Collarenebriにて言葉と文化の壁にぶつかる日々)

4月25日
「Collarenebriへ」
4月26日
「Vincent夫婦
との出会い」
4月27日
「学校初日」
4月28日
「2日目」
4月29日
「不満期に突入」
4月30日
「....」
5月1日
「初めての
週末」
5月2日
「無事?1週間
終了」
5月3日
「授業開始」
5月4日
「折り紙の悪夢」
5月5日
「ぼろぼろの日々」
5月6〜7日
「一泊旅行」
次のページへ

4/25(日) 「Collarenebriへ」

 6時過ぎに起きて、身支度をする。7時半にはもうタクシーが来ていて、急いで荷物を持って下りる。小山君はシャワーを浴びていて来れなかったが、その他のまだ残っていた人たちが、朝一に出発する角田さんと僕を見送ってくれた。タクシーの運ちゃんもいい人であれこれと話をしたが、僕は後ろの席に座っていたため、助席の角田さんが話し込んでいた。2人ともタクシーの中で気づいたのだが、角田さんと僕が乗るSydney行きの飛行機は便が違うので、後はそれぞれバラバラになってしまう。いっきに2人とも焦ってしまった。9:00の便で角田さんは行ってしまい、30分ほど一人で寂しく空港で座っていた。
 9:50分の便に乗り込み席に着くと、しばらくして70歳前後のおばあさんが来てとなりに座った。軽く挨拶をしたら喜ばれて、あれこれ、飛行機の中で1時間ほど話をした。鶴を折ってあげたら非常に喜ばれた。
 Sydneyで、Moree行きに乗り換え。どうしていいのか分からず、とりあえずスチュワーデスさんに頼んであれこれ世話してもらって、何とか11:35分のMoree行きに乗り込む。全席で30もあろうかというプロペラ機で、田舎に行くのを感じさせる。乗り込む途中にカナダ人の男性と少し話をした。
 飛び立って時間がたつにつれて、下には家もまばらにしか見えなくなり、赤茶けた半砂漠のようだ......風景が広がっていく.....まさに言葉にならない光景とはこのことだ。家と家の間の距離も、まさに、何キロ..何十キロの世界だ。
 途中に立ち寄った空港?も、半砂漠のような所に少し舗装された滑走路(のようなもの)があるだけで、もうなんと書けばよいのか分からない。そこで、50歳過ぎくらいの女性と話をしたら、なんとその人の息子は日本人の女性と結婚をしているということだった。また、その人は先生ということで、僕のことに興味を持ったようだった。大学で音声学を専攻しているといったら、/r/と/l/の発音のことで話が盛り上がった。非常にいい人だ。砂漠地帯であるせいか、外にいると妙にのどが渇いてしょうがない。湿気がないので、暑いのかどうかもはっきり分からない....不思議な感じだ。
 Moreeが近づいてきた。まあまあ大きいのでひと安心というところだが、この町も砂漠の中にポツリ、という感じだ。
 ようするに、言葉にならない光景ばかりだ。世界は広すぎると感じた。本当に日本しか知らないのではだめだと感じた。(Moree着)
 Moreeの空港に2人の先生(これから一緒に住む)が待っていた。Neil(50歳くらい)とPaul(20歳後半)だ。優しい人たちだ。ケンタッキーでお昼を食べて、車でCollarenebri(コリー)に向かった。途中はすべて乾ききった土地で、カンガルーも道端に2匹ばかり死んでいた。道の脇にはコットンが野草としてたくさん生えていた。2時間ほどで着いたが、本当に小さな所だ。メインストリートと呼ばれる所に数件店があるだけだ。Teacher Housing(教員住宅)に着くと、すぐに校長先生の所にいった。奥さんと3人の子供がいた。とてもいい人で、要するに何を教えようかと悩むことなく、楽しい時間を過ごしてくれといわれた。学校も紹介してもらった。明日(月)は休日(Anzac Day)なので、とりあえず火曜から学校だ。
 夕方5時過ぎから校長宅でバーベキューパーティーだった。学校の先生たちがいっぱい集まった。とりあえず、Vincent(30歳前半)、Brad(20歳後半)、Fiano、Cindyあたりは覚えた。Vincentは楽しい人で、あれこれと僕を楽しませてくれた。みんなはいろいろ話しているが、僕には全くと言っていいほど、何を話しているのか分からなかった。言いたいこともたくさんあるのに、言えないのは結構つらい。これもしょうがないだろう。疲れたので、Neilと2人で早めに帰った。Neilが息子に電話をしていて、彼が日本語を話せるというので、少し話をした。かなり日本語が上手なのには驚いた。
 
