SMAPと私(人に歴史あり)

私がいかにして、こんなにもSMAPにのめり込むようになったのか。

原因はなんだったのか。

探っていこうというコーナー
☆93年

☆94年

☆95年

☆現在


93年秋以前

『SMAP』を認識したのがいつかは覚えていない。ただ、どうやら夢MORIか、愛ラブSMAPを見た事があったのではないかと推察される。日常会話で、初めて『SMAP』という言葉を使ったと残っている記憶は、従姉妹との会話の中。光ゲンジのファンだと言う彼女に、『私はSMAPが気になる』と言ったような、微かな記憶が…。

ちなみにその時、誰が好き?と聞かれて『草なぎくん』と答えている。何故!?(すまん、剛。許してちょーだい、おやびん)

どうやら、いくらなんでも木村拓哉というのはミーハーだと思ったらしい。またいくらなんでもこの顔は出来過ぎやろと思っていた気配もあり。

93年秋前半

93年の秋と言えば、あすなろ白書が始まった時期。何故かこの時、『木村拓哉が出てるから見ないといけない』と思った私は、当時付き合っていた男と第1回を視聴。こんなアホみたい女(当然だがなるみだ)出てるドラマ誰が見るか!と言う双方の合意の元、それっきり見るのを止める。

93年10月23日

友人の結婚式のため、横浜伊勢崎町のワシントンホテルに宿泊。テレビをつけたままうとうとしていて、ハッと目が覚めるともう2時くらい。チャンネルを変えていると、突然夜中にも関わらず、若い男の子たちが歌い踊るステージが現れた。その番組でSMAPの楽屋風景が映り、慎吾が『水玉くん』のイラストを描いていた。また、じゃんけんで衣装を決めるシーンもあり、一番負けの木村くんは、すっかりスネて照明さんになり、慎吾はオーバーオールが欲しい欲しいとずっとカメラに向かってこそこそ言い続け、誰かがオーバーオールに手をかけるたびに、『水玉くーん…!助けてー…!!』と小声で叫んでいた。一番に選んだらのが剛で、二番目が森くん、か、吾郎。三番目が中居くんで、慎吾はその後だったのだが、最初二人がオーバーオールをスルーし、中居くんもよそばかりを見ていたため、もう慎吾はウキウキ!ところが。『俺、これー』とあっさりオーバーオールは中居くんの手に。がっくりと、残り3着になった衣装を選び出す…。

な、なんや!なんやこいつら可愛いやんけーっ!!

もう夢中!もう夢中!!

この日、数々の偶然に背中を押され、(なぜその日横浜にいたのか、どうしてその時間に目が覚めたのか、他に面白そうな番組もあったろうに、何故そっちを見なかったのか)私はSMAPへと、坂道を転がり落ちるどころか、フリーフォール状態で、今現在も落ち続けている。

ちなみにこの日私が見た運命の番組は、『スーパーアイドルオンステージ』。友人から改めてビデオを見せて貰い、幸せ気分に浸ったものである。

93年秋後半

さて、SMAPはいい!とはっきりと認識した私だったが、まだテレビを見るだけに止まっていた。その頃夢MORIのテーマ曲として、『10$』がかかりだしており、なかなかカッコいいと思っていた矢先、愛ラブSMAPの予告で、来週は10$を歌うというのを知り、わぁくわぁーくしながらまっていた。

その月曜日、会社で営業会議が1日あり、でも、これが済んだら愛ラブだぁーとウッキウキの私。その私の耳に『じゃあ、この後懇親会をやりますので6時に店の方に集合して下さい』という恐ろしい言葉が!

な、なにぃーっ!?聞いてなかったぞぉー!

一緒に行こうという女の子たちの誘いを振り切り、自宅へダッシュ!ビデオの予約をした私は、まさかここから何百本というビデオに埋もれて生活する日々が始まろうとは夢にも思わなかったのである。

また、第1回を見て、二度と見るか!と思っていたあすなろ白書だが、ふと見たテレビ欄に『友の死』とあり、む、これは泣けるのではと直感。久々にみたのが第8話。松岡が死んでしまう回で、もちろん泣けた。泣けたどころか、取手くんは素敵すぎた。当時の私の手帳には、「『俺、なるみに会ってからずっと淋しかった。付き合いだしたらもっと淋しくなった』1993・11・29あすなろ白書chapter8取手治(木村拓哉)黒のタートルとGジャンがよかったぞ」とメモがしたためられている。この時から、友人に取手くんがどれくらい可愛いかという事について力説を始め、FAXを送りまくる。集中攻撃にあった友人は何時の間にか中居くんの(何故??)ファンになる。ちなみに、拓哉の哉が也か哉かよくこんがらがっていた時期でもある。

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94年正月

年末年始のSMAPの番組を次々にビデオに収めていた私は、1月3日(だったかな)に大阪でコンサートがあると知り、当日券でもないものかと光ゲンジファンの従姉妹に何気なく尋ねた。すると、コンサートのチケットはファンクラブに入らないと手に入らないよといわれ、慌ててファンクラブに入会する。

94年春

二ヶ月かかるファンクラブの登録が、春コンの申込時期にギリギリ間に合い、初めてコンサートに行く(例の従姉妹と二人で)。大阪万博記念公演でのコンサートで、1日3回公演。3回とも取れていて、ほくほくしながら会場に向かったのだが、何故か帰ってきている人たちがいる。後に解った事だが、追加公演が前後に入り、彼らは1日5回公演をさせられていた。ちょうどあすなろを一緒に見た男にフラれた直後だった事もあり、『君は君だよ』を聞いて涙する(3回とも)。2回目の公演の途中から従姉妹が具合悪くするが、ロビーで勝手に休ませておいて、自分は最後まで見続けた(鬼―っ!!)。もし彼女がいなければ、たとえ帰れなくなっても最終公演のチケットを手に入れて見た事だろう。

その後、94年夏コン、95年お正月コン、95年夏コン、95年〜96年冬コン、96年春コン、96年夏コンと、回を追うごとに見に行く回数が増えていっているような気がしている。
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95年春

『がんばりましょう』が始まる。しかし香川県では、月〜水までしかやってくれなかったため、木・金を東京の友人に取ってくれと頼む。当時、オウム事件華やかりし頃で、深夜番組の時間帯はよく変更になった。しかし、とにかく追いかけてくれた彼女は、毎日、毎日(律義な彼女は月〜金で取ってくれていた)がんばりましょうを見続けたため、すっかりSMAPファン、しかも強烈な中居ファンになってしまった。95年後半から現在までのわずか1年強の間に、中居くんと握手する事1回、同じ電車に乗る事1回、勝利の女神のロケを見る事1回、ツアー先でメンバーと同じホテルに泊まる事1回、車を運転してる吾郎ちゃんを見る事1回、いいとも観覧2回(しんつよ1回、中居1回)の強者である。

現在

会社でも有名なSMAPファンとなり、協力体制がしっかりしている。ニッセイのおねいちゃんが配った中居くんのちらしは、根こそぎ私の元に集まって来るし、雑誌に載っていたSMAPの記事もぞくぞくと手元によせられる。火曜日は、挨拶代わりにすますまの感想を言い合う素敵な同僚に囲まれ、幸せな日々である。

また、コンサートなどで知り合った友人5人とコンサートに参加。香川2人、大阪1人、千葉1人、埼玉1人という距離の差を物ともしない遠距離恋愛状態が続いている。

1996年11月13日

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