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ロバート・パーカーJr.「ボルドー第4版」より
ワインの品質についてよく言われ、人に訴える力のある議論の1つに、ワイン独自の個性を与えるブドウ畑を土壌という、魔法のような意味の言葉「テロワール」の概念がある。しかし、ポムロールの丘の頂に(ラフルールやペトリュスなどのスーパースターから3kmも離れていない場所でレグリーズ=クリネのすぐ隣)見事な「テロワール」を実際に持っているクリネは、高品質のワインをつくり得るとういことを、1人の献身的な人物が証明して見せた一例である。
私が言っているのは、所有者のジョルジュ・オーディの娘と結婚した故ジャン=ミシェル・アルコートのことだ。1986年、アルコートはクリネの管理を引き継ぐと、4年もたたないうちに、この毎回期待を裏切るシャトーをポムロールのヒエラルキーの最高位に押し上げた。どのようにしてそんなことを成し遂げたのか。まず最初に、摘み取りの日程と、醸造と、エルヴァージュのスタイルに関して、有名なエノロジスト、ミシェル・ロランに全面的な責任が与えられた。これな、クリネができる限り遅くブドウを収穫するようになったという意味である。事実1987年からクリネは、ポムロールで最も収穫の遅い畑の1つとなった。次に、1982年のヴィンテージで初めて用いられた収穫機の使用が中止された。その結果、1987年には、このアペラシオンを代表するだけでなく、ボルドーでも最高の2つのワインの1つ(もう1つはムートン・ロートシルト)が生まれた。その後、栄えある1988年、有無を言わせぬ偉大なワインである1989年と1990年が続いた。アルコートは信念を持ってクリネのマセレーションに1ヶ月も時間をかけ、同時に、一時期は高かったカベルネ・ソーヴィニョンの比率を15%以下に引き下げた。しかし、ボルドーの誰もが驚いたことに、このシャトーはジャン=ルイ・ラボルドに売却された。ラボルドは静かにクリネの名声と、1990年と1989年に達成した品質の頂点を再構築しようとしている。 |
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