福岡正信の自然農法と茅茫庵(4)

 

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1)               

 2008816日、福岡正信氏は故人となった。(以下、敬称は略させていただく。)

自ら大悟を宣言し「禅の道こそ真人となる近道であり、人間のいく道、学ぶ道は他にはない」(福岡正信「無の哲学」第3章より)と断じて、ひたすら自分の道を生き、95歳の天寿を全うした。

 福岡正信の死は、今後の「自然農法」という言葉にどのような影響を与えるであろうか。

ひとつの思想は、その思想家の死と共に、ある時は、「今や過去のものである」と無視され、ある時は「害毒を流した」と評され、ある時は「我こそ、その正統な継承者である」という人間が現れて利用される。

 

 福岡正信の真の功績とは何だったのだろうか。

彼が提唱した「自然農法」にあるのだろうか。

私は、彼の「自然農法」は彼自身のものでしかなかったと思うし、彼の自然農園を見ても感動を覚えたわけではない。私は、彼の真の功績は彼が多くの著作を世に出したことにある、と思っている。

晩年、91歳になった福岡は4人の女性に稲の「穂まき」を指導した。この時の記事が200498日の朝日新聞に載っている。この記事の最後に「この農法だと、素人でもプロの農家以上の収穫をあげられる。自然農法を70年やってきて、ようやく結論が見えてきました」という談話が載せられているが、この「稲の穂まき」の現実は惨憺たる結果であったと私は認識している。雑草の勢いがあまりにも大きすぎて、稲は窒息状態にあり、収穫にはほど遠いものであったと認識している。私自身は、彼の「自然農法」の実際がどのようなものであったのかよく分からないし、もはや知る手段はない。残っているのは彼の著作だけである。

 今、私は彼の「自然農法」を継承できる者の名前を一人も知らない。彼は継承者を一人も作らなかったのではないか。そして団体も組織も作らなかった。彼はたった一人で、ひたすら著作活動を行っていた。何のために著作活動をしていたのか。彼は戦っていたのである。たった一人で戦っていた。誰と、何のために戦っていたのか。「時代の流れ」に抵抗していたのである。

 彼の青年時代を襲った世界大戦は、原子物理学が生み出し、科学の力を示すには十分すぎる威力を持った2発の原爆の投下によって終わりを迎えた。戦争が終わり、再び平和な日本になることを期待したのも束の間、日本は近代化路線を先鋭化させ、重工業を中心として高度な工業化社会を目指し、農民を農村から引きずりだして、工場の労働者にし、農村は工業製品の消費地にされ、農村で生活できなくなった人々は消費のための金を求めて都会を目指した。こうして、農村では過疎化がすすんだ。

 昭和30年代に入って、農村には急速に農機具が導入され、農耕に利用されていた牛馬は次第に消えて、日本の牛は乳牛と肉牛にされた。牛馬は、田畑を耕す力としてだけでなく、堆肥をつくる為にも飼われていたが、牛馬の力は耕運機やトラクターに替わられ、堆肥は化学肥料に替わられた。農産物は自家消費のためではなく、農地をもたない者と農村から離れていった者の消費のために作られ、品質を高めるために大量の農薬が使用されるようになった。大量に使われる農薬と化学肥料によって、田畑のみならず川や海までが化学物質による汚染を引き起こした。汚染された田畑や河川では様々な生き物が姿を消し、工業の発展はいたるところで公害を引き起こし、紛争が起きた。

この時代の農業は、牛馬、家畜の糞、人糞に替わって化学肥料が撒かれ、牛馬の力に替わって耕運機やトラクターが土を耕し、鎌に替わって動力の刈払機が草を刈り、病虫害の対策として農薬が大量に使われるようになって、さらには石油に依存する農業、自給のための農業から商品生産と貨幣獲得のための農業へと変貌し、農村が破壊されてゆく時代の真っ只中にあった。農家の人々は自給のための多品種栽培を、貨幣獲得に有利な少品種の大量栽培へと転換した。土地さえあれば、特に投資をせずとも、様々な作物を植えて暮らしが成り立っていた農家は、投資効率の極めて低い機械や設備の投資を迫られ、できない者は次々と農村を離れて無一文に近い状態で都会へ働きに出た。

