こどもたちにとっておやとは、家庭とは
始まり1
 30才になったころの夏、妻が胃ガンで入院手術した。転移もなく、完治するはずだったので妻にも知らせた。長男も幼かったしでまた夫婦ともかなりの恐怖の日を過ごしたが手術も成功して無事退院し、毎日再発の恐怖と同居しながら一日ずつを大事に暮らした。冬が過ぎる頃に庭先に雑草が芽をだしたが、草一本ずつの生命がいとおしくてとても草引きができなくなっていた。生命をいとおしむ気持ちが妻の入院前とはぜんぜん違っていた。動物・植物すべての成長にうれしさを感じるようになった。
始まり2
 家族で生き抜くため(なんのこっちゃ)無理して土地を買い家をたてた。隣町にカトリック教会があり、妻が日曜礼拝に通い始めた。教会へはわしの車で移動したので教会の信者さんたちとは顔見知りになった。シモンズさんという白髪のおじさんが司祭をしていた。わしと妻とシモンズさんは考え方や感じ方が似ていてよく話をしたり、またシモンズさんも家によく遊びにきたりしていた(ちなみにわしはいまでも無神論者です(^^;;)。このシモンズさんは養育施設への活動もしていて、私たちも参加するようになった。といっても養育施設へ遊びに行き、こどもたちと顔見知りになって世間話をする程度だった。自分のこどもも妻が再発すれば家庭が??状態だったので施設のこどもたちの立場がかなり理解できるようになった、と思います。

里親1の1
 養育施設には、公共の支援のほか、私的にも支援があります。ただし物質的金銭的な支援が多い。精神的な支援としては各団体の慰問活動が多い。また施設の先生方もこどもたちの世話をされています。短期の里親さんたちも支援されています。
 けれどこどもたちが無くしたのは「家庭」ですからやはり「家庭」を、ということで里子として施設を出るこどももいます。どうしても「かわいくかしこい」こどもが先になります。こどもたちが選抜されるわけです。どのこどもも立場は同じなのですが。
里親1の2
 家庭があるのだけれど事情があり自分がそこにいられない子、両親に病気などの事情があり暮らすべき家庭がなくなった子など、年齢も乳児から中高生まで様々です。

里親2の1
 シモンズさんが県外の団体が「家庭」をさがしているという話を持ってきた。父親がいなくなり、ついで母親もいなくなった2才と3才の姉妹がいた。近所のひとも気づかずかなり長い間自分たちでお菓子などを買いながら姉妹だけで生活していたそうです。
 よければわしらあの家ですごしたらということで、すぐ姉妹が高知へ送られてきた。二人ともやつれた様子はなく食事については順調だったらしい。歯を食いしばる生活が続いたらしく姉妹とも下唇に血がにじんでいたし敵を見る目つきだった。抱き上げてもからだをこわばらせて拒否した。食事でも、一度に全部食べようとするのでやさしく美しい妻が(^^)おやつの時間には必ずおやつを出すから、決まった時間に必ず食事をするからといいきかせた。こどもなら当然泣くような場面も姉妹が下唇をかみしめたまま無言だった。この姉妹はどんな生き方をしていたんだろう、なんだかほとんど野生状態だった。この状態で数日すごしたあと、ようやく大声で泣いて意志の表明が出来始めた。スーパーに家族で買い物に行ったときほしいものを買ってもらえなくて泣いたと思う。やっと泣いてくれたとうれしかった。そのうち勤め先から帰ると玄関まで走ってきて我先にとびついてくるようになった。テレビも膝の上で落ち着いて見るようになった。妻にもしつこくくっつくようになった。うちの長男も含めて3人の子に不公平にならないように気をつけた。風呂にもみんなで入れるようになった。5人家 族になりきってしまった。
里親2の2
 この間すべてのことをシモンズさんと相談し、アドバイスをもらいながらこどもたちとの生活を楽しんだ。長男も一人っ子だったのでよく協力してくれた。姉妹が自然におとうさん、おかあさんと呼ぶようになってから数ヶ月して急に姉妹の親族が姉妹を引き取ることに決まった。姉妹にとってはやはり肉親の家庭が一番なので選択の余地はいっさいない。話があって次の日にはもう迎えがきていた。親族の車で出発した姉妹が窓から「おとうさん、おかあさん」と叫んだそうだがが気持ちがしろくなっていて聞こえないし返事ができなかった。かなりつらく、がっかりした。けれどおびえきっていた姉妹がのびのび楽しい姉妹になったからいいのだ、とみんなでお互いいいきかせた。
 しばらくはわしらを捜すかもしれないが、親族の家庭だから慣れるだろう。その後この親族さんともしばらく連絡をとっていました。大丈夫らしい。
里親2の補
 この姉妹は民間のボランティア団体の活動であずかったため、金銭的な補助は無かった。けれど衣服や布団などの物質的な援助とアドバイスやはげましなどの精神的な援助はシモンズさんをはじめとするたくさんのかたたちからいただきました。
 また公共機関が入っていないのでわしらの家に姉妹が生活する「根拠」がなく法的に非常に弱い、ということがわかってきました。それで今後は里親として県に登録したほうがよい、ということになりました。
 なおわしの職場でうちに姉妹がいることを知っているひとはうちに遊びにきた先生だけだと思います。向こう三軒両隣のかたたちはすごく理解してくれ、声かけなどもしていただきました。妻の普段の近所つきあいのおかげです。わしは無愛想です。
欄外 里親さん
 養子縁組を前提とした里親さんと、こどもの成長に必要な期間養育する里親さんがあります。両方とも県からこどもを委託され養育費?が支給されます。養子里親さんの場合は老後の面倒をみてもらうといったケースもあります。養育してくれる里親さんは数がすっごく少ないです。そのため家庭での養育に適すると思われるこどもでも施設で養育することになります。
 なお施設のほとんどは民間支援団体が公共の援助で運営しているようです。 
欄外 
 上の「はじまり」で書いたようにすごく自然な流れのなかで里親を始めました。気負いや迷いも全然ありませんでした。
欄外 シモンズさん
 カトリック教会の司祭さん。ほんとは司祭さんと呼ぶらしいけどわしは教会人でないし、失礼だけどシモンズさんと呼んでいる。日本滞在はすごく長いのに日本語が流暢ではない。
 行動派の司祭さんで、司祭館で静かにお祈りというタイプではなさそう。万事に造詣が深くわしの御師匠様です。とくにこどもの心理については勉強させていただきました。わしの教師としての活動にも影響がおおきいと思っています。
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