*ノーマルスピードの会話には全くついていけないし、使う単語も全く意味が分からず最悪だ。


4/26(月) 「Vincent夫婦との出会い」

 今日はAnzac dayで休日。朝は8時半頃に目が覚めてトーストを食べた。その後Paulに連れられて、学校を案内してもらった。帰ってきてからは、Paulの自転車のパンク直しを手伝った。途中Vincentに電話をして話した。5時からサイクリングに行く約束をした。その後、別の所にある教員住宅へPaulと行った。Fionaの所に行くと、すでに3人ほど女性の先生がいて挨拶をした。その後Vincent夫婦の家へ行った。相変わらずおもしろい人で、ソープ・オペラ(メロドラマ)のことや、歌手のことについて、あれこれペンと紙を使いながら、教えてもらう。それから、PaulとVincent夫婦と4人で昼食を食べて帰った。
 5時前にPaulとアパートを出た。自転車はNeilのを借りた。10kmほど離れたところまでのサイクリングで4人で行った。その途中に教えてもらったが、Vincentの奥さん(Cassie)は妊娠してるとのこと。でも、4人だけの秘密と言われた。往復20kmは少々きつかったが、最高にいい気分だった。帰ってきてから、Vincentの家でジュースをごちそうになった。その時、ネズミが多いと言っていたが、毒を食べて死んだネズミをVincentが捨てようとしたが、食べるまねをしたりして、また楽しませてくれた。Cassieは悲鳴ばかりあげていた。
 家に帰ってテレビを見ていたら、Paulがスパゲッティを作ってくれた。その後も10時30分過ぎまで3人でテレビを見たり、写真を見せたり、日本茶を飲んだりして楽しく過ごした。
 いい人が多くてとてもうれしい。少々汚い言葉も教わったが、これも一つの勉強だと思う。まだまだ言葉の壁は厚いが、今は仕方ないことだ。少々時間はかかるだろう。
 *朝食のときはNeilのオージー・イングリッシュが分からず、そのことで笑った。昼のVincentの家で、PaulとFionaと話をしたとき、夕べの話になり、校長先生が僕に”Are you tired?”と聞いたときの話になった。僕は校長先生は”Are you tall?”(オージー・イングリッシュは/r/を舌を巻いて発音しない)と言ったと思って、返事に困ったと説明したら、みんな大笑いだった。
 *Cassieが町に出るついでに僕の半ズボンを買ってきてくれるそうだ。
 *heaps=たくさんの意味/〜,ay?=付加疑問文/So there you go.=一定の会話の終わりに言う決まり文句。