 福岡正信が農業に従事し著作活動をしていたのは、このような時代である。

このような時代の農政に対してとかく、政治的に対応しようとする者たちのやり方は、補助を求める要求闘争であり、政治や経済の立場からの批判に終始していた。これらの人々のやり方は政治的で、組織的で、集団の力に頼る闘い方であったが、勝ち目は無かった。

しかし、福岡正信の戦いは、こうした戦い方とはずいぶんと違ったものだった。

 組織をつくり、集団の力で政治を動かそうとした者たちや多くの農民は、農村に高価な機械が導入され、化学肥料や農薬の使用がどんどん進められても、これに危機感を感ずる者は少なく、むしろ歓迎していたのである。牛馬に替わる耕運機を手に入れた農民の顔は喜びに満ちていた。農薬散布のための動力噴霧器に長いホースをつけ、ホースの先にノズルをつけて田畑の中を嬉々として動いていた。大量に生産し、しかも品質の高い農産物を作り出すことに成功し、高収入を得たものも多くいたのである。農村の中にもテレビや冷蔵庫といった家電が浸透し、やがて自家用車を所有するようになった。農業に携わる人々の暮らしも大きく変わっていったのである。さまざまな便利な機械や道具、生活物資を獲得すればするほどこの欲望は増大したし、収入の増加がさらに必要となったのである。農業の近代化は、農民に収入をもたらし、欲望を満たさせることもあったが、経費をも増大させ、大局的には離農するものが増え、農村の過疎化が進み、農業人口は減り続けた。

近代化を拒み、非効率的な投資を拒否することこそは農民として生き残るひとつの手段・方法ではあったが、これは時勢、人々の欲望とは反対の方向に向かっていた。

 福岡正信は、組織を作らなかった。徒党を組みはしなかった。彼が武器にしようとしたのは近代化の波の中で押し寄せてくる動力や化学肥料、農薬などを一切必要としない「新しい」農法の確立であった。近代的農業の武器を「無用だ」と切り捨てることができる農法の確立を目指し、自分はその農法を確立したと宣言したのである。しかし、周りの農民たちは冷ややかだった。圧倒的多数の農民たちは近代化を受け入れてきたのである。

 近代的農業の武器を「無用」と断じる自分の農法を「自然農法」と名づけ、農法にとどまらず、科学への批判を展開し、自分の論理を哲学、宗教にまで広げ、「神の革命」、「無の哲学」「自然農法」の「無三部作」を完成させた。福岡正信は文明の発達を神から遠ざかるものと断じ、人間の知的活動を全て反対方向に、つまり過去に向かって戻すべきであると主張した。 一切の思考をやめて悟りを開け、人為を排して自然に還れと主張した。その主張は誠に過激である。彼の過激な主張は、自然農法においては「無耕、無肥、無農薬、無除草」という言葉に整理された。しかし人々がこれを受け入れるのはなかなか難しい。

 過激な主張を含む読み物は読み物として取り扱えば、実に面白い。読み物は常識的で、平凡な主張をいくら書き込んでも、ちっとも面白くないが、逆に過激であればあるほど面白い。人の頭がクラクラするような展開がされてこそ面白い。読者が自分の常識を打ち砕かれるような展開があってこそ読み物は面白いのである。しかし、過激な主張は実践するとなると面白いどころか、実に大変である。取り組む前に多くの人は後ずさりする。 ともあれ、福岡正信は何を書けば人の心を掴むことができるかを心得ていたのである。

