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福岡正信の自然農法と茅茫庵(2)


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茅茫庵の修行(1)庭栽培と鉢植え栽培



 いま、私は福岡氏の自然農法は禅の世界にも似た修行の連続の世界として描いてみた。
私は、自分のこの12年間ほどの自分の修行の経過をつづってみようと思う。

私が、初めて作物とか、植物を自覚的に栽培し始めたのは、川崎市に住んでいたころに始まる。
川崎市ではマンションの5階に住み、ベランダが南向きで10メートルほどあった。
ここにプランターをおき、春菊やラディッシュを作ろうとしたのである。
はじめ、土を確保することがまず、問題だった。
私は、農家育ちだったから、土など畑や山から取れば問題はない。
しかし、川崎では私が自由に出来る土はない。
マンションの周りの土を掘ってやろうかとも考えたが、やはりモラルに反するここと思って出来なかった。
そこで、ホームセンターの店で赤玉土を買ったのである。何と、都会では土まで買わなければならないのである。
プランターに土を入れ、腐葉土を混ぜて土をならした上に春菊やラディッシュの種をまき水をかけた。
やがて、春菊もラディッシュも芽をだした。
ラディッシュは何とか数本が食べられる程度に生長したが、春菊は芽を出した後の生長が全く思うようにいかなかった。
沢山の種子が芽を出した時には「いける」と思ったが、なかなか生長しないのである。
葉も茎も小さいままである。
業を煮やして、一本引き抜き、口に入れてみた。
「硬いっ」。
硬いのである。食えたものでないのである。
「なんだっ!。こりゃっ」
 こうして、私の初めての野菜栽培はあっけなく失敗したのである。
春菊は余りに硬すぎたのか、一匹の虫もつかない有様であった。
プランター栽培は、土の管理も水の管理も難しい。
「知識も経験もないままでは、とてもプランター栽培など出来るものではないっ。」
と思った。
このマンション生活の中では、他に部屋の中でベンジャミンとガジュマルの鉢植えを買ってきて置いていた。
春、夏、秋の暖かい時にはどんどん生長したが、冬が終わる頃には枯れていた。
私は一人住まいだったから、マンションの中は寒い時間が非常に長い。
ベンジャミンやガジュマルはもともと暖かい地方の植物である。
日本のような気候の下では、自生もしておらず、不向きなのである。
このとき、思った。なぜ、日本にもともと無い植物が売られているのかについてである。
「熱帯地方の植物が販売されるのは、珍しいからだけではない。日本では育ちにくいからである。」
珍しいだけでは、商売にはならない。商品にはならない。
珍しくても、誰にでも簡単に栽培できるのであれば、すぐに商品としての価値は無くなる。
珍しくて、人の気持ちをひきつけ、そのうえ、作りにくくてこそ、商品になるのである。
客が、鉢植えを買って、家に持ち帰り、しばらく楽しんだ後、引き続き生き生きとしていて、何年も生きつづけたり、
花を咲かせつづけると、この植物の生産者、販売者はさらに販売を続けることが出来なくなるのである。
客が家に持ち帰って、しばらく楽しんだ後、枯れてしまうことがよいのである。
枯れてしまえば、ほしい客がまた買いにきてくれるからである。
だから、どこのホームセンターでも、売られている鉢植えの植物は栽培しにくいものが多いのである。
私はこの経験から、日本の気候で育ちにくいものは栽培しないことにした。
「金の無駄っ」
というものである。
気候に合わないものは、栽培に値しない、と納得するのが悟りというものである。
話が脱線するが、私は、
「日本の国が、製造業をどんどん発達させながら、なぜ日本人は豊かさに満足できないのか」
という疑問をもっているのだが、
ここに、ひとつの答えがあると思っている。
人間が製造するものはすぐ壊れてしまうからである。
車などはきわめて高い買い物でありながら、長く乗る人でも10年くらい、早く替える人は、5年、3年で替える。
パソコンなどは今や3年といわれる。携帯電話などは新しい機種がどんどん出て、どんどん陳腐化する。
買い換えるたびに金を払わなければならない。
寿命の短いものをどんどん作り、国民がどんどん買い換えると、国家から見ると景気が良いように見えるが、
働く国民は、独楽鼠のように働きつづけなければならなくなるのである。自分の時間がなくなるのである。
消費を拡大することが豊かな生活だなどと錯覚している者もいるが、消費生活など豊かな生活とは程遠い、
と納得して暮らしてみると、自分の消費を減らすことによって、自分の生活がだんだん豊かになってくるのを
実感することが出来る。
いまの私には、まだ出来ないが、一休や、良寛、沢庵といった禅僧たちがなにも持たず、
きわめて少ない消費しかしない生き方をしながら、その少ない消費に満足することができたのは、人間の
満足というものが消費の実現の中にのみあるのではなくて、少ない消費の中にも見出すことが出来るということの
一つの証であるのではないか。
実に不思議といえば不思議だが、これが私の実感なのである。

