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ロバート・パーカーJr.「ボルドー第4版」より
ラ・トゥール・オー=ブリオンは1983年まで、ラ・ミッション・オ=ブリオンのオーナーでもあったヴォルトナー家に所有されていた。1983年にこの2つのシャトーと、白ワインをつくるヴォルトナーのシャトー、ラヴィル・オー=ブリオンが、オー=ブリオンのアメリカ人オーナーに売却された。
ラ・トゥール・オー=ブリオンのワインは、1983年まではラ・ミッション・オー=ブリオンで醸造され、まったく同じように扱われていた。両方とも、完全に二次(あるいはマロラクティック)発酵が済んだ後、樽の選別が行われ、いちばん有望な樽がラ・ミッション・オー=ブリオンのために選ばれ、残りがラ・トゥール・オー=ブリオンにまわされた。1982年や1975年といったヴィンテージでは、これら2つのワインの品質の差はごくわずかである。ラ・トゥール・オー=ブリオンに独自の個性を与えるために、黒っぽい紫色の、非常にタニックなプレスワインが、ラ・ミッション・オー=ブリオンよりも多く加えられた。その結果、ラ・ミッション・オー=ブリオンよりスケールが大きく、タニックで、色の濃い、グリップのあるワインができ上がった。プレスワインの添加によって、ラ・トゥール・オー=ブリオンはほとんどのヴィンテージでゆっくりと熟成する。ヴィンテージによっては(特に1973年や1976年)、もっと知名度の高い兄貴分よりもよいワインになったこともある。
ディロン家とジャン・デルマによってワイン醸造が管理されることになってから、ラ・トゥール・オー=ブリオンのスタイルはかなり変化している。もはやラ・ミッション・オー=ブリオンのセカンド・ワインではない。デルマは、比較的樹齢の若いブドウが植えられたシャトー自前の畑から、より品のあるスタイルのラ・トゥール・オー=ブリオンをつくるようになった。その結果、印象の薄い、しなやかなワインが生まれ、ラ・ミッションだけでなく、オー=ブリオンのセカンド・ワインであるバアン=オー=ブリオンにさえ劣ってしまった。1983年より前のラ・トゥール・オー=ブリオンの肉づきのよい、筋肉質でたくましいスタイルを愛する人たちにとって、新しいスタイルはショッキングな味わいだったことだろう。 |