会から龍満さんというとてもいい人が来て掃除などしてくれるので
  助かる(午後2時までなので彼女が気を使って疲れるかどうかが心配である)
  昨日(日曜日)の夜8時頃、思い切って遺産相続、お墓、葬式、戒名などについて
  相談したところ・・・・自分の今後が残り少ない事を改めて知らされて泣く 泣く
  冷静になったところ  遺産は妹に500万円、弟に300万円、同級生に同窓会の補助
  として50万円、生協の還付金をユニセフへ、両親には必要ないかなーとの事であった
  お墓は私のと一緒にとの事でそれまでは置いておいて欲しいとの事である
  (子供がない自分達は将来の事を託しようがないのでどうしようか ?)
  葬式は私の発案で本当に親しい内輪だけで集まってはという事になった


  4月13日(水

  今日は第二水曜日なので医院の床のワックス掛けである
  ちょうどその時間を利用して、尾池さんの所へ4月にだした賞与の届けを初めて持って
  行ったところ不在だったのでポストに入れて帰ってきた
  初めて住宅地図を参考にして訪ねていったが、番町の閑静な住宅街にあるお宅だった
  マンションへ立ち寄って丁度玄関先にいた管理人さんにいろいろ頼んで帰ってきて、
  医院の清掃後の片付けをカンチャンに手伝ってもらって行った
  途中、医院のあれこれについて房代の妹カンチャンに聴いてもらう(しきりに感心している)
  房代は相変わらず布団の中で横になることが多い
  「 不思議なものね こんだけ弱ってなにも出来ないのにもっと生きていたいと思う 」
  「 もう一度元気になりたい 」
  「 明日は少し元気になれるような事はないだろうか 」 などなど話す
  昨日は輸血の相談を横田先生にしたが、血液検査の結果 思ったよりも貧血がひどくなかった
  ので輸血を中止して、血管確保をお願いした
  それから点滴、輸血を考えることにした
  少しでも希望を与えられ、良くなってくれることを祈っている


  4月14日(木)

  今朝6時頃、「またか」という声と共に痩せた体を起こしてトイレに向かう房代の姿を見る
  一時間毎に血液の混じった水様性便を出しにトイレへ行く姿が本当に可哀そうである
  見なかったらいいものを(本人も言うように)血液の中になにが入っているかを確認して
  いるようである
  先日は魚の押し寿司の中に挟まれていたシソの葉っぱが消化されずにそのまま血性の
  水様便の中に緑色をしてそのまま浮かんでいたのがとっても綺麗だったと感心(?)していた
  
  今朝はトイレに行ったあと 「 わたしもそろそろお別れかもしれない 」と言ったので辛くて
  辛くて左手を持ったまましばらく大声で泣いていた
  でもまだ手が暖かく声で答えてくれるので安心する(なにをしたらいいのだろう ?????)

 4月15日(金) 横田先生が房代の右肘に点滴をしやすいようにとポートを作ってくれた


  4月18日(月)朝

  昨日の晩9時頃堺に住む妹の和美ちゃんが来てくれた
  やはり妹には一番遠慮しないであれこれ頼めるようで、夕方電話があったときにどうしても
  来て欲しいと言っていた
  昨日の日曜日は朝のうちはかなり元気そうで金曜日からの点滴が効いている印象を受けた
  朝は食事の後の片付けをして、炊飯器の汚れまで綺麗に落としていたのにはびっくりした
  昼前から点滴(抗生物質と吐き気止め、貧血治療)をしていたが途中でトイレへ行きたいと
  言うので一度抜いた
  昼前にキタチャンがやってきてソーメンを作ってくれ3人でテレビ(新婚さんいらっしゃい)を
  見ながら食事をしたがかなり元気そうだった
  夕方再び残りの点滴をしながら、横に座ってあれこれ話したりテレビを見た
  (女子プロゴルフでは新人の横峰さくらが挽回して優勝したのにはビックリした)
  夕食は特別なにもなかったがラーメンを食べてみたいというのでカップラーメンとチキンラーメン
  を作って新しい第三のビールを飲みながら食べた(彼女も少し飲んで酔ったようだ)
  このビールは安いビールという事で話題になっているがお味は今二つといったところ
  