4/27(火) 「学校初日」


 今日から学校だ。とりあえずスタッフ・ルームに行って先生たちに挨拶する。
 朝のAssemblyでSecondaryとPrimaryにそれぞれ紹介された。Primaryの子供は好奇心旺盛で、「名前は何だ」とか「’Yes’は日本語で何というのか」とか、いろいろ聞いてきた。
 Paulの理科の時間を見学する。1時間目は何もすることがなく、ただ見ているだけだったが、2時間目は、読み書きのあまり出来ない子供たちだったが、子供たちにせがまれて彼らの名前をカタカナで黒板に書いてあげたりして、授業にならなかった。子供たちの英語はとても聞きづらかった。(まさにmumbling)
 昼にNeilとTea Breakした後はDavid(アメリカ人)の歴史の授業を見学した。とはいっても,日本のこと(’Prefecture’とか、英会話学校の先生は金になるとか、文字のこととか)についていろいろと話して時間が過ぎた。彼は米語を話すのでかなりやりとりがしやすい。授業の後も俳句や短歌、文字のことで話し込んでしまった。Syllableという言葉を少し取り違えてしまった。明日訂正しよう。昼御飯の時間を逃してしまったので、Davidに近くのTake Awayの小さな店に連れていってもらった。
 午後の時間、教室の外に気分が悪いと座っているアボリジニの生徒がいたので、隣に座って日本のお金や写真を見せたら興味を示していた。
 夕方ミーティングがあって出席したが、何を話しているのか全く分からなかった。途中でPaulが帰っていいというので帰ることにした。帰り際にSupervisorをしていたBradと少し話をした。
 夜はテレビを見ながらあれこれしていたら、Taniaと友だちの2人の先生がぶらりと立ち寄って話をしていったが、全く何を話しているのか見当もつかなかった。その後夕食を済ませると、Paulがコンピューターを見せてくれた。その後リビングでテレビを見ていたら、Neilがカンガルーを見に行こうといってくれたので、3人で車に乗って見に行った。結局見えたのは3匹だけだったが、生まれて始めてみた生のカンガルーは感動ものだった。小さいのばかりだったが、すばらしかった。
 帰ってからは、今日授業でやっていた静電気のことで小さな実験をやった。昔はやった、ほほを手でこすって紙を倒したりするやつだ。しばらくやってしまった。


4/28(水) 「2日目」

 午前中はPaul・McCormack(一緒に住んでるPaulとは別)のPrimaryの授業に出た。Year5のクラスで、2、3人の悪い生徒がいた。子供が小さいだけに授業はしやすかった。少しばかり日本の紹介をしたが、あれこれと質問が飛び交い大変だった。それに子供の英語は解りづらく、Paul・Mに通訳(?)してもらわないと解らなかった。
 授業の前にDancingがあったが、子供のDancingはアヒルの体操というやつで,見てても恥ずかしかったが、Paul・Mが一緒にやろうと生徒の中に呼ぶので、やったが恥ずかしいことこの上なかった。
 昼食前の1時間は美術の時間で、折り紙を紹介してくれと言われたので、たどたどしい自分の英語をPaul・Mに通訳(?)してもらいながら、Jumping・Frogを教えた。余った時間は生徒たちと話をしながら、日本のお金を見せたりした。そのとき、お札の肖像画の部分に折り目を入れると、上から見ると肖像画の顔が笑って見えたり、下から見ると悲しげな顔に見えたりするのを見せると、かなりうけて、5$札のエリザベス女王でそれをやって子供たちは喜んでいた。
 昼からは、Neilと一緒に銀行へ口座を開きに行った。難しい説明ばかりでさっぱり解らなかったが、どうにか口座は開けたようだ。
 午後はVincentとDavidの受け持っている体育の授業(サッカー)を見学。Vincentと話し込んだ。今日の学校はこれで終わった。
 夕方はPaulとVincentの家へ遊びに行った。Cassieも帰っていたが、僕の半ズボンは季節はずれで、売ってなかったそうだ。しばらくジュースを飲みながら4人で話をした。途中でFionaも来たが、すぐに帰った。
 帰りに晩ご飯を買って帰り、Paulとで食べた。言うまでもなくPaulの皿の周りは、すごい状態だった。その後Paulが学校に用事があると出かけた間に、Taniaと2人の女性の先生がどかどかとやってきて、Neilとあーだこーだと話をして帰っていった。何を言っていたのかは相変わらず全く解らなかった。
 その後、小山君に電話をしたが、むこうはむこうで大変そうだった。明日から授業を持つそうだ。
 そう言えば、今日スーパーで買い物をしていたら、そこにいた生徒から”Mr.Hosokawa!!”と声をかけられた。何となく、うれしかった