 話が、えらいこと脱線してしまったが、この話は今後も脱線しながら続けていくつもりだ。
で、とにかく、川崎のマンション暮らしでの野菜のプランター栽培や、観葉植物の鉢植えは無残な結末を迎えて
しまったのだ。
 川崎のマンションを引き払い、東京での仕事をやめ、故郷の愛媛県・松山市に家を求めた。
平成元年2月の半ばに松山市に移転し、4月の末に新しい家にはいった。
裏庭は15坪ほどの広さがあり、座敷の前半分には石を置いたり、庭木を植え、後の半分は野菜を作ってやろう
という具合で、トマト、ナス、ピーマン、スイカの苗を植えた。
 この住宅は不動産会社がミカン山を買い取って造成した造成地で、私が求めた土地は山の頭を削りとって
平らにした土地の真中にあったから、土は植物が生育するための条件からきわめて遠いところにあった。
砂か土かよく分からないような、松山市近辺の造成地に行けばどこにでも見出せるような痩せ地であった。
この痩せ地にトマト、ナス、ピーマン、スイカを植えたのだから、生育が順調というわけではなかったが、
何とか実をつけさせることはできた。
トマトは2本植えて、5,6個の収穫、ナスは3本植えて、3本程度の収穫、ピーマンは2本植えてやはり、5,6個の
収穫だった。スイカは3本植えて4個とれた。
 土は水はけは良いが、保水性を持っておらず、毎日、朝に夕にと水をかけなければ成らなかった。
土はすぐに乾いてしまうので何とかしなければならない。
土の乾燥を防ぐには、どうすればいいか。そのころにはビニールのマルチも見たことがあり、頭の隅っこの方には
あるのだが、意識はやってみるなどというには相当遠いところにいた。
私は、遠い自宅の畑から草を刈り取ってきて、この草を野菜の前に敷いてやった。
新築の家の更地の庭に、刈り取った草をしく。
まったく、カッコ悪いといったらありゃしない。こんなことする人はあまりいないだろう。
この庭でのトマトやナス、ピーマンは収穫はできたが、果実の出来はよくなかった。
水分が少なくて、ナスは非常に硬かった。後から知ったのだが、ナスは水ナスというぐらい水が好きである。
水分の少ない土では実まで硬くなる。
その点、トマトは土に水分が少ないと実に甘味がでる。ナスよりはましな結果だったが、とにかく個数がすくない。
毎日水遣りをした甲斐がない。
スイカは大玉の直径20センチくらいの果実になることを期待したが、後で分かったことには品種は小玉だった。
しかし、口に入ったのだから、まあ良しとした。
 この庭での僅かな野菜つくりと並行して、私はこの稿の「はじめに」の中でふれたように、実家の山の畑でキュウリ
の栽培を始めるのだが、このことはしばらく置いておいて、庭での野菜つくりを話しておこう。
 
トマト、ナス、ピーマン、スイカが終わり、今度は冬野菜の植付けである。
カチンカチンの庭土をスコップで掘り起こしながら、畝を作り大根の種をまいた。
大根の種は芽を出した。
だが、いっこうに大きくならない。有機配合肥料を買ってきて撒いてやったが、やっぱり太らなかった。
大根は全くの失敗だった。一本の大根も口に入らなかった。大根は太らなかったが、草はいっぱい生えてきた。
草は生えても、人には食えない。
2年目の春になって、今度はキュウリを植えることにした。2年目は1年目と違って少し工夫をしてみた。
キュウリの苗は2本だが、植える前に工夫をした。
大きな穴を掘り、大根の中で生えた草を穴の中に埋めてやった。
ホームセンターで買った有機配合肥料もまいてやった。
すると、キュウリは調子よく太り始め、実をつけ、「まあ、満足」といえる程度の収穫を得ることができた。
畑に生えた草を翌年の作物に与えることをおぼえたのである。
 
 この庭を畑としての栽培はこれまでである。
 庭の座敷前の半分は石を置いたり、木を植えて和風の庭にしようとしていたが、
チューリップの球根は植木鉢に植えていた。
この鉢植えというのが、なかなか難しいのである。土の具合がどうもよく分からないのである。
他人の庭をみると鉢植えのチューリップが実にきれいに咲いているのに、これがうまくできないのであった。
私は、鉢植えというのは難しいと思ってあきらめるようになった。

この野菜栽培をしていたところに平成3年の秋から工事を始めて、障子に囲まれた書斎を作った。
この書斎に私は「茅茫庵」という名前をつけた。
この私のホームページの名前が「茅茫庵」なのであるが、じつはこのホームページの名前は、この私の書斎の名前なのだ。
この書斎は4年の春に完成し、家内の友人がパキラの鉢植えと、幸福の木の鉢植えを持ってきてくれた。
またしても、観葉植物である。それに鉢植えである。
観葉植物は自分では買わないことにしておいたのだが、もらってしまえば面倒見ぬわけにはいかない。
それに、実は、私はあのパキラが好きなのである。
涼やかで、とぼけたムードを持つパキラが好きなのである。
貰ったパキラは大きくは無かったが、栽培法がカードにして木にくくりつけてあった。
このカードによると、赤玉土と鹿沼土と腐葉土を混ぜて、パキラを植えるとよく育つと言うのである。
貰ったパキラをこのようにして、少し大きな鉢に植え替えてみた。
なんと、パキラはどんどん生長するではないか。
幸福の木も同様にしていたが、こちらも勢い良く生長したのである。
「そうか、みんなは鉢植えの土をこのようにしていたのか」
と、納得したのである。
だが、考えてみると、赤玉土も鹿沼土も腐葉土も、みんなホームセンターから買ってきたものばかりではないか。
それに、赤玉土も鹿沼土も腐葉土も産地がみな違う。
「鉢植え栽培はこのように決まった土を金をかけて購入して作らねばならないのか」
私は、なおもこの事態に納得できない思いを抱きつづけた。
植物を栽培するにはこんなにもお金をかけなければならないのだろうか。
お金をかければ業者は儲かるが、何かしっくりしない。
「自然にある山や畑の土で、お金をかけないで出来る方法はないのか。」
「身近にある土で作る方法は無いのか」
この思いを私はずっと胸に抱きつづけた。
パキラと幸福の木は暖かい間、どんどん生長して見違えるほど大きくなったが、やっぱり寿命は長くなかった。
冬を越えて2度目の春を生きることができなかったのである。
観葉植物は常温ではなく、冬には温室に入れてやるなどして保護してやらねばならないのだ。
私は、もう絶対に観葉植物は買わない。
(2000.1.14)