  平成17年5月1日(月

  今日から5月のスタートだ(少し曇り空)
  人間、日毎に体力が落ちて(ほとんど食べられない、飲めないので一日900mlの点滴だけ)
  くると考えることも暗くなってくる
  「もう自分が(私に)してあげる事がなくなったので、点滴をやめようか」などと言う
  どんな状態であっても生きていてほしいと願うばかりだが、本人は立てなくなってトイレも自分で
  いけなくなった時の事を考えているようだ
  家庭での治療、介護の限界かもしれない(といっても一時間に一度必ずトイレへ行かなくては
  ならない現状では病院でもなかなかいい対応が出来ないように思う)
  昨日の日曜ブ日の彼女の生活は朝7時に起床(もちろん一時間毎にトイレへ行っている)し
  一緒に朝のコーヒーを少量、アンパンを少し食べる(食べるとすぐにお腹がグルグル鳴って
  トイレへ駆け込まなくてはならないので極力食べないようにしている・・・かわいそう)
  その後布団の中でうとうとしながら休む
  その間を利用して、私は預金通帳の記帳をしたり、昼の食料を三越へ買いに行ってくる
  12時55分の新婚さんいらっしゃいを見ながら昼食(ざる蕎麦と鯖の棒寿司)を食べる
  いろいろとりとめない事を話しながらの食事で嬉しい(今後ももっともっと一緒に食事をしたい)
  その後、日課の点滴
  この点滴は近くの横田先生が作ってくれた肘部から右鎖骨下静脈に入ったポートで
  点滴はポートを刺すと簡単に入ってくれる(便利だ・・・彼女が生きているのはこのお陰だろう)
  約7時間かけて点滴する(午後9時過ぎに終了)
  昼食の残り物を二人で食べる(私は主にビールと酒である)
  風呂に入れない(お尻が痛くて疲れるようである)ので60度のお湯でタオルを絞って彼女に
  渡すと、嬉しそうな顔をして全身を拭いている
  痩せてしまった体が痛々しい
  11時過ぎにレンドルミンを渡して就寝である
  
  家を出ることが出来なくなって生活は寝室とダイニング、洗面くらいの10メートル以内であり
  つらい事だろう

  心配してくれている日和佐の両親や友達に電話をしてみたらと話すと
  「 こんな状態でお別れの電話はつらくて出来ない」 と言う・・・それもそうだ


  平成17年5月4日(祭)快晴

  朝から彼女の体調は不良である
  朝のコーヒーーも飲みに来ないで布団に入ったままでいる(辛い)仕方ないので休日の朝
  一人でコーヒーを飲みパンを食べた(味気ないものである)
  トイレのノブが壊れたているので、取り替え様の部品をダイキへ買いに行ったついでに
  鬼無のマルナカで昼食(寿司、サラダ、惣菜の詰め合わせ)を買ってくるも、食欲がないとの
  事である
  仕方ないので点滴を始めたところへカンチャンが堺からやってきた(彼女の嬉しい顔が見える)
  正直なものだ・・・・気を使うことなく接する事が出来る人は数少ないものだ
  午後はカンチャンに頼んで久し振りにサウナへ行ったが、タイミングが悪くて垢すりをして
  もらえなかったので5時頃自宅へ帰る

  平成17年5月5日(こどもの日)

  朝から快晴 亀水(たるみ)の公園のバラが気になって、カメラ ビデオを持って
  公園へ行ったがまだバラは少し早かったようで咲き始めといったところである
  取り敢えず綺麗に咲いたバラの写真を撮り、ビデオの録画も行った
  帰って早速寝ている房代にデジカメの写真を見せてあげた
  (「きれいね」 と言ってくれたが自分がもう見ることが出来ないと思って辛そうだ)
  そうしている時、日和佐の弟が子供がレオマへ来ているとかで顔を見せてくれた
  午後、房代の写真を整理して過ごす
  どうしてあげたらいいのだろう
  歩けなくなったらもう点滴はいらないと言うが・・・・・・どうしたものだろう(本当に困る)
  彼女はカンチャンが来ているので気分的に一番落ち着いているいるようだ
  夜は点滴のポートの上に水に濡れても大丈夫な絆創膏を3枚貼って入浴した
  (カンチャンありがとう)久し振りの入浴にオドロク


  平成17年5月9日(月)

  昨日の夜9時、点滴が終わってから夕食を二人で食べた
  なにもなくて、キタチャン達が持ってきてくれたサンドイッチとおにぎり、そしてチキンラーメン
  である( 彼女も喜んでたくさん食べてくれたので・・・よかった)
  後片付けをしていると、彼女がトイレからでて左の股関節が痛くて歩けなくなた
  ( どうしたんだろうと 不安そうである )
  夜のトイレ通い もし歩けない時は僕がおぶってあげると言うと
  「 はってでも一人で行く 」 と言う    
  辛いことだが、人間成長過程と逆のコースを取って衰えていくようである
  どうか痛みが引いて、まだまだ自由に歩ければと願っている
  
