ある耳鼻科の先生の独り言 ブツブツブツ
PART G
1、最近の電子メイルは
毎朝電子メイルを開く事から始まります
ところが送受信をクリックするといっぱいのダイレクト電子メイルがはいって
いて戸惑っています
ホームページを公開していますので、私の電子メイルアドレスは自由に
取り込めるわけですから
勝手にいろいろな訳の分からなメイルが入ってきます
最近は横文字のメイル(バイアグラの販売)や出会い系のお誘いメイル
国内の商品販売メイルなどなど20カ所くらいから入っていて
本当に必要なものはわずかです
こちらも受信拒否をしようと次回から迷惑メイルホルダーに入れようと
設定するのですが、又翌日から同じような内容のメイルが必ず届きます
こちらのアドレスを変更すればいいのでしょうが、またいちいち
親しい人達にアドレスの変更届けで煩わすのも厭な事ですのでそのまま
にして使っていますが、なにかいい方法はありませんでしょうか
教えていただければ幸いです
ついでにダイレクトメイルで送りつけられる郵便物ですが、最近は
送り主へ直接電話を入れて送らない様に依頼をしています
(ゴミを持ち込ませない事を徹底するとかなりゴミの量が減りました)
2、 年賀状について
去年までは年末の非常に忙しい時でも、これだけはと頑張って取り組み
ワープロ、パソコンをフル稼働させて約800枚をだいたい12月20日頃までに
仕上げて、ポストへ入れていました
(亡くなった女房からは・・・・まあそんなにしなくてもといつもあきれられていました)
今回(18年末)は意を決して年賀状を止めました
これだけ通信手段が変わって、日常の生活はメイルと電話が中心の時代に
年の瀬だけは郵政公社とのお付き合いでせっせと年賀状作りというのも
いかがなものか ?
冠婚葬祭や健康の確認、住所変更のお知らせ、近況報告などなど確かに年賀状を
もらって ああそうか・・・・などとうなずく点は多々ありますが
まあ 「 年賀状は絶対にないと困る 」というようなものでもないだろうと思います
そこで、今回はいつもメイルで連絡を取り合っている人達へは
年賀状を出さない趣旨の事を12月の最初にあらかじめ知らせて
葉書を出しませんでした
そして、メイルで連絡をしていなくて年賀状がきた方には以下の様な年賀状を
1月2日に作って出しました (筆まめ)
来年からは年賀状メイルでの挨拶とさせてもらおうと思っています
職員(6名)にも年賀状を書かずで、携帯電話メイルで年賀挨拶を
しました
ついでながら、いつも 夏、冬のデパート商戦に巻き込まれていた
「 お中元 」 「 お歳暮 」 もきっぱりと止めました
御礼の気持ちを表すのは必要な時にすればいいのではないだろうかと
思ったからです
3、 携帯電話についての苦言
便利ですので私も携帯電話は一応持っています
でも、ほとんどは充電器の上に置いてあって たまに誰かと待ち合わせを
していて緊急の連絡が必要な時にだけ持っていきます
ある時、マリンライナーに乗っていて、携帯電話が突然鳴るので受信して
話していると
車掌さんから「 迷惑になりますので使わないでください 」と注意された事が
一度あります ( 自分ながら本当に情けない事です )
それ以来、携帯電話はマナーモードにして、受信した際には周りに人が
いないことを確認して電話をする事にしました
そこで、最近の現状を見るとあまりにもひどい
全くマナー違反の方が多すぎます
自分へかかってきた電話は自分の責任ではないとばかりに電話をとって
長々と話をしています
ひどい人は診察中の電話であろうと診察椅子の上で長々と電話をする人が
あって本当に驚きます ( このバカタレと内心は叫んでいます )
知らず知らずのうちに他人に迷惑をかけている事を早く自覚して、
なるだけ携帯電話を使わないようにしませんか
( そんなに緊急を要する話がたくさんあるわけない )
本当に重要、緊急を要する際に携帯電話を使い、他人には迷惑をかけない
というマナーが大事だろうと思います
( 小さな子供の教育や社会の事件を批判する資格がないのでは ? )
( マナーを守る事 )
4、歴史小説作家 吉村 昭 さんの事
吉村さんは平成18年7月31日、79歳で亡くなりました
四国新聞の追想メモリアル(平成18年9月6日)の蘭に共同通信
田村さんの文章が載っていましたので大変興味深く読みました
遺作となった短編「死顔」には死後の顔を人にさらすことへの抵抗感や
延命治療への疑問を透徹した視線で書き、実生活でも同様の思いを
家族に伝えていた
妻で作家の津村節子さんによると、最後は点滴のための器具をむしりとり
「 もう、いいです もう、いいです 」 と言った
彼は 「 自分の死を自分で決した 」 と津村さんは泣いた
と書かれていました
今まで私が見たお葬式、お別れ会では最後に故人にお別れをと死顔を
棺の蓋から覗いていましたが、
これは逆の立場では・・・・耐え難い一番厭な事だろうと思います
人間死ぬ時はたいてい苦しみがあり、やせ細り、顔も変わってしまって
いるもので、特定の人以外には見られたくもないというのが本心では
ないでしょうか ( この点を吉村さんは鋭く指摘しています )
吉村さんの病気は平成17年1月 「 舌が痛い 」 という症状で舌ガンが