 先ほど述べたように彼の生きた時代を振り返ってみれば、「無耕、無肥、無農薬、無除草」という言葉の意味は、高額な動力農機の不要論であり、肥料一般ではなく化学肥料の不要論であり、化学薬品としての農薬の不要論であり、機械を使っての除草不要論、といったところである。もし、彼の生きた時代以前からの鍬や鎌、堆肥まで否定してしまえば彼には農作業は何もなくなり、ただ手を使った採取生活しか残らない。 採取生活は農とは全く違ったものである。「無除草」と言っても、彼自身が田んぼの中で草を抜いてまわる写真がいくつか著書の中に載っている。

しかし、実際はそうであっても、その程度の表現をしたのでは人に驚きを与えることはできない。「無耕、無肥、無農薬、無除草」で作物は自らの力で生長する、人為が育てるのではない、人為は有害だと述べることによって人は新鮮な驚きを感じた。

彼を取り巻く農民の大多数は、彼の「自然農法」には冷ややかでこの地域でもこのやり方を取り入れる者はほとんどいなかった。農業の現実とかけ離れているとしか見えなかったのである。近隣の農民には受け入れられなくても、彼は本を書く能力を持っていた。おそらく、彼の本は農民よりも農業に携わったことのない人々に多く読まれたに違いない。そしてその人たちに支持されるようになった。実際に調べたわけではないが、私の印象では農業には全く関係のない職業についていた人たちにより大きな影響を与えたように見える。そして、日本の農業の現状とは違った状況にある海外で多くの読者を得た。

彼の著作はほんの少数の農民を除いて、商品生産を生業とする日本の農民にはおそらくどこでも不評であったろうと思われるが、逆に素人受けするところがいろいろな分野の人々に興味を持たせることになり、新しい農法に興味を抱く者の他、公害や環境問題、砂漠化、地球温暖化、食の安全、健康などに関心を持つ人々に興味を抱かせた。

 近代化の波が人々の心を捉え、農業の機械化や農薬・化学肥料の使用が当たり前になった時代にこれを否定して生きることは、並大抵の精神ではないが、この精神を養ったのは宗教である。彼は岡田茂吉のように宗教家として教団を作りはしなかったが、彼の精神を支えたのはまぎれもなく仏教である。仏教の中でも禅に強い関心を抱いていたことが伺われる。禅に関する書物を読み漁ってみれば「無3部作」の2巻目「無の哲学」がいかに禅の影響を受けているかが一目瞭然である。仏教を中心として、聖書やコーランまで読んでいることがわかる。

 彼が、禅に強く引かれたのはおそらく、禅が強烈な自己自立の思想を持っていて、周りの状況に妥協することなく、「わが道を行く」生き方を強力にサポートするからであろう。

近隣の農家が耕運機やトラクターを使って田んぼを耕し、稲苗を整然と植え付け、草を排し、虫除けの農薬を散布しているのを横目に見ながら、前作収穫後の除草も鋤もせず、パラパラと粘土団子を蒔く姿は、傍目からみれば非難に値することではないにしても、奇人・変人の類である。世間との妥協を拒んで奇人・変人のごとく生きていくのは、福岡でなくても心の隅に誰しも抱えている願望ではあるが、それを自己の生き方にしてしまうことは容易なことではない。人々が電気のあかりのもとでテレビを見て打ち興じている時、電気もガスもテレビも無い山小屋で、いろりに火を焚き、身なりを気にせず、ひげを生やして生きる姿は仙人のごとき趣ではあるが、常人の生き様からは遠い。常人の生き様からは遠いが、常人が心の隅に抱き続ける願望ではある。そのような生き方に強い共感を呼び起こしたというのも福岡の著書が広く読まれた理由の一つであるのではないか。

 福岡正信は、自分は大悟したと宣言した。福岡同様の「悟り」を得ていない私には彼の「悟り」の中身はわからないので、知識をたよりに考えてみるほかは無いが、「悟り」は「迷い」を捨てることである。迷いは心が二つになること、「あれか、これか」と思い悩むことである。この悩み、「迷い」から離れて、悟りを得た福岡の心の中には澄み渡る青空が広がっていたことであろう。彼には、もはや衆人との違いなど眼中には無かったに違いない。