  大型連休が終わって、今日からまた忙しい診療がスタートである
  ( 昼休みにレセプトを持っていければいいが ) 
 

  平成17年5月12日(木)

  昨日の昼、カンチャンが堺からきてくれたので彼女も嬉しそうだ
  晩は8時頃点滴バックをつるしながら3人で食事をしたので良かった
  先日の左足の付け根あたりの痛みが少しは和らいでいるので歩くのはなんとか出来るので
  トイレ通いも自力で行けて一安心である
  今朝は5時半頃目が覚めてトイレへいっていたが、その後30分ほど一緒に寝ていた
  4,5日は痛み止めの座薬も使わずに過ごせている(癌がなおったのではと・・・・・)
  昨日の水曜日は気になっていた西さん、トモエさんの所へ行って近況を報告してきたので
  少しだけ気分が楽になった
  いろいろ心配してくれている方々への対応はどうしたものか ??


  平成17年5月19日(木

  点滴が1400ml入っているせいか、気分が良さそうでほホットする
  17日火曜日の午後カンチャンが来てくれて、あれこれ彼女の身の回りの世話をしてくれて
  いるし、夕食もきっちりと作ってくれるので有難い



  平成17年5月23日(月)

  今日からまた月曜日が始まる
  健康診断の用紙を持って子供たちが押し寄せてくるのが、時が時だけに不安である

  昨日の日曜日も二人だけで、だれも来訪者がいない
  朝からあまり元気がなく
  「 だいじょうぶ ? 」 と尋ねると 「 昨日からおしっこからも血が出てくる 」
  「 もぅだめだ 」 と言う・・・・・
  「 つらいなー つらいなー 」 と言うしかなく二人で泣いた
  もう積極的に食べたり、飲んだりしなくなって 私のお付き合い程度である
  食べると苦しいトイレ通いがあり、飲むのも恐いようである
  睡眠薬で眠っている間に静かに死ねたらと真剣に考えている

  二人で食事をしたくて三越で食料を買ってっきて、日曜日の遅い昼食を取った
  マグロのミンチとサラダを少し食べてくれた
 
  夕方決算の最終処理をしようとパソコンを彼女の枕元に持っていくと
  「 こんなになっても仕事をさすのは私を仕事の為だけに使ってきた 」 と怒って泣いている
  「 これはあなたにしか聴けないし、僕は頭が悪いからなかなか分からない 」
  というと・・・いろいろ教えてくれ
  自宅のパソコンで16年度の決算書を作製した・・・・・会計事務所のと一致した
  後は職員の5月分給料の振り込み作業(ファームバンキング)の準備である
  日曜日もいろいろあって休める時間がない
  私のおなかもすっかりスリムになって、シャワーの時にビックリするほどである 


  点滴のチュウーブがカーデガンで折れ曲がっていて詰まってしまい、横田先生に連絡
  すると昼休みただちに往診してくれ、
  生食、ヘパリンを通してスムーズに入るようになった(本当にありがたい・・・ホットした気分)

  平成17年5月27日(金

  昨日、尾路医科器械の岡原さんに無理を言って点展示用の電動ベッドとポータブルトイレ
  を設置した
  これで起き上がる苦労する事も少なく、一人でなんとかトイレへ行けるようになり一安心だ


  平成17年5月28日(土)の朝  快晴

  昨夜も和美ちゃんが夜、彼女に付き添ってくれたので 私はレンドルミンを飲んで11時頃
  寝て、5時10分に起きた
  彼女が痛い痛いと言ってカンチャンが思案顔である
  ボルタレンを入れて、介護を交代する

  彼女 「 なかなか死ねないね 」 
  私は 「 えらいなー 楽に死ねたらいいのにねー 」 と話す
  今までは彼女が死んでしまう事が耐えられなかったが、苦しい場面をたくさん見てくると
  早く楽にさせてあげたい・・・・などと考えが変わってきた自分に気付く
  少しの氷のかけら、シャーベットくらいしか口に入っていないのにお尻、尿からはくろっぽい
  血液と固形のものがたくさん(?)30分毎に混ざって出てくる

  午後4時頃日和佐のご両親と弟がやってきてベッドの横で見守っていたが
  トイレをしたいとの事で私が抱いてポータブルに座らせた
  その後まのなく意識がなくなった 

  平成17年5月28日 午後10時50分

  私が手を握ってあげ心音、呼吸音を聴診器で聴く中

  瞳孔散大、下顎呼吸、呼吸停止、心停止が静かに進み・・・・・・心臓が動かなくなった