茅茫庵の修行(2)無肥料、無農薬栽培のいきづまり



 それまで、花の鉢植え、プランター栽培は難しいと考えていたのに、赤玉土と鹿沼土、腐葉土を混ぜて作った土に
チューリップやすかしゆり、桔梗などを植えてみると実に簡単に栽培できることがわかった。
 そこで、今度は野菜をプランターで栽培してみよう、と思った。
少し大きめの植木鉢を買い、トマトとナスを植えた。
しかし、鉢植えのトマトやナスは花ならよく出来る赤玉土、鹿沼土、腐葉土を混ぜた土でもうまく出来なかった。
収穫は全くのゼロであった。
ホームセンターにいくとプランター栽培のトマトや、ナスが大きくなっていた。
元気なナスのプランターが一鉢千円くらいの値段がついていた。
いくら、観賞用でもこんな値段でナスを買う人が居るのだろうか。
それは、ともかく、鉢植えでもナスやトマトは栽培できるのである。
しかし、きっと土にまた何か自分の知らないことがあるのだろうと思った。
ナスやトマトを作るには、なにか土に秘密があるのだろうが、私には皆目わからなかった。
今でもホームセンターの鉢植えがどのような土や肥料を使っているのか分からない。
 こんな具合で、鉢植えの土の作り方をいろいろと思い巡らせていたのだが、鉢植えの話はここで一旦休止して
畑での野菜栽培に話を移すことにしよう。

 平成元年に松山市に住むようになって、6月ころ仕事を探しながら、ひまなので実家の山にある空いた畑にキュウリの種をまいた。
福岡氏の「わら一本の革命」や「自然に還る」を読んでいたので、土も掘り返さず、草も取らず、肥料もやらずに
地表の土を手で軽くほじくっただけでキュウリの種を蒔いた。6月の半ばのことである。
キュウリの種ははまもなく芽を出し、生長を始めた。
猛烈な勢いで生長をはじめ、茎はまだあまり伸びていないのに、葉はどんどん大きくなり、見るからに成長の将来が
期待できた。
地這いキュウリのように放置しても良かったのだろうが、竹を3本組んで紐を垂らして、その紐でつりあげるという具合で
上に向かって伸びるようにしてやった。
どんどん生長し、花が沢山着き、実もどんどん収穫が出来た。実はみずみずしくて、甘味が強くて、いままで食べた
どんなキュウリよりも美味しいと思った。
こんな具合だったから、農薬も全く必要がなかった。
 このとき、キュウリの隣に、インゲン豆を植えた。このインゲンもキュウリと同じように大成功であった。
取立てのインゲンは軽く茹でて、マヨネーズをつけて食べるだけで十分うまかった。
 「何だ、野菜作りとはこんなに簡単なのか、福岡式の不耕起、無肥料、無除草、無農薬で出来るじゃないか」
私は、そう思った。
「なんでここらの百姓は肥料をやったり、消毒をするのか」
と、思った。
 キュウリの夏が終わる頃、同じ畑に大根と蕪と春菊の種をまいた。
キュウリと同じように簡単に土の表面を掻き分けるだけで種を蒔いた。
だが、大根は所々に芽を出して何とか食べられる程度に生長したが、蕪は全滅に近かった。
全滅どころか、芽をだしもしないくらいの状態だったのだから、大失敗である。
春菊はところどころに生えたが、収穫はゼロであった。
大根は生長したといっても、小さいものばかりだから収穫に力が入らず、ほったらかしにしていたら
翌年の春に白い花が咲いた。
春菊も黄色い花を咲かせた。
平成元年の大根や蕪の敗色が濃くなった頃の10月末にソラマメの種を蒔いた。
平成元年の2月にはジャガイモを植えた。
平成2年の春になって、ソラマメとジャガイモが生長して、ジャガイモは何とか満足できる程度に収穫が出来、
ソラマメは少し収穫できた。
平成2年の6月ころ、母が作ったトマトの苗を10本ほど植えて、隣に前年と同じ要領でキュウリの種をまき、
在来種のとうもろこしを蒔いた。
在来種のとうもろこしというのは、最近よく売られている甘味の強いアメリカからやってきたとうもろこしでなく
以前からこの地方で栽培されていたほのかな甘味のある品種である。
トマトは草の中で成長を始め、一本あたり、10個から15個くらいの収穫ができた。まずまずの出来だった。
肥料ももちろんやっていないが、虫もつかなかった。
ところが、とうもろこしは40本くらい生長し始めたが、収穫できて食べることが出来たのは10本くらいだった。
生長が不十分だったのである。
とうもろこしよりも悲惨だったのはキュウリである。
前年と同じ要領でやったのに、収穫は曲がったキュウリが3本程度だった。
こんな悲惨な結果が出るとは思いもしなかった。
「一体、どうしたことだ」
「やっぱり、肥料無しでは作物は育たないのか」
私は、どうにもできない難題に突き当たった。
いま、思えば禅の公案を突きつけられて
「さあ、どうだ、応えて見よ」と師から突き放されたような状態だった。
「肥料無しで、前年と同じ場所でキュウリを同じように作れるものなら、作ってみよ」
と私は公案を天からもらってしまったのである。

