研修期間(Melbourneにて)

4月18日
「出発の日」
4月19日
「初めての
 外国体験」
4月20日
「驚きの連続」
4月21日
「公園でイン
タビュー」
4月22日
「変な黒い棒」
4月23日
「研修終了」
4/24(土)
「Melrourne
最後の夜」

4/18(日)  「出発の日」

 さっそく、成田でどこに行けばいいのか分からず、同じ大学のOB(*偶然参加していた)福田さんに頼って、飛行機(カンタス便)に乗る。午前11時発。
 英語でスチューワーデスに水を頼んだが、持ってきてもらえず通じなかったと思ったが、後で隣の人が言うには通じていたが、スチューワーデスがただ忘れただけらしい。あれこれと心配してしまった。
 機長が英語で機内放送をするが、言っていることは全く分からない。帰りには分かるようになっているだろう。でも、オージーイングリッシュ(オーストラリア英語)を使っているのは分かった。
 昼食後から夕食までは、ほとんどよだれをたらしながら寝た......。
 現地時間の午後9時過ぎ(時差の関係で1時間損した気分)にSydneyに到着。Melbourne行きに乗り換える。午後11時前にMelbourne着。入国審査を受けるが、何を言われたのか分からず、笑顔で”Yes.”と2回言っただけだった。空港内でT/C(トラベラーズチェック)を現金に換えたが、ただ本を見ながらその英語を言っただけだった。
 バスに40分弱揺られて、宿泊地のDavis St.に向かった。バスの運ちゃんが”
ダイビスに行くのか”と聞くので変だと思ったら、”デイビス”のことだった。夜ということもあり、ほとんど外国に来たという感じはしなかった。町もかなり静かで暗く、オーストラリア第2の都市とは思えない。一つ気づいたのは、こっちの歩行者用信号は、青から赤(点滅)に変わってから、赤(点灯)にかわる。何か変だった。
 宿泊するApartmentに真夜中の1時頃着いた。4人部屋。少しみんなで話をした後、シャワーを浴びて、午前2時過ぎに寝た。
 もうすぐこちらでは冬なのに、蚊がいるのにはビックリした


4/19(月) 「初めての外国体験」

 午前8時前に目が覚める。天気は雲ひとつない快晴。鳥も鳴いている。窓の外は木ばかりで、まだ外国という実感がない。
 朝食を買いに近くの小さなスーパーに行く。コーラ(1$)と2Lの100%オレンジ(5$ちょっと)と、Ham Tasty(パン・2つ50¢)を買う。Ham Tastyを買ったとき、何か言われたが、さっぱり分からずにいたら、勝手に温めてきたので、きっと温めようかと聞かれたのだろう。パンはかなりまずかった。
 お腹が痛いのでトイレに行くがでない、しばらくふんばって少しでたと思ったら、後は下痢だった。
 Tram(市内電車)に乗って小さな学校へ行った。場所的には日本の銀座にあたるという高級な通りだった。オリエンテーションを受けた後、校内をぶらついていたら、何人かの小学生が先生たちと運動をしていた。子供と少し話すが、よく通じなかった。1人9才の日本人の男の子がその中にまじっていて、「
もっと大きな声で話さなきゃだめだよ。」と言われた。情けない。もっと情けなかったのは、がきんちょが”〜メーン!”などと挑発しているのは分かったが、言い返せなかったこと。
 夕方、宿の近くを友だち3人とぶらつき、Air Mailを出しに郵便局へ行った。料金を払うとき、どう聞いても、”Seventeen dollars”に聞こえたが、局員は”Seventy dollars”と言ったみたいだった。納得いかない。それから、近くの公園に行ったが、むちゃ広かった。
 夕食を買いに、近くの怪しい日本食屋へ行った。焼き鳥弁当(5$)をたのんだが、親父の手つきが、めちゃ素人で時間ばかりかかった。量も少なくて、味も変で、ご飯も少なく、サラダもキュウリのスライス5枚と、トマト1枚だけで、反省して正座で食べた。(笑)
 その帰りに酒屋によって、ビール3本とアルコールサイダーを買った。自分はアルコールサイダーを買ったが、ここでも相手の言う料金が分からない。”Fifty”に聞こえるが50$は高いし、50¢は安い。おじさんが包装紙の上に”1.50$”と書いてくれてやっと分かった。
 夜は男性陣で酒を飲みワイワイと楽しくやった。
 こっちの車の運転は皆激しい。みんな、タイヤを鳴らしながら、クラクションを鳴らしながら、かっ飛ばしている。交差点は多いが、信号は少なく、歩行者はみんな車の間を縫うように歩いていく。それと犬もよくしつけられている。街中でも、ひもをつけないで歩いている。


4/20(火) 「驚きの連続」

 午前7時過ぎに目が覚め、8時過ぎにベッドをでた。朝食を食べる時間はなかった。
 昨日の小学校で研修を受ける。お昼はテイクアウトの中華を食べた。Fried RiceとBeef with Black Beans Sauceを食べた。
Mサイズを頼んだが、食べきれない量だった。
 今日は昨日までとうって変わって、涼しく過ごし易かった。Stephen(*研修担当者)曰く、昨日・一昨日は異常だったそうだ。
 相変わらず小学生は可愛らしいが、憎たらしくもある。Gillian(*研修担当者)曰く、かなりnaughtyだと。
 研修の後は帰り道のスーパーで小山君(*同室で同い年)と夕食の買い物をした。ステーキを食べようと言うことで肉を買ったが、
牛ヒレが2枚(500g)で6$弱(=500円以下)という安さだった。料理は僕が受け持ち、ミックスベジタブルにパンと自慢のケチャップソースのステーキを食べた。ヒレにしては少し固いかも知れないが、思ったより軟らかかった。味もいけた。
 それと料理の前に電話が鳴るので、何も考えずに「もしもし」とでたら、向こうから”Hello”とGillianから。慌てて、”Hello”と言うと、”How are you?”などと聞かれて,”Fine”と答える。少しやりとりした後、河洲さん(*同室)へのメッセージを頼まれた。生まれて初めて外人と電話で話しをしたが、緊張しまくった。まあ、どうにかできてほっとしたが、まだまだだと感じた。
 昨日につづいて、今日も実家に電話をした。ついでに高校時代の同級生2人(今城君&けいぶ)にも電話をしたが、けいぶは留守だった。
 夜は部屋の4人で、参加メンバーのおばちゃんとかわいい子の話しで盛り上がった。
 夕方立ち寄った、酒屋とスーパーのレジの子が美人だった。Tramで横に座った女の子もぶっとびだった。


