里親3の1
 妻と長男との3人の静かな?生活にもどりしばらくして司祭さんから連絡。中3の男の子。昼間は中学校の先生で夜はまた中3かよ、と思いつつ話を聞く。養育施設にながくいたが施設にあわず保護されたが施設には帰れない、行政施設に入るだろうという事情の子。もともとそんな子ではないので行政施設に入るよりは環境を変えて「家庭生活」で中学校を卒業できるのではないかと、司祭さんや児童相談所の先生(すばらしい先生がおいでるんですよ)たちの意見付き。今度は児童相談所が入っているし県の里親だから法的にもしっかりしてるとのこと。また司祭さんたちや児相の先生も応援するとのこと。

 家族会議の結果「本人次第」という結論が出ました。彼が一時的に起居する児童相談所へと家族で会いにいきました。彼は自分の状況はすでに聞かされているのでこちらは「来る」か「来ない」かの選択を聞くだけです。「センコーの家なんかいやだ」と言われてしまいました。こちらも「学校では先生やけど家に帰ったらただのオンチャンぜよ」と切り返しました。しばらくの無言のあと「行く」と返事がありました。(その後わしはずっとオンチャンとよばれた)

 わしの家庭へ来る理由と我が家の法律を彼に確認してもらいながら帰りました。これが7月後半のちょうど夏休みのはじめでした。こどもについての分厚い資料もいただきましたが、色眼鏡なしでいたかったので資料は最後まで開けませんでした。後で児相の先生に「見てもらおうと一生懸命作ったんですよ」と言われてしまいました。
里親3の2
 夏休み中に布団一式とか制服・教科書・ノートなどをそろえなければいけません。中学生の制服の値段の高いこと、なんでわしのスーツより高いのかなどとは言ってられません。ほんとに学校の先生方はなにを考えてるんだろう>わし。県からの補助はありましたが中3の男の子は結構金がかかる。地元の中学校への転入の手続きにも行ってきました。生徒さんとの関係は、と聞かれ「保護者」ですと返事すると不思議そうな顔をして「おじさんですか」と聞いてくれます。「いえ、保護者です」で済ませていただきました。くわしい事情はわしも知らないんだから。まあ本人がいいたければ言うだろうし。

 夏休み中の転校でもこどもは遊び相手をみつけます。帰りがだんだん遅くなります。オンチャンの出番です。「うちに住む人間はうちの法律を守らないかん、6時に帰宅することになっとる。」といいます。「なんでやー」とかいろいろ言っても「法律だー」の一点張りです。8時ごろまでに帰らなければ町中探しに行きます。探すのは「法律」ではなく「心配」でさがすのです。そのうち6時に帰れるようになりました。(すべて司祭さんのさしがね)

 妻が日曜礼拝に行っていたので、家族全員で教会に行きます。信者の人たちは事情がわかっているのでみんな声をかけてくれます。司祭さんの説教が苦痛のようでしたが、これも勉強です。ちなみにわしは無神論者です(^^)。

 いろいろあったけれどかなりトゲが抜けた状態で2学期を迎えて、新しい学校に登校です。家の日課も決まってきました。長男との関係もうまくいってるようだし。中学校ではいろんな行事に積極的に参加しているようです。同じ町内に同級生のすごくしっかりした女の子がいていろいろ知らせてくれます。
 2学期に入ってすぐでしたが、「ただいまー」と帰ってきたのを見たらボンタンはいてたそうです。妻の「あんたにはいてもらおうと買ったのに」と涙攻勢でまたノーマルに復帰。ただ家の外ではボンタンの時があったかも、帰宅時はノーマルでした。 
里親3の3
 家庭での生活は決まったリズムになるよう気をつけた。彼と長男の学習時間にはわしらもオベンキョーするようにした。就寝時間も動かさなかった。

 「よその子をあずかっているのでちゃんとやろう」などと考えるとわしらの場合は一週間ももたない。かれが生まれたときからずっとわしの家にいて、ずっと一緒に生活してきたとわしらは自然に「感じる」ことができていたのでふつうの家庭になっていたと思う。彼の両親については彼の持っているイメージを大事にした。

 わしには大変素直に反応してくれたのが、妻に対してはよく不満な顔をしていた。妻が悪いとかでは絶対なくて彼には女性にたいする偏見らしいものが感じられた。学校でも女先生との摩擦があったらしい。妻としてはやり切れない面もあったと思う。わしのほうでのサポートも十分でなかったし。

 学習面の能力は実力より高いように見えた。英語でも始めは基礎力の不足で苦しかったが、毎日の日課の学習時間でかなり授業についていけるようになった。毎晩の学習時間も「いやだな」といいながらもかなりせっせとやっていた。しかたないので家族全員がなにか学習するようにした。この時間にわしはよくギター(クラシック)の練習をしたが、だれも不満顔はしなかった(^^)、「勉強」と認めてくれていた。