 夏も終わる頃、また大根と蕪、にんじんなどの種を蒔いた。
大根は鍬で溝を作って、溝の中に種を蒔いた。
一週間ほどで双葉が開いて生長を始めた。
三週間目くらいになって葉っぱが成長し始めていたのだが、様子がなんだかおかしい。
「なんだっ?」
よく見ると、新芽の中心がなんだか縮れている。
「うーん、なんだこれは?」
列全体をみると、全体に広がっているではないか。
「虫でもいるのかっ?」
縮れた大根を引き抜いて、縮れたところを爪でほじくってみた。
虫は確認できないくらい小さいがいるようでもある。。
母に話すと、
「灰でもかけとけ。」
という。
それで、草木灰をかけた。
だが、この年の大根は、この縮れだけではなかった。
溝を作ったときにあらわになった土の表面から、うじゃうじゃと菜の花の種が芽を出したのである。
この菜の花が今度は大根の幼苗といっしょに腐りながら枯れていくのである。
この畑は、もともとミカン畑だったのだが、いつのまにか菜の花の生い茂る畑になって、おびただしい数の
菜の花の種を落としていたのである。
大根の幼苗と菜の花のそれとを見分けながら、菜の花を引き抜かねばならなかった。
この年の大根も皆無ではなかったが満足するには程遠いものになった。
 大根の3年目の話に入ろう。
またしても、溝を掘り、石灰を撒き、有機肥料を撒いて、種をまいた。
双葉を過ぎて、やはり3週間くらい経って畑に入ってみると、
「ややっ」
大根の新芽の中に黒いものが目につくではないか。
あちらにも、こちらにも。全体に広がっている。
「虫だぁ」
「コンチクショー、どうすりゃいいんだぁ」
「俺は、無農薬でやるっ」などと、いきごんで始めてみても、実際に大量の虫がついてしまうとどうしようもない。
「やっぱり、農薬無しでは野菜はつくれないのか」
情けない気持ちではあったが、私は母から粉状の臭いのきつい農薬を貰って大根に撒いた。
こうして、私は肥料も農薬も使うようになったのだ。
そして、前よりは立派な収穫を上げることが出来るようになった。

肥料も農薬も使うようになると、農薬はやはり控えめにとは思うが、肥料は石灰や有機配合肥料、鶏糞、牛糞の
入った堆肥を多用するようになった。草も刈り取ってしまい、ナスやキュウリ、トマト、とうもろこし等の残骸は畑の外に
捨てるようになった。土も掘り起こして、種をまくようにもなった。
もう、「不耕起、無除草、無肥料、無農薬」なんてものではない。
全く反対のそこらで誰でもやっている農法になってしまった。
なさけない。
実になさけない。
「福岡正信の言っているのは違うのか?」
だが、除草し、掘り起こし、石灰や肥料を撒き、農薬を使ってやるようになっても、どうも作柄は思わしくない。
出来なくはないのだが、
「もっと、よく出来てもいいんじゃないのか?」
私の、頭の中では、福岡氏の農法に疑問も抱くようにはなったのだが、それだけではない。
反対のやり方をするようになっても作柄にどうも満足できないのである。
それに、ブロッコリーなどは、石灰を撒き、鶏糞や牛糞堆肥を混ぜて苗を植えると、ぐんぐん育つが、ヨトウムシや
青虫がいっぱいついて、自分で食べるのが嫌になるほど農薬をやらねばならない。
手で虫を取るといっても、一週間に一度畑に来るだけでは、葉っぱをみんなやられてしまう。
「困ったもんだ」
(2001.1.16)




茅茫庵の修行(3)堆肥づくり



 平成8年頃までこうしたもやもやした状況が続いた。
平成9年になって、
「うーん、やっぱり、土作り、堆肥作りとやらをしないとだめなのか」
というわけで、堆肥つくりを考えはじめた。
どうやって堆肥を作るか。
本を読んでみたりしたが、どうも自分の気持ちに合わない。
本を見ると、たとえば、主材料として
落ち葉40%、畳くず35%、雑草15%、その他生ゴミ、剪定かす、麦わら、芝など10%とし、
それに乾燥鶏糞、油粕、米ぬか、苦土石灰、魚粉、骨粉などを加える。
(無農薬でつくるおいしい野菜、婦人の友社刊より)
というように書いてある。
確かに素晴らしい堆肥が出来るに違いない。
良い堆肥が出来るには違いないと思うのだが、私にはこんなに材料が集められない。
私に用意できる材料は「雑草」だけだ。それと苦土石灰、鶏糞、油粕はホームセンターで買える。
おっと、落ち葉もある。落ち葉もあるがこれはなかなか集めるのに骨が折れる。
「まあ、集めただけ使うとするか」
というわけで、材料は雑草、落ち葉、苦土石灰、鶏糞、油粕として作ることにした。
が、そこで問題だ。
「どこで作るか」
「畑から遠いと運ぶのが厄介だ。畑の中で作るとなると地面をどうするか。」
地面をどうするかが、大問題である。養分が地面の中に染み込んで逃げないようにするにはどうするか。
「コンクリートにするか。それも大変だなぁ、金もかかるし、手間もかかる」
というわけで、安直にシートを買ってきて敷くことにした。
「シートは痛みが早いが、まぁ、また何とかするのよ」
という具合である。
畑は斜面になっている。斜面のままではどうも具合が悪い。
そこで、雨上がりの後、スコップを握って土堀を始めた。なかなかきつい。
きついが、やらねば成らぬ、というわけで、なんとか一坪ほどの堆肥所を作った。
早速、シートを敷いて、畑の中やあぜで刈り取った草を積み上げていった。
草を積み上げて、拾った落ち葉もいれてシートをかぶせておいた。
翌週、シートをあげてみると、積み上げた草は少しへこみ、草は汗をかいていた。
その翌週に見てみると、草が腐敗を始めている。虫もつきはじめている。
「ウーン、腐敗している、具合が悪い、どうしてくれよう」
と思案したが、結局、
「雨風、お日様に当てるしかない」
ということにした。
雨ざらし、日ざらしということになると、草は積み上げても、積み上げてもへっこんできて、かなりの量の草を
積み上げなければならない。草刈が大変だ。大変だが材料だから確保せねばならない。
雨ざらし、日ざらしにして、草は枯れて黒くなってしぼんでくるが、腐敗はとまった。
「今度は、切り返しだ」
というわけで、買って来たフォークで草をひっくり返し始めたのだが、これが重くてたまらない。
せっかく買ってきた新しいフォークを放り投げてしまった。
木の葉は黒くなってはいるが、分解は殆ど進んでいない。
といった按配で、私の堆肥つくりはシートの上に刈り取った草をどんどん積み上げて雨に当て、お日様に当てる
だけというものになった。こんなに単純な堆肥つくりはどの本にもかかれて無い様に思う。
(2001.1.16)