 「悟り」は「覚り」とも書くがこの2文字を合わせて「覚悟」という言葉がある。今日の用法では「あきらめて心を決めること。好ましくないこと、または最大の努力をはらわなければならない時が来るのをさとって、心を決めること」であるが、もともとは「仏教で、迷いを去り道理をさとること。さとり。」を意味していた。(岩波国語辞典第3)

「さとり」は私のような凡人の感覚で想像すれば「かくご」という言葉に近いのではないか。人間誰しも人生の中で1度や2度ならず、大きな選択を迫られ決断を迫られる。決断できずに迷い、悩み続ける者にはつまらぬ日々と死が待っている。状況を断ち切るのは心を一つに決めることである。「大死一番」、命を捨てる覚悟で進路を決するのである。自らの意思を決定して迷いを捨てた時、目の前にはすがすがしい風景が広がっていて、人は落ち着きを取り戻して歩き始める。この時、人は目の前に起きていることをしっかりと捉えることができるようになっている。意思を決する前には、ただ茫漠と混沌の世界でしかなかったものが、明瞭な世界として見えてくる。迷い、悩み続ける人間は「先のことが見えないから決心できない」と言うが、本当は「決心しないから先が見えないのである。」

 仏教では、悟りにいたる108の入り口があるという。108個の煩悩があるともいうが、煩悩こそは悟りへの入り口でもある。煩悩を断ち切る決心をしたとき、この人には新しい世界と人生が開けるのである。仏教徒の修行では「誓いを立てる」ということがある。たとえばよく知られている「殺さない」「盗まない」「嘘をつかない」「淫行しない」などといった誓いをたてるのであるが、これらの誓いを終生貫く決心をしたとき、人の生き方は大きくかわり、すがすがしいものになるのである。しかし、これらの当たり前とも言える誓いを厳格に守り通そうとすると、実際には不可能に等しい。世の中には「嘘も方便」という言葉があって、法華経の中には子供の危機を救うために子供に嘘をつく話があるが、話し手が自覚している嘘もあれば、自覚していない嘘もある。殺さないと誓ってみても、蚊一匹殺さずに生き抜くことは難しい。「殺さない」という当たり前の誓いも置かれた状況によっては抜き差しならぬ迷いを生み出す。

 福岡正信の自然農法が「無耕、無肥、無農薬、無除草」を掲げるのは仏教にたとえてみれば、誓いを立てることに等しい。耕し、肥料をやり、農薬を使い、草をとるといった農耕にとっては当たり前になっている行為を「やらなくてもよいものだ」と、心で悟ってみても実際にそのようにして作物を栽培することは簡単なことではない。新米の農夫が初めて種をまいた大根の芯に全部虫が着いてやがて枯れてしまう事態に遭遇すれば、頭の中はどうしてよいか分からず、思わず農薬に手が出てしまう。

 しかし、それでも誓いを立てたからには、農薬を使わなくても栽培できるのではないかと、5年、10年、15年、と続けていると、或る時、ふっと農薬を使わなくてもできることが確認できるようになるのである。そして、さらに続けていると、状況を見ながら病虫害の予防方法や害が発生してしまった後の対策といったことができるようになる。

 「悟り」というのは、人間の思考の結果導きだされる新たな認識のことではない。悟りによって獲得される認識は、それまでの自己の認識の中には全く存在しない新しい認識であり、思考を経ない認識、直観的な認識である。自己の認識のうちに全く存在しない世界は「無」である。この「無」の世界から突然新しい認識がもたらされるのだが、この認識は思考の結果としてもたらされるのではない。ある日、なんの前触れもなく、意識に現れる。突然、意識に現れた新しい認識に人は狂喜する。「ナアーンダ。そうだったのか」というわけである。この悟りの内容は、思考の結果として得られる認識ではないから、自分にも説明ができないし、他人に話してもその人が同様の悟りを得ていない場合には理解がされない。しかし、その他人が既に同じ「悟り」を得ている場合には、何の説明もすることなく通じあうことができるのである。

