私的なことで恐縮ですが、私の母は40年前の6月1日に死にました。 その数日前に次のような言葉を残して逝きました。
衆禍の波、立ちさかまくも、光明の広海に浮沈、 こころ平安、有難や、なんにもいらなんだ。ただおたすけひとつ、 もうすんだ手ぶりでかえる。
私の寺の一室に「衆禍波転」としるした額が掲げてありました。この言葉は、 親鸞聖人が著された『教行信証』の行巻の
しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、
至徳の風静かに、衆禍の波転ず。
日頃、母は「衆禍波転」の額を見るたびに、右の『教行信証』の御文を思い浮かべて 味わっていたのでしょう。それが臨終に口から出たのだと思われます。
病気で苦しむ中に発した母の「こころ平安」という言葉を、私はその時には理解 できませんでした。こんなにもがき苦しんでいるのに、本当にこころおだやかなの だろうかと不審に思いました。
後日、私は『阿弥陀経』の中に、阿弥陀仏の名号を信じ称える人は、
命終のときに望みて、阿弥陀仏、
もろもろの聖衆と現じてその前にましまさん。この人終らんとき、
心顛倒せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得。