茅茫庵の修行(4)自家堆肥無し、施肥、農薬使用の頃



 平成4年から8年頃までは、堆肥を作ることもなく、有機肥料を使い、農薬を使って栽培していたから、
もう何をどうしたかよく憶えていないが、いくつか記憶に残っていることを書いてみよう。
 畑で初めてナスを植えたのは平成3年の春だった。
苗を植えてもなかなか、生長しない。
「なぜだ?」
何故か分からないが生長しない。
収穫無しで終わった。
平成4年になって、またナスを植えた。
やっぱり、生長が悪い。
なにやら、ナスは酸性に弱いらしい、ということで草木灰を撒いた。
すると生長を始めた。
「うーん、灰がきくのかぁ」
と、分かったような気がしたのだが、草木灰はどうもカリらしい。
しかし、生長はし始めたのだが、やたら、葉っぱや実が虫にやられている。
みると、てんとう虫がいっぱい居るではないか。
てんとう虫の幼虫も居る。
そういえば、このてんとう虫、ナスの前にジャガイモの葉にもついていたではないか。
「てんとう虫って、何かの本に益虫だって書いてなかったかなぁ」
てなこと、考えながら見ているが、てんとう虫はナスを食っている。
「ちょっと、バッチイがつまみ殺すか」
というわけで、指でつまんでは殺した。
指の間で、黄色い汁を出しながら、てんとう虫がつぶれた。
「なんまんだぶ」
  なかなか、難しかったのはナスだけではない。
白菜。この白菜が難しいのであった。こんなに苦労したものはない。
初めて、種をまいた時は、土を掘り起こし、土をならして、溝をきり、石灰や有機配合肥料を撒いて種まきをした。
何故か知らないが、溝の中には白菜は生えてこなかった。
白菜の2年目、ミニコミ紙を見ていたとき、白菜はつぼを掘って、3,4粒蒔き、生長し始めてから間引きして1本にする
と書いてあった。
「うーん、こんな風にするのか」
というわけで、今度はそのようにしてみた。
一週間して、畑にいってみると、なんと可愛い芽を出している。
「おっ、いけるぞっ」
ところが2週間して、畑に行ってみると白菜の姿が見えない。
「どうしたんだ?」
いろいろ、思いめぐらしてみたが、
「どうも双葉の白菜を虫が食っちまったようだ。」
こういうわけで、白菜は畑で種まきをしても、幼苗期を生き残ることが出来そうにないと思い、翌年は目の届く
自宅の庭でポット苗を作ることにした。
例の赤玉土、鹿沼土、腐葉土を混ぜた土をポットにいれ、種を三粒撒いて水をかけ発芽を待った。
双葉を過ぎて本葉が出て3センチくらいに育った頃、どこからやってきたのか、芯のところに
小さな虫がついている。爪でほじくってつまみ殺した。
ところが、翌日見ると、またもやついている。
という具合で、農薬を使った。トクチオンというやつである。
こうして、なんとか白菜の苗を畑に持ってゆき、つぼ植えにした。
畑には石灰や、有機配合肥料、牛糞堆肥などを混ぜておいた。
白菜はどんどんというわけではないが、とにかく生長を始めた。
ところが、青虫やヨトウムシがよってくる。
「こりゃまずい」
というわけで、農薬をかけた。虫がいなくなった。
それで、安心していたのだが、白菜が結球を始めてしばらくして、
「玉の具合はどうかな?」
と、結球し始めた白菜の中を覗いてみると、
「ややっ」
中には、黄色い毛だらけの毛虫が居るではないか。
別の白菜を見ると、そこにもいる。
また、別の白菜を見ると、そこには見るだけでも気分の悪くなるような小指くらいの黒まだらのヨトウムシが
丸まって、白菜の真中を食ってしまい、空洞になった白菜の芯は虫の糞だらけになっているではないか。
こうして、せっかく庭で育てて、定植した白菜はまともなものがひとつも出来ずに終わったのである。
(2001.1.16)



