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海からの自然の恵みと、
伝統の技が出会って生まれた新鮮な味わい。
蒲鉾の旨さの秘密を
その歴史やいろいろなエピソードから
探ってみましょう。
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神功皇后が三韓征伐へ向かう途中、生田杜(今の神戸)で魚の身をすりつぶし、それを鉾の先に付けて焼いて食べたのが起こりで、その姿が蒲の穂に似ていたことから「蒲鉾」の名が生まれたといわれています。ただし、これは作り話の域を出ず、この伝説の記録は発見されていません。
文献に登場するのは平安時代以降で、そのころ「蒲鉾」と呼ばれているのは竹に付いたちくわ。つまりその原形は今のちくわだったのです。それが板付になったのは、室町時代のことではじめは焼いて作り、後に煮るようになりました。蒸されるようになったのは江戸時代で、このころにようやく、今の蒲鉾の姿になってきたのです。 |
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科学的な理由があります。自然の木の板は蒸し上がった蒲鉾が出す余分な水分を適度に吸い込んで、腐りにくくまた、かびにくくしてくれるのです。
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「さらし」という行程があるからです。冷たい水で洗いながら身をさらすことで、魚の脂肪をきれいに取り除き、さらに蒸されることでいっそう白くつややかになるのです。
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| 魚肉から作られる蒲鉾は、良質のたん白質やカルシウムがたっぷりです。しかも低カロリー、低脂肪ですから、代表的なヘルシーフードといえます。もちろん塩分の心配もありません。
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宇和島地方における蒲鉾の起源は、元和元年(1651年)、初代宇和島藩主として伊達秀宗が宇和島にはいった際、仙台よりかまぼこ職人を連れてきたのが始まりという説があります。
一方、それ以前から九島周辺で蒲鉾の原料であるエソが豊富にとれていたという記録もあって、すでにエソを加工して蒲鉾を作っていたのではないかという説もあります。
いずれにせよ17世紀初めには、宇和島で蒲鉾が作られていたのはまちがいないようです。
宇和島の蒲鉾は、焼き抜きといわれ、その原型にもっとも近いもので、素朴で、宇和海の新鮮エソを用い塩味だけで作るのを特徴としています。
明治・大正時代では、小田原、明石とともに日本三大名産地でした。現在も伝統的な製法が維持されていて、昭和55年(1980年)には、八幡浜とともに愛媛県の伝統的特産品に指定されています。 |
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