見つかり、コバルト針による組織内照射を3回施行
そして、その後PETで膵臓への転移が見つかり平成18年2月舌ガンと
すい臓がんの全摘出手術を受けたそうです
その後、手術はうまくいったのにもどんどん痩せてくるし
( 私は転移をしているこの時点での手術には問題があると思います )
口から食事も取れなくなってきたので
本人、及び家族の希望で退院して自宅での療養を始めたそうです
亡くなる前日の事
吉村さんはいきなり点滴の管と管のつなぎめをはずしてしまい、次には
首の下に埋め込んであるカテーテルポート(心臓の近くまで入れた
中心静脈栄養の管)を自分の手で引き抜いてしまったそうです
この事は 「 どのように生きるか 」 「 どのように死ぬか 」
といった人間の生き方の根源的問題を吉村さん自身で意思表示
したものと思い・・・・考えさせられました
吉村さんが最後に書いて、奥様がゲラの校正をした短編「死顔」
には、江戸時代の蘭方医 佐藤泰然が、自らの死期の近いことを知って
高価な医薬品を拒み、食事もとらないで亡くなっていった事が書いてあり、
「 医学の門外漢である自分は、死が近づいているか否かの
判断のしようがなく、それは不可能である 」と書かれているそうです
でも、医者であろうと(私も医者の端くれですが)なかろうと、病気の悪化
につれて気力、体力が衰えてくるのははっきりと自覚できますので
医者が 「 あと残り・・ケ月です 」 という様ないいかげんな予測は
全く意味がないように思います
( 残される人達の勝手な準備の都合上の事だけ )
5、嫌な人とは付き合わない
ストレスの多い社会ですが、人間関係が一番問題です
人間を長くやっていますと、必要にせまられていろいろな方とお付き合いを
せざるをえません
でも、金銭欲、名誉欲、出世欲、義理 などを考えなければ
自分の好きな人達とだけ付き合って楽しく暮らせます
そういう理由でこれからはいろいろ近づいてくる方の中から
自分の正直な物指しで 好きな人とだけ付き合おう と子供のような
わがままを通してみます
先輩、後輩、同級生、医師会の先生、友達、地域の人達、営業の方、職員、
知人、親類縁者、仕事関係、その他誰であろうと
(いやな人とは付き合わん) を宣言します
残された人生が少なくなってきているのですから、極力ストレスが少なく
穏やかに暮らしたいと思っています
( 自分が亡くなった時・・・・義理ではなく本心から悲しんでくれる人が
いったい何人いるでしょうか )・・・・・・これが大事
我がワガ ママ人生に幸あれ ・・・・・
6、 独身になると
平成17年5月28日(土)妻が病気で亡くなり
その後はクリニックの仕事(診療)以外に金銭出納から職員の給料計算、
源泉徴収、社会保険関係、税金の事など多くの細々した仕事をせざるを
えなくなりました
まあ最近はかなり慣れてきましたが、つくづく有難さを感じている
今日この頃です
ここで少し冷静に考えてみますと
(たまたまですが)独身になって良かった事は
非常に自由である事
仕事以外の時間はなにをするのも自由、なにをしないのも自由
( ほんとにボーとできます )
なんにも干渉されません ( 怒られません )
なにを食べようと ( 臭いギョーザも自由に食べれます )
なにを買うのも自由 ( お金の使い方は全く自由 )
飲みにいくのも自由 ( 女房に断ってからでかけることもない )
いつ寝ようと自由
いつ風呂に入るのも自由 ( ですから今は朝風呂になりました )
いつ起きようと自由 ( 但し仕事がある日は朝玄関ドアーを開ける必要がある )
どこへ行こうと自由 ( 自由すぎてどうしたらいいか分からない時もある )
自由の反面には不自由な点も多い
信頼できる話し相手がいなくなったので相談することが出来ないし、
話相手がいないと人間寂しいものです ( 精神衛生上悪い )
自分の健康を心から心配してくれる人がいた時は
血圧が高い、ヘルニアがある、胃腸を壊しやすいなどなど自分の持病や
細かい事を知っていてくれたので
・・・・食事は出来るだけ塩分控えめ、アルコールの飲み過ぎには警告を
風邪の時はおかゆをなどとそつない対応をしてくれていました
それがなくなると
食生活も飲酒もまったくいいかげんになっていまいました
( 体に悪いのはあたりまえ )
食事に行く時ですが
こんな事は一人になってつくずく思う事ですが、店へ入る際に夫婦でしたら
堂々と入れたものですが、一人になると妙に入りずらくて初めて入る店などでは
「 一人ですけどいいですか ?」 なんて聴いたりします
散歩ですが
以前は、季節のいい時などは二人でよく近くを散歩しながらいろいろ話をしたり、
そのまま飲みにいったものです
が、一人で散歩するのは本当につまんないものです
( 夜、夫婦で仲良く散歩しているのを見かけると羨ましくなります )
旅行も
話し相手がいない旅は面白くもないので行かなくなる
夫婦が元気な時は、たまの一人旅(又はだれか他の女性との旅行?)は
息抜きになって楽しいと思いますが
独身になると正直に言って一人で旅行に行く気にはなりません
今は日々、独身生活の気儘な楽しさとその反対に寂しさ、不自由さの両方を
味わう日々ですので
心は揺れ動いています
( 素敵な西さんご夫婦のいいお顔 )
7、 所詮 男と女のつながりは ?