茅茫庵の修行(5)堆肥の使用と雑草の使用



 有機肥料のほか、石灰や農薬、牛糞堆肥、鶏糞の多用が4、5年続いた。この間、白菜やナスは先に話した
ようにさんざんだったが、大根やジャガイモ、きゅうりやトマトはまあまあの出来だった。
ただ、先のナスのところで話したように、ジャガイモについた天道虫が、その後ナスに移ってくるのには困った。
ジャガイモは2月に植えて3月に芽を出し、4月5月6月頃まで葉を繁らせる。
6月頃にはずいぶんてんとう虫がやってくる。手でつぶしたりもしたのだが1週間ほっておくと
そうとう葉をやられてしまうこともあった。
そこで、農薬ということになった。
この時のてんとう虫を放置すると、5月半ばに定植したナスが太り始める6月から7月にかけてナスに
移ってくるのである。これでナスは甚大な被害を受けた。
だから、ジャガイモを植えたそばにナスを植えるのは避けるのがよいと思うようになった。
しかし、全く別の畑というわけにもいかないので、近頃ではジャガイモの植付けを少なくするようにしている。
 大根は堆肥や有機肥料、鶏糞、牛糞を使うことで生長が促進され、収穫は安定してきたが、
小さいうちに農薬を使わないと虫にやられるので農薬散布をすることになる。
だから、間引きした大根の葉を食べることが出来なかった。
間引きした大根の葉は、さっと茹でてじゃこ天や厚揚げなどと煮て食べたり、雑炊にして食べたりすると美味いし、
私の好物なのだが、これができなかった。
 平成9年になって初夏の頃から作り始めた堆肥を、まだ十分に熟してはいないが、9月になって使うことにした。
スコップで直径6、70センチくらいの穴を掘り、、この穴の中に草で作った堆肥と石灰、有機配合肥料を入れ、土とよく混ぜて、買ってきたキャベツの苗を植えたのだ。
定植して2週間目くらいになると、
「ううーん、これが堆肥の力かぁ」
と感心するくらいの効き目が出てきた。葉がどんどん広がってきた。
キャベツや白菜は葉の広がる勢いで収穫が予想できる。
「なかなか、いいできだ」
と思いながら、それまでに青虫やヨトウムシに食われた経験が頭にこびりついていたので、
「虫が着かないうちに」
と3度ばかり農薬をかけた。
さすがに、このくらい農薬を使うと虫はつかなかった。
収穫の段になって、結球した中の方の農薬のかかってないところだけを食べた。
 9年に作った堆肥を本格的に使い始めたのは10年の春のナス、キュウリ、ピーマンからである。
9年秋のキャベツ同様に大き目の穴を掘り、堆肥と石灰、有機配合肥料を土に混ぜ、ナス、キュウリ、ピーマン
を定植した。この年のトマトにはまだ、このように堆肥は与えていない。
このころまで、
「トマトは痩せ地の方がよい」
と考えていたからである。
 やはり、自家製の堆肥の威力は素晴らしかった。
ナスも、ピーマンもキュウリも前年までの出来とはまるで違う。
モーレツな勢いで葉や茎が広がっていくのである。

ところで、平成10年の春に私が試みた堆肥とは違うもう一つの試みを話しておきたい。
それは、先に書いておいたところの「野菜の植木鉢栽培」である。
先に、私は「野菜の植木鉢栽培」が上手く出来なかったことを書いた。
どのような、土を使えばよいのか分からなかったのである。
ところが、9年に母が田の土を肥料袋に入れて、そこにミニトマトを植えているのを見たのである。
そして、これが実によく生長していたのである。
これにヒントを得て、私は、田の土ではなくて雑木林の腐葉土と土を採取して、使い古した鹿沼土、赤玉土、
それに有機配合肥料を混ぜたものを大きな植木鉢に入れ、これにナスを植えた。
そして又、畑の端で、土のついた草の根を半年ほど積み上げておいた土を同じように植木鉢にいれてナスを植えてみた。
すると驚いたことに、このどちらも、ものすごい勢いで生長し、この植木鉢のナスは1本の木に13個の大きなナスの実をつけた。
しかも、虫が近寄らず、農薬を散布する必要が全くなかったのである。

                  