4/29 (木) 「不満期に突入」

 やはり言葉の壁は厚く、思うように言いたいことが言えないのはつらい。まあ、それほど深刻ではないが....。まあ、Vincentが気を紛らわせてくれるので、少しは気が楽にいられる。しょうがないことだが、できるだけのことをしていくしかしょうがない。丁度、何をやっても上手くいかない時期に入ってきたようだ。(研修中に言われていたが、これがきっと”不満期”というやつだろう。)前向きに努力していこう。先生との間にもいろいろあるようだが、言葉が分からないだけに、上手くやっていくのが大変だ。とは言っても、先生たちとは上手くやっているが、ただ、先生同志の関係がいまいちつかめないだけだ。
 だんだんつらくなってきているのは気のせいだろうか。授業を持っている方が忙しくて、ある意味、楽になるかもしれない。日本語を勉強をしていると言う女の子がいたが、その子と話をしてみよう。
 何かしないことには、つまらないなことばかり考えてしまう。−嫌なことばかり考えても無駄だ。楽しくいこう、楽しく。−でも考えてしまう。せめて言葉が分かればいいのに。全く、今まで学校で習った英語は何だったんだ、腹が立つ。また愚痴ってしまった。
 どうも、自分の気持ちをはっきりさせないと、相手も自分も困ってしまうようだ。
 生徒と上手くやっていく方法を見つけないと、まだPrimaryの生徒はいいが、Secondaryの生徒とはどうやって行けばいいものやら。いつまでも「笑顔だけで言葉なし」というのではダメだ。思い切って言葉をかけた方がいいのだろうか。
 とにかく、こっちの授業のやり方を知っておこう。
 午後は、Vincentの授業を見せてもらった。オーストラリアを感じさせる授業だ。4つの遠くの学校と電話(マイクとスピーカーをつけて)を使って授業をやっている。教材はファックスを使って朝のうちに送っていたものを使っている。お互いの生徒がマイクを使って学習している。そして、必要があればコンピューター(Mac)を使って授業を進める。見た目がすごい生徒(ひげをはやして、ピアスを何個もつけている)もいるが....。Collarenebriが中心のようで、ここの先生が授業を進めている。しかし、それぞれの学校にも1人か2人か先生はいるようだ。
 この生徒たちが日本に行ったらまずやっていけないだろう。いや、絶対にやっていけないだろう。でも、悪い生徒といっているわけではない。その分、生き生きしていて、学校を楽しんでいるのは間違いない。まじめな生徒と、そうでない生徒がはっきりしている。中間の生徒がいない。
 夜はお酒を飲んだ。


4/30(金) 「....」

夜はクラブ(パブ)に先生たちと飲みに行った。酔ったのであまり覚えてない。


5/1(土) 「初めての週末」

 ここに来て初めての週末。午前中は近くの店にPaulと買い物に行った。半袖・半ズボンを買ったり、食料品・雑貨を買ったりした。それからお昼までは、Paulの部屋に学校から机を運んで入れたり、部屋の掃除を手伝ったりした。
 夕方は夕食の仕度を僕がした。カレーのルーを持ってきていたので、でお米を炊いて(これが結構うまくいった)カレーを作った。好評だった。果たしてNeilが言った「特別な米を使ったのか?」と言ったのは、おいしくて言ったのか、まずくて言ったのか.....。僕は普通のオーストラリア米を使っただけだが。
 夜はFionaの家でTania、Vincent、Paulとあと夫婦の先生(名前は知らない)と僕の7人で”Ass Hole”というトランプゲームをした。何のことはない、日本で言う「大富豪」だ。ちょっとルールは違ったが。PM8時からPM11時過ぎまでやってしまった。
 Fionaの屁が臭かった

