PART 6 FUSAYO PHOTO
私が 心から信頼し愛した 人
( 香川 房代 )
想い出深い写真ばかりです
平成17年5月28日(土) 夜 宮武房代は 千の風 になりました
あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって わたしを目覚めさせる
夜は星になって わたしをを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あのおきな空を 吹きわたっています
あの大きな空を 吹きわたっています
あの大きな空を 吹きわたっています
( 原詩 作者不明 日本語詩 新井 満 )
平成17年6月1日(火)は 見送りにふさわしい、こんなに素晴らしい天気でした
彼女が本当に心を許していた両親、兄弟、友達、知人、職員のごく限られた人だけが
集まって、ささやかなお別れ会をしました
人間生まれてくる時も、死ぬときも見守るのは数人の親しい人だけです
( 見栄も外聞もありません・・・・・その人を思いやる心だけが大事 )
( 香川房代の生い立ち )
おそらく、お空の彼女はホームページの中に自分の事が書かれるのが
厭だろと思います ( 元気な時によく叱られました )
ですが、私としては彼女の姿をいつでも見えるという形にして お世話になった
家族、友人、知人、その他の皆様に偲んでいただきたいと思うようになりました
( こういう気持ちになるまでにはかなりの時間を要しました )
( 生まれは )
昭和23年10月7日 徳島県海部(かいふ)郡日和佐町(ちょう)
山河内(やまがわち)で
3人きょうだいの長女として誕生 (妹、弟がいる)
( 因みに私は彼女から9日後の 10月16日に誕生 )
香川房代 2歳の頃 ( 動物が大好きな女の子 )
おじいちゃん子でもありました
日和佐中学校時代 ( 山河内小学校の運動会で母親と )
徳島県立富岡西(とみおかにし)高等学校時代
(房代)
昭和42年4月 徳島大学 教育学部 幼稚園課程に入学
当時は学園紛争( ベトナム戦争、70年安保、大学管理法案などに対して)
の華やかな時代であり、生き方を真剣に考える日々でした
・・・・・・・・二人の出会いは(大学1年の終わりの春休み)
徳島大学教養部自治会設立 運動に中にありました
( 波乱に満ちた学生生活 )
大学時代 友人と徳島県の山奥 神山町(かみやまちょう)にある鱒の釣堀で
仲村くん 房代 私
昭和49年4月7日 結婚 ( 二人とも25歳 )
こうして見ると お母さんとよく似ています
新婚旅行は 沖縄県石垣島
レンタカーを借りて島を一周しましたが、信号機がありませんでした
レンタカーの会社の方からもらったパイナップルを持って嬉しそうな彼女
ハワイ旅行 ( 30歳頃、初めての海外旅行 )
一番信頼していた妹の和美ちゃん(かんちゃん)と
堺市に住んでいるカンチャンと房代
本当に仲のいい姉妹でした
友人の 榎本さん(えもちゃん) と井上さん(ひろちゃん)と
みんな若いな・・・・
えもちゃん 房代 ひろちゃん
徳島大学耳鼻科で勤務の頃 (夏休みに)
長野県飯山市で住んでいた友達を訪ねて行った時に ゴルフをしました
・・・・・・・・・・・・・・・パーマとサングラスの兄ちゃんが私です
その時に友達(吉田先生)の子供さん 陽子ちゃんをあやす房代
今、この子が徳島大学歯学部の学生ですから・・・・長い時間が経ちました
房代の大学(幼稚園課程)同窓会
彼女の死後3ケ月目(平成17年8月28日)に
高松の 「花樹海」 に集まってくれました
横に(丸山先生)
房代の誕生日には ( 年齢は秘密 ? )
平成17年10月7日
職員とキタチャン、カンチャンがケーキとバラの花と持って集まって
誕生日を祝ってくれました ( ありがとうね・・・・きっと喜んでいると思います )
きたちゃん(古川景子さん) 妹のかんちゃん
これで 香川(宮武)房代の 想い出のアルバムを終わります
彼女とは大学一年生の時からの長い長いお付き合いでした(37年間)
記憶力が抜群によくて、優しく、そして 控えめな性格でしたので
みんなから好かれました
お気に入りの写真とアニメ パート5 をご覧になる方は こちら
お手紙をいただけるのでしたら こちらまで
( 平成18年3月19日 )