 そして、このナスの勢いに私の心は躍って、同じように草の根を積み上げておいた土を使って
イタリアントマトを2本植えた。
すると、わが家の庭先でトマトはすさまじい勢いで成長した。
トマトはわき芽を摘まなかったので、大きく広がり一本に40個ほどの実をつけた。
トマトももちろん農薬の必要はなかった。
 この経験から、
「草や木の葉が土に触れて分解し、土に返ると作物を育てるには最高の土になるのだ」
ということに気が付いたのである。
 平成10年は、私が野菜をつくり初めて10年目だった。
私は
「苦節10年」
という言葉を思い出した。こんな言葉を口の中でつぶやいたのはこの年が始めてである。
私は10年もの間、一つのことに気持ちを集中したことは野菜作り以外にはなかった。
ようやく、野菜が育つ土つくりの糸口がつかめてきたのであった。
私は、福岡氏の「無」3部作を書棚から手にとり、再び読んだ。
そこには、福岡氏のさまざまな経験や、草や木の葉、木材を有機物として使った経験や
使い方がかかれている。
こうしたやり方は、有機農法を目指す人たちが一生懸命学んだところでもあるだろう。
福岡氏は「不耕起、無肥料、無除草、無農薬」と言うし、「持ち込まず、持ち出さず」とも言ったりするので、
有機農法のように有機物を大量に持ち込むやり方を否定しているとも思えるが、
有機物の持込を絶対的に否定するのではなく、氏自身が自分の経験としても実施してきたことが読み取れる。
 平成10年は私の「苦節10年」の最後の年になった。
鉢植えのナスとトマトは農薬を一切使わず、素晴らしい成長と収穫を実現したし、
畑のトマト、ナス、キュウリ、ピーマンも素晴らしい出来だった。
しかし、畑のトマトは農薬を使わなかったが、ナス、キュウリ、ピーマンには虫がつかないうちから、
農薬を使った。虫にやられることを恐れていたからである。
実には農薬がかからないようにと注意しながら、葉に散布した。
 平成9年の夏は堆肥の材料とする草刈に汗を流したが、平成10年の夏も同様に草刈は大変だった。
ぎらぎらと輝く太陽の下で草を刈るつらさは、やってみたものでなければ分からない。
たしか、江戸時代に武士をやめて禅の道に入った鈴木正三が、
「百姓は、草を刈って、刈って、刈って、刈りまくれ」
と、言ったというが、日向に草を刈るつらさは並みのものではない。
草刈は、日中をさけて、午前中の日が上がっていない時間や、夕方にせねば体にこたえる。
私は、早朝5時頃に起きて畑に出かけた。
草を刈るには、草刈機というものがあるが、堆肥を作ろうと思えば機械で刈ったのでは具合が悪い。
機械で刈り取った草は、かき集めても量がないのである。
刈りっぱなしにするのなら良いが、かき集めて堆肥にするには、鎌で刈り取らないとだめなのである。
また、沢山の草を集めるには広い範囲で草を刈り、それを堆肥所まで運ばねばならない。
堆肥所まで運ぶと、出来上がってから畑に入れるときにまた運ばねばならない。
平成9年の堆肥作りでは、畑の中に生えた草も堆肥所に持っていって堆肥にした。
堆肥というものはその効き目は絶大であるが、人の労力というものも甚大なのである。
有機農法を実践する人たちの労力は大変なものだと聞くが、堆肥を運ぶことも大変な作業なのである。
 平成10年の夏の野菜は前述のように堆肥のおかげでよく出来たのであるが、冬野菜には、夏に刈った草が、
まだ十分に腐熟しておらず、使える堆肥は少なかった。
私は、大根や蕪、白菜、春菊などの冬野菜は8月末の土曜日あたりに種まきをするのである。
「使える堆肥がない、どうしよう」
「うーん、とりあえず、畑の中や畑の畦に生えている草を刈り倒して畑の中に敷いてしまおう。」
「草が枯れたところを見計らって、草を分け、簡単な溝を作り、種をまいちゃえ」
ということにした。
8月末の気候なら、刈り取った草を畑にまいておくと1週間もすれば枯れてしまって茶色になる。
この枯草を掻き分けて、種を撒く溝を確保するのである。
溝も鍬を打ち込むことなく、土の表面を軽く削るだけだった。
深く掘るのは、これまた骨なのである。
 このようにして、大根や蕪の種をまいた。
大根や蕪は芽を出し、双葉から本葉になった。3週間、4週間経っても虫がついていない。
「よーし、今回は虫がつくまで農薬は撒かずに頑張ってみよう」
と思ったのである。
すると、不思議なことに、とうとう、大根、蕪には虫がつかなかったのである。
妙である。実に妙である。これを妙といわずして、なんと言うべきか。
畑の中に生えた草を刈って畑にまき、畑の周りに生えた草を刈って畑の中に撒く。
これだけで、大根や蕪に虫がつかなくなったのである。
こういうことになると、私の農法は俄然変わってくる。
「畑の中に生える草はどんどん、伸ばしちゃえ」
というわけである。
畑の中に生えた草なら、次の作物の種まきや植付けの直前に刈り倒すだけでいい。
草引きは少なくていいし、刈った草を堆肥所まで運ばなくていい。
これは、大変な省力化だ。
 平成10年の秋は堆肥が少ないので、大根や蕪に堆肥は使えなかったが、白菜には堆肥を使用した。
白菜は、家の庭先でポット苗を作った。
苗を植えるために、畑に溝をほり、溝に堆肥を入れ、土をかぶせ、そこに苗を植えた。
苗の根元にまた、刈り取ったばかりの草をマルチとして敷き、水をかけた。
9月の終わりのことであるが、土は乾燥していてかちかちで、まだ、太陽の日差しは大変強いのである。
しかし、このように土が乾燥していて、日差しが強くても、草を根元に敷き、水を撒いていたので枯れるものはなかった。
この白菜も実に、良く育ち、私が作った白菜でははじめてまともなものになり、初めて結球させることが出来たものだ。
しかし、虫はやっぱりやって来るので、農薬は使わざるをえなかった。
 ところで、私は「「自然農法」とはなんだろう?」の稿で
「私は3年前、草を刈り取っただけの土の上に、キャベツと白菜の種を無造作に蒔いておいた。9月の終わりのことである。ほとんどお遊びという感じで蒔いておいたのだがどちらも発芽して成長をはじめた。白菜はそのままにしておいたが結球せず、翌春黄色い花を咲かせた。キャベツは11月のはじめに掘り起こして畑に仮植えし、たっぷりの堆肥をすきこんだ畑に定植した。4,5月に猛烈に成長し、農薬を使うことなく、まったくと言っていいほど虫がつかずに見事に結球した。」
と書いた。