 道元によれば「悟り」は常に受動的なものであって、人間が能動的に獲得しようと努めても得られるものではないという。福岡正信の自然認識も、実はこれと同じであって、自然は人間には知ることのできない存在であり、自然についていくら思考を重ねても知ることはできない。 しかし、直観によって捉えることはできるという。

 福岡正信が「無耕、無肥、無農薬、無除草」による農作、自然農法の中に仏教の「直観」という認識方法を据えたことの意味は極めて大きい。科学に頼る農法では「直観」などという「曖昧な」認識が入り込む余地は無いように見えるが、自然農法では「直観」が重要であり、「直観」によって事物を見分ける能力を持った農夫こそが自然農法を我が物にすることができるのである。

 しかし、「直観」は「直観」を得ようとして得られるものではない。私が20年近く野菜栽培をして、この10年、農薬と化学肥料を全く使用することがなかったが、ここには私なりの「直観」による認識があったからである。自分の拙い経験を持ち出して話すとすれば、私が無農薬で作物が栽培できるようになったのは、気持ちの上では無農薬栽培を諦め、放棄していた時である。農薬を使いながらも、ひたすら野菜栽培に興味を持ち、「無心」に野菜つくりに向かっていたとき、農薬が不要である場合があることに気がついて、それ以来農薬の使用が不要になったのである。

「無耕、無肥、無農薬、無除草」による農作、自然農法は人が、いきなり、草の生えた土地を耕しもせず、肥料も撒かずに種をばら撒いて、ほったらかしにしておいて作物が育つという農法ではない。「耕、不耕」「施肥、不施肥」「施薬、無薬」「除草、無除草」といったことにとらわれず、「無心」に作物に向き合うことによって獲得された「直観」という認識を持って行われる農法である。したがって、福岡正信の自然農法の核心は特定の形式を持たない農法である。「無耕、無肥、無農薬、無除草」による農作というのは、このような直観による認識の集積の先にあるものである。

 しかし、福岡正信は、米麦連続不耕起直播とか粘土団子という形式を作って、これを彼のイメージと分かちがたいものにした。これは本来の彼の自然農法とは相容れないものである。彼の自然農法の本来の姿には形式があってはならない。しかし、彼は形式を作った。なぜか。一切の形式を持たない農法を人に伝えることはほとんど不可能だからである。

仏教においても、本来、仏には姿も形も無い。ましてお寺の仏像が仏であるわけではない。中国から日本に禅仏教を持ち帰った栄西は、荒れ寺で冬の寒さ厳しきとき、燃やす薪がなくて、仏像を燃やして暖をとったという。これを見た弟子が「仏像を燃やせば仏罰があるのではありませんか」というと、栄西は平然として「どこに仏がいるのだ」と言い返したという。

このように、仏教の本来の姿では仏には姿も形も無い。しかし、寺や仏壇に仏像を置いて、これに手を合わせるのである。方便なのである。本来、仏教の仏にも、キリスト教の神にも、イスラムのアラーにも、姿かたちはない。今日でもイスラムだけはいかなる偶像も神と認めることが無い。

 福岡正信の自然農法を米麦連続不耕起直播とか粘土団子のばら撒きという形式にこだわってしまうと、彼の本当の自然農法は人々から正しく認識されること無く忘れ去られてしまうであろう。しかし、形式のない自然農法はもっと早く人々の心から消えてしまうであろう。人々が忘れる以前に理解されることさえない。だから、彼は彼の自然農法を人々に示すために米麦連続不耕起直播とか粘土団子のばら撒きをやって見せたのである。

