ある耳鼻科の先生の独り言 PART F


        妻(房代)が残した メッセージ
               

        平成17年3月 医院の二階で療養中、

        (つらい)別れを 覚悟して 

        病床で書き残した心からの叫びです






  



  1、 お父ちゃん、お母ちゃんへ

    ( 平成17年3月14日 午後4時 )

   お母ちゃん 今日も私は 「 お母ちゃん 助けて お願い 」 

   と泣きながら 呪文のように繰り返していました

   お父ちゃん お母ちゃんに護られていた 幼い時のように 

   「 産んでくれて有り難う 育ててくれて有り難う 」

   年老いたお父ちゃん お母ちゃん 何にもしてあげられず ごめんなさい

   それどころか こんな離れた所で 「 助けて 」 なんて毎日 

   泣いて暮らしているなんて

   今もまだ こんな病気になってしまった自分が受け入れられず

   口惜しくて 口惜しくて  涙がこぼれてしかたないのです
 




  2、 T 化粧品  T・Kさんへ

     (平成17年3月14日)


   いつもいつも 力強い言葉をかけて下さって 有り難うございます

   お陰様で、2005年のホワイトデーギフト 私共職員皆様に手渡すことが

   できました  お忙しい中をいろいろ品揃えして下さって 感謝 感謝です

   でもホワイトデーギフトを私がお願いするのも今回が最後かなと思っています

   
   卵巣癌はどうも乳癌や子宮癌と違うみたい 完治するものと信じていた愚かな私

   骨盤内に転移や再発が起こったら ほんとうに どうしようもない

   どうもそうらしいです

   半分はあきらめて もう半分は奇跡がおらないものかと願いながら 

   時間の浪費をするばかり

   限られた時間しかないのなら もっと積極的に一日を 一時間を 一分を過ごさ

   なければならないのに 人前に出ることがはばかられ、小さな片付けにも 

   時間がかかって、ちっとも前向きになれません

   死に対する恐怖感でがんじがらめになっているみたい 

   ほんとに私はもうすぐ死んで灰になってしまうのでしょうか

  (妹の代筆) 平成17年5月4日 

  T・M さんへ


   私 点滴してもらって まだかろうじて生きています

   先には お姉さまを亡くされるというおつらいなかで 私のことまで ずっと

   ご心配下さって ありがとうございます としか申せません

   キャラメル1ケ、ドロップ1粒 心とおなかに暖かさ しみ込んでいくようでした

   お礼の電話をかける勇気が今の私にはありません

   そのうち そのうち かけますから




  3、 友達の E さんへ

   ( 平成17年3月15日 )


    E ちゃん 今なにしている この間(金曜日)はごめんね

    せっかく助けてやろうと 心配の塊になって来てくれたのに

    手を荒らしながら炊事をしてくれて有り難う ふとん干しや 

    トイレの掃除までしてくれてありがとう

    ほんとうに有り難う

    18才で同じクラスになってから 40年近くも友達でいてくれて

    いっぱい笑わせてくれて有り難う 

    ほんとにこれからのんびり昔話をしながらまた

    大笑いをするときが来そうになったのにこんな事になってしまうなんて

    無念で口惜しくてたまりません




  4、 妹 K ちゃんへ

   ( 平成17年3月19日 土 )

   もうすぐ午後5時30分、あなたが台所で私達の夕食の準備をしてくれる音

   トントンとまな板で野菜を刻む音を聞きながらこれを書いています

   7時のバスで堺へ帰るのよね

   何回も 何回も、自分の家庭も仕事もあるのに、私の為に長距離バスに

   揺られ来てくれて ありがとう

   朝からいろんな事をしてくれてありがとう

   私の背中をさすってくれて、抱きしめてくれて、散歩につきあってくれて

   繰り返し何度も何度も同じ話を聴いてくれて有り難う

   私はあなたと姉妹に生まれてきて 本当によかった

   でも、姉の私がやってもらうことばかりで、なにをやってあげたという記憶もないのに

   いろんな事をしてもらったという事ばかりが思い出されるのに

   こんなことになってしまってごめんなさいね

   荒れて辛そうな手でお風呂洗いや炊事をしてくれて・・・・・・

   どうにかしてそれを直してあげたい 

   先に、その辛さをもって天国にいけたらなあと思いつつ

   たくさんたくさん 妹のあなたが 若い頃から ずっと私のためにしてくれた事を

   思い出します

   弱虫の私につきあってくれました





  5、 友達 K ちゃんへ

   ( 平成17年3月20日 )
 

   K ちゃん ながい ながーいお付き合いでした

   いつも いつも お姉さんみたいに頼りにしていました

   とりわけ私が癌というどうしようもない病気になってから 優しさと力強さの

   こもった励まし 癒しの言葉を たくさん たくさん 有り難うございました

   御自分も腰痛持ちという、あまり自由にならない身体なのに

   私共のあの二階への階段を必死になって、雨の日はスカートを雨水で

   濡らしながら上がり降りしてくれた姿が目に焼きついています

   美味しそうに食べるのが羨ましかった  

   きっと私が少しでも食欲が出るようにとパクパクらべてみせてくれたのでしょう

   私がいなくなったら どうぞあれは控えて体重を減らしてね

   腰の痛みもなくなってどうぞ元気で長生きしてね  いつまでも


   皆が頼りにしているのだから

   また生まれかわっても友達になってね

   ほんとうに K ちゃん  有り難う



   平成17年3月20日

   彼女が自分で書いたのはこの日が最後です

   4月中頃、近くの外科の先生に助けてもらって

   中心静脈での点滴を開始、一時小康状態に

   なりましたが平成17年5月28日 夜 10時50分

   私が聴診器を当てるなか・・・・心臓の鼓動が止まりました 

 


  
     




    これで  妻(房代)が残したメッセージを終わります


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               ( 平成18年6月12日 更新 )