4/21(水) 「公園でインタビュー」

 今日も9時から研修を受けた。  昼休み昼食はまた中華のテイク・アウェイ。昨日チャーハンと肉炒めをMで頼んで食べきれなかったので、今日は”Small size of fried rice and chicken with sweet sauce, please.”と言うと、Sの器にチャーハンと鳥肉炒めを一緒に入れられ、さすがに少なかった。本当はそれぞれをSの器で欲しかったのに.....。
 昼食後は外人のガキンチョと遊んだ。JamesとSimonとLegendで、みんな面白い奴だった。特にJamesは気に入ったので、折り紙でカンガルーを作ってやった。折り紙は、こちらですると人気者になれる。
 夕方はCityに行くつもりだったが、Interviewの宿題がでたので、小山君とアパートの近くの公園へ行った。途中に立ち寄った郵便局で小山君はPepsiという名の女性局員(元西武のデストラーデそっくり)に気に入られ、住所を教えられて手紙を出すように言われてた。逆ナン??
 公園では5人にインタビューした。若い兄ちゃん2人と犬連れのおじちゃん(50代後半)と子連れの若い夫婦だった。皆、日本に行ったことはないが、日本食は好きだということだった。おじちゃんなんかは、「日本人は上にへつらい、いつも団体行動で」などと、ぐちっていた。お礼に折り紙(カンガルー、つる、ジャンピング・フロッグ)をあげたら結構喜んでた。
 夜はまたステーキを作った。今日はラム肉で厚いの2枚で$1.25とぶったまげの安さだった。別にまずいわけでもなかったが、牛ヒレの方がbetterだ。
 今晩もわいわいとみんなで騒いだ。


4/22(木) 「変な黒い棒」

 今日も相変わらず、同じような研修の繰り返しだったが、異文化適応セミナーで当てれ、みんなの前でGilianとのやりとり(日本語専任教師との上手な付き合い方)を発表した。
 小学生とも結構仲良くなり、折り紙をよく頼まれた。
 夕食の買い物にスーパーによった。精生食料品売り場のお姉ちゃんに、こっちのお菓子だといって、まずい変な黒い棒を食べさせられた。
 夕食はRainbow Troutづくし。たたきとバター炒めを作り、ご飯も炊いた。味はまあまあだったが、どちらかといえば肉の方がいい。


4/23(金) 「研修終了 」

 今日で研修が終わった。退屈だった。  小学生ともかなり親しくなり、やたらと折り紙を頼まれた。
 悪ガキはどこにでもいるが、ここの子どもはGillianが言う以上にnaughtyだ。人の帽子をとって逃げ、けったり、たたいたり、中にはつばをかけてくる奴もいた。でも、まあ、かわいいものだ。その分、おとなしい子が目立つ(少ないが)。
 夕方は3人(小山君・河合さん)でCityに出かけた。Victria Marketに行ったが、大したこともなく、帰りにMelbourne大丸により、ジュースとドーナツを食べた。大したことはなかった。
 夜はステーキを食べ、その後、姉ちゃんとけいぶに電話した。


4/24(土) 「Melbourne最後の夜」

 今日はBFP(Bilingual Friendship Program)があった。いろんな一般の人たちが来ていたが、中に、90年に松山の済美高校に交換留学生として来ていたという同い年の女の子もいた。みんな結構日本語が上手く、その上よく文化のことを知っているのには驚いた。
 松山にいたという子とはいろいろと話をしたが、彼女は宇和島にも来たことがあるといってた。また、松山のラフォーレにもよく行ったそうで、大街道にある、パチンコ屋の上に住んでいたということだ。結構かわいく、性格もよかった。大学では日本語と化学工学とかいうのを専攻していて、5年間かかるらしい。
 帰り際に後片づけをしてて、残った食べ物をアパートに持って帰るとGillianに言ったら、彼女は黒のゴミポリ袋に残り物(チーズ、フルーツ、プリンみたいなもの、クラッカーなど)をどんどん流し込んで、「どうぞ」と渡されたときには、4人(小山君・河合さん・川洲さん)でア然としてしまった。
 夜はテイク・アウェイの中華をいろいろと買ってきて、明日出発の一部の人たちと夜の12時過ぎまでわいわいとさわいだ。そこで聞くには、ギャーコラ(*ぎゃーぎゃーうるさいおばちゃんなのでそう呼ばれていた)が僕のことを気に入っているということだが、言葉にならない。さっき、途中で赤ワインの差し入れがあったのも、そのせいだろうか。
 夜、一緒に飲み食いしたときに、近くの学校に行く人とも知り合いになれて、先々いい助けになりそうだ。(この時は、まだオーストラリアの地図での近いがどれほど遠いかを気づいてもない僕だった......。)
  明日はCollarenebriに出発(6時起き)なのでもう寝よう。BFPに来てた人曰くCollarenebriは、野生のカンガルーがでるらしい。大人しいということだが、かなりでかいらしい。