 しかし、福岡の自然農法の核心を捉えようとするなら、米麦連続不耕起直播とか粘土団子のばら撒きというものに囚われてはならないのである。

 それでは、どのようにすれば自然農法の核心を捉えることができるのか。

自分の中にある作物のイメージや栽培法にこだわらない心で無心に作物の栽培に取り組むのである。ひたすら作物の姿を眺めるのである。それを何年も続けていると、作物の姿は絶えず変化していて、一様に捉えることが決してできないが、ある変化の一瞬に心がとらわれ、ときめきを感ずることがあるのだ。それまでの自分の中には無かった認識、あったとしてもその価値を全く認めていなかった認識がその瞬間に生まれ、輝きはじめるのだ。その瞬間は突然やってくるもので、自分から求めても決してその瞬間を作り出すことはできない。この一瞬の出来事に無頓着な人には、作物は何も語ることなく姿を変え続ける。しかし、無心に作物に向かう者には作物が自ら、己の本当の姿を垣間見せてくれるのである。実のところ、作物は、そして自然は、ある一瞬ではなく常に自分の姿をごまかすことなしに、我々に見せ続けているのであるが、それを捉える心が備わっていなければ、人はその作物の姿を捉えることができない。人の心に自然の姿を理解する準備が整った時、自然は自分の姿を何も言わずに見せてくれるのである。

 私の経験の一例を紹介してみたい。それは野菜の栽培に熟練した農夫にとっては当たり前のことではあろうが、私にはそれまでまったく考えてもいないことだった。

 購入してきた7本のナスを一列に定植して、数週間経った頃、片端の2本に夥しいアブラムシが発生した。そしてまた夥しい数の蟻が走り回っていた。この2本のナスは生長が止まり始めていた。普通は農薬を使うところであろう。しかし、私は農薬を使わない。アブラムシが発生しているのを見て、それを除去する方法を考えるのではなく、アブラムシが発生している理由を考えた。アブラムシがついているのは7本のうちの2本だけである。なぜ全てのナスではなく2本だけなのか。それを考えた。それまでの自分の認識で、虫が集まるのは単に虫がナスを好むからではなく、そのナスが病的であるからだということがわかっていた。そこで、私はこの2本のナスの根に何らかの障害が発生していると判断し、この2本のナスの両脇に穴を掘った。その一週間後、アブラムシは激減し、2週間後にはほとんどいなくなっていた。ナスの根の両脇に穴を掘ったことの効果は絶大だった。実はこの穴を掘るという発想にはもう一つ前段の話が必要なのだ。購入した7本のポット苗を定植するにはまだ気温が低すぎると考えて、庭先で一回り大きなポットに植え替えてビニールを掛け、気温を高くして育苗していたのだが、この内1本の苗が元気を失って、葉にアブラムシがついていたのだ。この時私は、「どうしようもない」と考えて、捨てるつもりで、ポットから苗を抜いて放置していた。すると数日たって、この苗からアブラムシが消え、苗は元気を回復していたのである。「もう、どうしようもない」と思って打ち捨てた苗が、私に生命の本当の姿を見せてくれたのである。この苗を他の6本と共に定植したのだが、畑で虫の着いた2本とは別の苗である。2本のナスにアブラムシが集まっているとき、この苗は元気に生長していた。

 こうして、私はアブラムシを殺すことなくナスを守ることができた。作物栽培という行為の中で、「直観する」ということは、こういうことなのである。これは、私の経験の一例であるが、このような経験を数多く積み上げることによって、農薬や化学肥料を使うことなく、あるいは土を耕すことなく作物を安定して栽培する能力を身につけることができるのである。