1、経済的つながり
2、精神的なつながり
3、肉体的なつながり
4、家庭生活のつながり
5、趣味の世界のつながり
6、家族(子供)を介するつながり
の六つの繋がりで考える事が出来ると思います
恋愛時代は2、3、5 (精神、肉体、趣味)が中心ですので、まだまだ夢があり
未知の世界があり、クワク、ドキドキとした毎日が楽しみ
いざ結婚して毎日同じ屋根の下で生活をするようになると
相手の欠点、厭な部分も見えてきます
時間が経つにつれて1、3、4、6 (経済、肉体、家庭、子供)が中心の関係
になります
時と共にそのウエートが少しづつ変わっていきます
男と女がその6つの点でお互いがどのくらいの貢献(働き)をしているかで
二人の間の発言権が決まってくるように思われます
例えば、一家の主人(男?)が 「 おい お茶 」 と言えるのもこのあたり(1)を
表しているもので、
「 自分で入れたら 」 と言えるのは、それだけ別の繋がりで貢献している
からだと思います (1、2、3、6など)
そこで、結婚してからも恋人時代の様な楽しい毎日を送る為には
二人が出来るだけ経済的、家庭的(家事)なつながりの
部分にはこだわらず、
5番の趣味のつながりを中心にして暮らしていければ望ましいのではないかと
思います
人生のゴールデンタイム(退職間際から10年間)は
お金儲けはほどほどで、家事労働も任せられるものなら人任せでもいい
楽しく有意義に暮す為には
二人の趣味を一緒に楽しみ、たまには体(手)を触れ合って喜びにひたる
こんな考えでいけばもっともっと恋人感覚の毎日を送れる様に思いますが
皆様いかがでしょうか
8、高坂(たかさか)キャプテンの事
平成17年の秋、ある居酒屋で知り合いになり気が合ったので
親しくさせてもらいました
以前、宇高(うこう)連絡線の船長をされていたので、キャプテンと自称し
サンポートタワーにあるイートピアのブログ活動の事も教えてもらって
参加しました
平成18年8月すい臓癌で亡くなった今はその膨大なブログの記事が
下のアドレスに残されています
http://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/
「 メモリアル キャプテンさんの掲示板 」
進行癌が見つかった17年末から亡くなるまでの8ケ月の生き方には
驚かされ、考えさせられる事がいっぱいありました
* 病気の事を総てブログで公表する ( 正直なところ驚きました )
* 病気でも自分に出来る社会的貢献を精一杯やる
香川県のレクレーション協会の会長としてレクの指導者を育てたり
香川県の発展(サンポートや男木島観光)に積極的に関わっていた
* 心友を大切にする
高坂さんはよく心友という言葉を使っていましたが、自分が死を悟った
場合には、単なる親友ではなく 心から付き合える心友が
大事だと感じたのでしょう
* 家族の和を大切にする
ですから高坂さんが亡くなった時にはたくさんの人々が心から悲しみ、
涙を流しました (心からご冥福をお祈りいたします)
男木島からの夕日を撮影するキャプテンを ( 「まどか」のご主人が撮影 )
ハーモニカを吹くキャプテン ( 男木島の「まどか」で )
お孫さんとのスリーショット ( 本当に嬉しそうな高坂さん )
これで ある耳鼻科の先生の 独り言(ぶつぶつ)
PART 8 を 終わります
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( 更新 19.8.6 )