5/2(日) 「無事?1週間終了」

 朝は昨日作ったカレーの残りを食べようとして暖めていたところに、新しくやってきた先生が奥さんと友だちを連れて挨拶に来た。結構話していたことも分かった。その後、カレーとパンを食べた。洗濯をして、その後Paulと自転車を乗りに出た。その前にビデオやの前をぶらついていたら、生徒たちに声をかけられ20分ほど立ち話をした。夕方からはTaniaとCassieとVincentとPaulの5人でバスケをした。
 とりあえず1週間が終わった。まだ授業らしい授業はやっていない(Davidの授業で少ししただけ)。
 今日初めて知ったが、ここの飲み水は雨水をそのまま使っているのだ。シャワーや洗濯は濁った川の水を家に引いて使っている。つまり、家には3つ蛇口があり,一つは雨水をためたタンクから来ている飲み水用、一つは川から引いたミルクティーのような濁った水が出る飲み水以外用、それと濁った熱い水が出るもの。
 田舎だけに親自身、子供にあまり教育を与えようという気持ちがあまり感じられない。
 来週からはPrimaryの授業を中心に見て回ることになる。もしかしたら、木曜日にPaulと一緒によその学校へ行くことになるかもしれない。
 こちらの学校ではコンピュータを当たり前のように使っている。日本とは大違いだ。
 今週は木・金と2回飲みに行った。木曜は帰りに学校でPottery(陶芸)をした。金曜はBradとテキーラの一気のみをやったりと結構飲んでしまった(匂いほどまずい酒ではない)。帰り際にPaul・MとBradが新しい者が夜一人で帰るのは危ないといって車で送ってくれた。やはり、夜の一人歩きはしない方が良さそうだ。
 生徒の授業態度は日本と比べると話にならないくらい悪い。先生の話をまともに聞く者もなく、授業中教室の中を歩き回ったり、外へ出たり、しゃべったりと。まあ、その分生き生きとはしてるが、ひどい。体つきはでかいが精神的にはかなり子供だ。
 まあ、何はともあれすごい田舎だ。雨は年に何回か降る程度。でも、人はいい人ばかりで、たった1週間しかたってないけど、かなり前から友だちでいる感じだ。日本は恋しくないが、日本語が恋しい

5月3日(月) 「授業開始」

 今日からはPrimaryをまわる。今日はKindergartenに行った。20人程の生徒でみんなとてもかわいい。が、やることはとてもやんちゃで、言ってることもほとんど聞き取れず、かなり疲れた。小さいのに超元気がよく、こっちが参ってしまった。
 授業では、じゃんけんを教えて、トーナメントを行い、優勝者には(Ashley君)5円玉のペンダントをあげた。昼前には日本の写真を見せて、あれこれ説明したりした。午後には、1〜5までの数字を日本語でどういうか教えて、帰る前に相撲の写真を見せた。
 帰ってからはPaulとNeilと買い物に出て、封筒と紙(いっぱいあって2$!)と絵はがきを買って手紙を書いた。
 夜は、ペッパーソースのソーセージを食べ、19:30からは、数名の保護者とのミーティングに出席した。その後はEric(新任の先生)とBradとで、ある先生(名前を覚えてない)の家にフットボールのビッグゲームを見に行った。が、ルールも何も分からないので、ほとんどずっと、うとうとしてた。そして、10時前に帰った。