 私の、この「ナスについたアブラムシの除去のために根元に穴を掘る」という例をとって、「アブラムシの駆除には穴を掘ればよいのか」と短絡的に理解する人がいるかもしれないが、この私の経験話はそのようなことをいっているわけではない。 「直観」の中身はあくまで「直観」のうちにあるのであって、言葉で説明することはできない。 「直観」によって事態を正しく認識し、正しく対処することができるようになるためには、繰り返し、繰り返し、作物の前に立つことが必要なのである。100グラムの錘の重さと101グラムの錘の重さの違いを理解するためには、どれほど言葉を並べてみても不十分であり、自分の手で持ち上げてみるのが、一番良い理解であるが、その違いをはっきり認識できるようになるには、何度も何度も手にとってみることが必要である。錘を手にとってみれば、人はその重さを「直感」し「直観」することができる。

 繰り返し、繰り返し畑の中に入り、作物の様子を「直感」すれば、自分の脳の中に情報が蓄積され、作物の状態を「直観」することが出来るようになる。

 鉄棒を握って演技をする体操選手が、鉄棒の更に高いところで手を離し、ひねりながら宙返りをして、再び鉄棒を掴む姿をみると、思わず固唾を呑んでしまうが、選手がここまで出来るようになるには、どれほど言葉の説明を重ねても不十分である。まず、鉄棒を握ることが不可欠であり、繰り返し練習をして、「大死一番」転落の恐怖を絶つことが必要である。手を離した瞬間、監督やコーチがいても何の役にも立たない。自分と鉄棒の関係を自分自身が「直観する」以外にはない。

 福岡正信の自然農法を彼の「無の哲学」から理解すればそういうことになる。

農業に関心を持ち、作物に取り組み始めた人間が、福岡の自然農法に興味を持って、その著作から何かよいノウハウを見つけることができるのではないかと期待しても、それは無理である。福岡の自然農法を理解しようと思えば、彼の自然農法から離れることが必要である。一切の技術書の知識、指導員の指導から離れ、自分の感性と脳を働かせ、直観的に把握する能力を磨くことである。

 福岡は「知識の拡大は無智の拡大」だといったが、これは農業技術の知識を否定しただけではない。自分の自然農法についても、単なる知識として捉える者には何の役にも立たない、ということを言ったのだということを理解しなければならない。今の時代、何事にも「マニュアル」流行である。「マニュアルがないからわからない」「マニュアルがないから失敗した」「マニュアルを作って標準化しろ」「マニュアルを作って事故をなくせ」などと「マニュアル」がなにか解決の決定要因でもあるかのように口にされている。しかし、実際にはマニュアルの作成だけでは真の解決につながることは決して無く、新たな問題を引き起こしていく。単なる、その場限りの逃げ口上の一つになってしまうのだ。重要なことは事に臨む人間の眼力、事態を正しく見抜く目をしっかりと養うことなのである。事態を正しく見抜く目は、対象を視覚的にとらえる目ではなく、見えないものを観る目なのである。この目は実は目の働きではなく、直観のことであり、仏教の用語で言えば、「眼耳鼻舌身意」の「意」の働きである。

マニュアルを作る人間にはマニュアルをつくるための基本的な認識があるだろうが、マニュアルを見て事に当たる人間にはそもそもマニュアルが作られた基本的な認識がない。基本的な認識が無いものがいくら、マニュアルを読んでも、それだけでは本当の認識には到達できない。

 福岡は自分の自然農法について、多くのことを語ったが、人々に理解されないことについても語っている。福岡は「直観」「悟り」によって自然農法に到達したが、福岡の自然農法を理解するには、理解しようとする側も又、彼と同じく直観的認識、悟りの経験をもつことが必要なのである。

 福岡正信が故人となった今、彼が認識したものを自分も認識しようと望む者に残された手段は、彼の残した言葉の山に拘泥することではない。福岡の言葉からも離れて、己の直観を働かせて自然をとらえることである。 このようにして直観によって自然を認識した者は、福岡の言葉から離れても、福岡が残した沢山の著作を読んでみれば、福岡と同じ認識に立っていることを確認することができるはずである。 福岡の死によって我々は何も失ったわけではないのだ。

(2008.10.15)