 このとき、確かにキャベツに堆肥も沢山使用したのであるが、その前作として作ったトマト、ナス、ピーマンの残骸を
短く切って畑にまいておき、1週間後に土をほりあげた大きな溝の中にこの残骸と堆肥を入れて、土をかけ、この上に
ビニールの黒マルチをかけ、キャベツ苗を植えたのである。12月はじめのことであった。
寒い3月初旬まではあまり生長しなかったが、暖かくなるにつれモーレツな勢いで葉が広がり始め、
5月末にはみごとに結球した。農薬を全く使用せず、虫害は無傷と言って言いすぎでないほどのできだった。
 この経験の前には、私はナスやピーマン、トマトの残骸を母の教えの通り、畑の外に捨てていたのであった。
「畑の中で育った作物の残骸といえども、決して畑の外に出してはいけないのだ」
ということに、気が付いたのである。
 平成10年の10月にはソラマメとグリンピースの種をまいた。
豆類は栽培は簡単である。豆類はこの10年間でも一度も農薬を使ったことが無い。
しかし、いつもそこそこの収穫ができた。しかも、土が肥えるという。
ソラマメやグリンピースの中の草を生えるがままにし、11年の5月下旬頃収穫したが、この時の豆の残骸も
畑の中に放置し、さらに8月末の大根、蕪の種まきの時期まで草の生えるままに放置しておいた。
そして、平成10年の大根、蕪と同様に草を刈り倒し、1週間放置した畑に軽く削っただけの溝をつくり種をまいた。
そして、前年同様、全くの無農薬で十分な収穫をすることが出来たのである。
 平成11年の夏作である、トマト、ナス、ピーマン、キュウリはいずれも大きな穴をほって石灰、堆肥、
有機配合肥料を土に混ぜて、そこに苗を定植した。
生長するにつれ、畑の周りにある草を刈っては根元に敷いてやった。
これによつて、トマト、ナス、ピーマン、キュウリはいずれも農薬を使用せずに病虫害に会うことなく十分な収穫を上げることができた。
 平成12年の夏作も同様の作り方で、農薬の完全不使用でいずれも、これまでの最高水準で収穫することができた。
トマトは、一本の苗から出た沢山の脇芽を成長させて、一本のトマトの木から177個の収穫をすることが出来た。
しかし、平成12年の夏作までは、農薬の不使用は実現出来ていたが、石灰や有機配合肥料の使用を
カットすることは出来ていなかった。
 (平成12年のトマトナスの少し大きい写真)

トマト
ナス


 石灰無しでは栽培がかなり難しいと言われるほうれん草を含めて、平成12年の秋植えの作物には石灰を
使用しなかった。石灰の使用を完全にカットしたのである。
そして、少量の有機配合肥料のみ一部使用した。白菜と、大根は有機配合肥料使用と不使用のそれぞれ2種を
栽培した。ほうれん草には有機配合肥料も含めて不使用とした。
ほうれん草は、これまでの最高の出来であった。白菜は二回虫取りをしたが、それ以後は放置しても、虫が居ても
虫害はほとんど発生せず、ヨトウムシも出てきたが、被害を与えず、肥料の使用、不使用にかかわらずこれまでの
白菜栽培の最高の出来となった。
大根は、有機配合肥料の使用と不使用の2種を栽培したが、不思議なことに肥料を使わなかったほうが、
立派な作柄となった。大根を蒔いたところは軽く土を削りはしたが、掘り起こしはしなかった。
不耕起で、無農薬で無肥料で、そして軽い除草で栽培できたのである。(2001.1.20)




(堆肥。草だけを積み上げて1年半ほど放置しておいたもの。真っ黒くなって土のようになっている。)




茅茫庵の修行(6)今後の修行



 以上、茅茫庵の修行(1)から(5)で、話して来たように、私は病虫害や作物の生育不良に相当悩まされ続けながらも
少なくとも、農薬についてはほぼ完全に排除できると思えるところにきた。
無肥料、不耕起については可能な範囲がかなり広がってきた。
除草については、草を畑の中で思いっきり生やすというやり方をとる一方、やはり作物を覆うような状況では
制御せざるを得ない、ということである。
 これまでの話の中では話さなかったが、夏作のトマト、ナス、ピーマンではビニールのマルチも平成12年まで
使用している。ビニール・マルチをやめる事も必要である。
今後の方向の中で、堆肥作りとその使用、畑の外から草を持ち込むこと、有機肥料を含む肥料の使用などを
完全に無くすことが必要である。
 また、種子の購入を止め、種子の採取に切り替えていくことも必要である。
こうした問題を完全に解決するためには、まださらに10年の苦節を経ることが必要と思う。
しかし、これらの問題はやる意思がありさえすれば必ず身につくものであるとの確信はもっている。
どこにその確信の根拠があるかといえば、野や山の植物は人間の手を借りることなく、そうした問題を解決して
いるからである。
したがって、「解決の糸口は野山の観察を続ければ必ず見えてくる」と言いうるのである。
 私は、いま、新たな試みをはじめた。
雑木林を伐採した後地に、完全な不耕起、無除草、無肥料、無農薬の畑を作り始めたのだ。
誰もがやるように、土を起こしたり、木の根を掘り起こすのではなく、堆積した落ち葉を取り除いたりせず、
労力を極力つぎ込むことのないやり方で、山の斜面をそのまま利用するかたちですすめるのである。
山で作物を作るからと言って、焼畑にしたりはしない。
無理に畑にしようと木の株を取り除くとか、斜面を平らにするとか、そういった労力をつぎ込むことが
実は作物の正常な生長を阻害する原因になることを恐れているからだ。
この山の斜面での作物の栽培の経過については、今後このホームページで随時報告したいとおもっているので
今後も時々御覧になって頂けるとありがたい。
(2001.1.21)

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