5月4日(火) 「折り紙の悪夢」

 今日はYear1/2に出た。ここの生徒は26人で、昨日以上に元気がよく、飛び乗ってくるは、持ち上げてくれとみんなたかってくるは、教室では「私の隣に座ってくれ」、「僕の隣に座ってくれ」、「一緒に本を読んでくれ」と引っ張り回された。一緒にいるときは、ほとんどずっと、「〜見たことある?」とか「〜は日本語で何ていうの?」とか質問の嵐。かわいくなければ絞め殺すところだ。授業では、まず日本の写真を見せた。その後は今日も1〜5を教え、折り紙を見せた。が、これが悪夢の始まりで、Jumping Frogを作ってみせたら、みんなが、「私に作って」、「僕にも作って」と頼みに来る。かわいいので思わず"Yes"と言ってしまう。結局、学校から帰って26人分をとりあえず作ったが、Kindergartenの双子のAdamとJasonも作ってくれと来たり、他のいろんな生徒も作ってくれと来たので、いくつ作らなければならないのか定かでない......。中にはKangarooを作ってくれとか、船を作ってくれとか言う子もいて、ほとんどパニック状態。かわいくなければ迷わず"No"と言うのだが....。まあ、今日は子供たちに引っ張られぱなしの1日だった。夕方ひとりで家にいたら、Neilのお父さんから電話があった。が、言ってることはほとんど理解できず、かなり迷惑をかけてしまった。
 今日はSchool photoの日だった。朝、スタッフの中に入って、写真を撮った。
 帰りに、Joelともうひとりの生徒がプレゼントと言って、鉛筆をくれた。女の子も紙で作った小銭入れや、似顔絵を書いてくれた。
 英語はまだまだ理解できないことが多く、理解できても何と答えたらよいか、とっさに出てこない。まだまだ苦労しそうだ。
 それにしても、朝、会う人みんなにあいさつするというのは、非常に有効的な手だ。下手に難しい会話をしようとするよりも、簡単でより有効だ。
 毎日、たくさん面白いこと、心に残ることがあるけれど、全部を覚えられず、全部書き残せないのが残念だ。

5月5日(水) 「ぼろぼろの日々」

 今日はYear2/3へ行った。Grantのクラスだ。でも、彼に今朝、男の子ができたので、Sydneyへ来週の火曜日まで行くことになり、今日中にやってしまわなければならないことがたくさんあり、忙しいようで、午後から2時間ほど時間をもらっただけだった。最初、日本の地理的なことを教えようとしたが、難しすぎたようで、日本の文字を紹介することにした。Grantと生徒全員の名前をカタカナで黒板に書き、それを書きとらせた。その後は折り紙の飛行機を作って、みんなで飛ばして時間が終わった。学校の帰りにNeil、Tania、Cindy、Rouis、Grant、Fiona、Jenniferとパブにお茶をしに行った。
 朝、Cindyに折り紙のかえるを子供たちに渡してくれと頼んだら、とても喜んでいた。
 休み時間は、子供たちのおもちゃにされ、ボロボロにされている。(乗られ、蹴られ、たたかれ)
 今日はKindergartenの子供たちにかえるを作る約束をしたので、帰ってから20個作った。
 明日から一泊でブガディラの学校を行くことになった。(Year12の生徒がAssessmentを受けるため。)

5月6(木)〜7日(金) 「一泊旅行」

 6日の10時半過ぎにマンゲンダイからの生徒を乗せたバスが来て、Year12の生徒とPaulと一緒にブガディラへ向かった。途中Moreeで昼食をとった後、1時間ちょっとで着いた。すぐにPaulのScienceのAssessmentが行われた。
 3時頃にDavidが到着。入れ替わってPaulは帰って行った。夕方から、生徒たちとDavidとバスケをした。
 その後はブガディラの先生たちと一緒にバーベキューをした。話し相手がいなくて、少々退屈だった。
 夜の9時からDiscussionのためのビデオを1時間ばかり見た。が、少々寝てしまった。その後10時から11時までまたバスケをした。
 Davidと2人で教室に寝袋で寝たが、セキュリティライトが一晩中つきっぱなしでよく眠れなかった。
 7日は午前中のうちにAssessmentも全部終わりDavidの運転でマンゲンダイへ向かう。150km程だが、まともに舗装されてなく、途中はほとんどダートロードだった。マンゲンダイで生徒を降ろして、Collarenebriへむかった。4時頃に到着。家にはまだ誰も帰ってなく、しばらくうたた寝をする。途中VincentとPaulが帰ってきたが、すぐに自転車に乗って出て行った。しばらくして、Ericが電話を借りに来た。寝ぼけててあまりよく覚えてない。
 夕食はCindyの家でTaniaとJenniferとPaulと僕でご馳走になった。が、食べた後はみんなで酒を飲みまくり、踊りまくり、修羅場と化していた。かなり飲んだうえ、夕べあまり寝てなかったので、眠くなり、CindyとJenniferに車で送ってもらった。その後はキャベ2を飲んでそのまま寝てしまった。