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ロバート・パーカーJr.「ボルドー第4版」より
2001年、2000年、1998年、1995年、1990年、1989年、1985年、1982年、1975年、1961年、1950年あるいは1947年のレヴァンジルを試飲した人なら、このシャトーが、荘厳な豊かさと人の心をつかんで離さない個性を持ったワインをつくれるということがよくわかっているはずだ。14haの畑は、北をラ・コンセイヤント、ヴィユー・シャトー・セルタン、ペトリュス、南をサン=テミリオンの偉大なシュヴァル・ブランに境を接する輝かしい立地にあり、土壌は粘土と砂が混じった深い砂利質土壌である。このような有利な点があるのだから、私は、レヴァンジルが(一貫性の模範ではないが)ペトリュスやラフルールやシュヴァル・ブランに匹敵するワインを生産することができると信じている。
現在それが進行中である。1990年にロートシルト家(ラフィット・ロートシルトのほう)が過半数の株式を取得し、2000年にはアルベール・フレール(裕福なベルギー人で、シュヴァル・ブランにも出資している)とともに全株式を取得した。彼らはこのシャトーの限りない潜在能力を完全に認識しており、レヴァンジルはじきに品質においても、そして嘆かわしいことだが価格においても、ペトリュスやラフルールに挑戦するようになるだろう。
確かに、故ルイ・デュカスは彼のブドウ畑が際立っていることをはっきり知っていたに違いない。なぜなら、彼はレヴァンジルはあらゆる点で隣りのペトリュスと同じくらいよく、そしてもっと複雑ですらあるという見解を述べて、訪れるワイン評論家をしばしば脅しつけていたからである。非凡なデュカス夫人は90代半ばという年齢でも日常的にレヴァンジルの運営にあたっていたが、数年前に亡くなった。私は、1990年代初めにこの驚嘆すべき女性と昼食をともにした時のことを忘れない。その時、彼女は自身のセラーから1964年、1961年、1947年を出して注いでくれた。山盛りのトリュフ、子牛の胸腺肉(リ・ドゥ・ヴォー)、牛肉のフィレの豪勢な昼食が終わる頃、私は料理をすべて平らげて、客よりも早く栄えあるワインを飲み干したただ1人の人物はデュカス夫人であることに気がついた!
現在、レヴァンジルは完全にロートシルトの所有下にあり、私はこのシャトーが年々ペトリュスやシュヴァル・ブランに近づいていくことを期待している。選別もせずに、勘と経験に頼った醸造法と育成法で何年にもわたってつくられてきた偉大なワインが実証しているように、魔法のような畑である。ロートシルト家の完璧主義の体制のもとではすべてが変わるだろう。この偉大な出来の実績をもつポムロールは、さらに偉大になる態勢である---価格のほうも。 |