 空手を勉強したい、という。夜間に公民館で道場が練習しているのに参加したいとのこと。せっかく練習するならがんばってね、とおくりだす。雨の日などはわしの車で送り迎えしたとき道場の先生のお話をきくと、一生懸命練習しているとのこと。やっぱしおまえはやるねと、本気で感心してしまう。
里親3の4
 正月はわしの実家へつれて行った。「親戚」のつながりを見せようとおもった。おりこうにしちょらんといかんぜよ、と厳重に言い渡されたせいでもないだろうがなかなかおりこうにしていた。わしの兄弟たちからお年玉をもらったせいかもしれない。将来嫁をもらって家庭をつくるとき親戚のイメージの参考にしてくれたらいいな。
 3学期にはいると中学校では進路指導がある。わしも3年担任なので暮れからウサギみたいに赤いおめめになってしまう。こどもたちが自分で選択できる最初の自分の人生だもんね。

 ところで彼には高校へいくならうちから通え、といってあった。でも、もう勉強はいやということで仕事をするという。金をかせぎたいという思いもあったようです。学校ぐらいはちゃんとやれんと仕事はできんぞというと「うん」。けれど遊び仲間がつぎつぎ"受験勉強"の態勢にはいると相手がへっていったようで寂しそうでした。

 学校のほうから職安の新規学卒の仕事の連絡がはいりました。大工さんだそうです。職場をみせてもらうときはわしも同行させてもらいました。まじめそうな職人さんでした。彼にもいろいろお話をしてくれてました。どうもこの職場に決まりそうという雰囲気で帰宅しました。その後も夕方までそとで遊び、夜は家族と勉強や遊びという生活が規則正しく(^^;;流れていきました。家庭内は平穏でございましたよ。まえにも言ったように妻はかなり苦しんだようでした。女性にたいする偏見のように意識の根本的な面までは入れなかった。わしの責任です。
 3学期は短い。あっという間に卒業式。休みになり次第仕事をして稼ぐといっていたかれは二日後に大工さんに弟子入りしてしまった。「おまえなら絶対やれるからね。心配してないよ」という言葉とはうらはらに複雑な心境のわしらでありました。
里親3の補 彼の世界とわしらの世界
 中学3年生ともなるとかなり自分の世界があり、幼児のようにこちらの世界にはいらない。自分の生んだ子でも同じだけど。彼の方でも自分の世界とわしらの世界の線をどれくらいまで消しまた残すかで行動や考え方が決まったと思う。また後半は素直に反応していたのは打算ではなく「役にたちたいだけ」というわしらの気持ちも汲んでいたと思う。わしらの知らん世界も持って当然と思う。ただ女性を軽く見るのは直したかったが成長過程の比較的はやくの形成らしく、わしには踏み込むことができなかった。
里親3の補 養育費
 養育里親には養育費が支給されます。妻が家計簿をつけて必要経費(制服や教科書・文具など)以外は彼の名義の通帳を作って貯金していました。わしたちもかなり迷いました、この金をどうするか。支援のかたたちは当然養育費として受け取るべきと言います。わしたちはこの金は取れない、で夫婦が一致しました。いつこのお金を渡すかで迷いましたが、じぶんの人生の出発だからと、就職するときに通帳と印鑑を彼に渡した。
里親3の補 じつはひまではなかったのだ 
 この頃はわしは担任はもちろん部活(ソフトボール)も持っていて夏休みもあまり家にいないし休日もない毎日だった。平日も帰宅は暗くなってからだし。帰宅しても肉体労働のあとですからほとんど粗大ごみ状態です。当然妻と長男の負担が大きいのです。そこへもってきて彼は女性には素直でない面を持つからよけいストレスたまったと思います。ちなみに夕食はわしが帰るのをまってくれていました。家族そろって食事をしよう、です。
里親3の補 学校とのかねあい
 実は学校には言ってなかったので他の先生方はわしが里親をやってることを正式には知らない先生がほとんどだった。二学期に研修旅行の計画があがったとき不参加の申請を校長さんに出すときに言うことになってしまった。始めから耳打ちしておいたほうがよかったかも。
里親4 失敗
 小四。半年いたがどうしても入れてくれなかった。自信喪失。ふれたくない。終わり
 などと書くとこどもたちに申し訳ない。児相からの施設未体験の小4の男の子(Aと呼ぶ、ありふれー)で事情により家庭をなくした。親戚もひきとらない。
 いたって明るく活発でしかも男前ときている。どこにいっても女の子にもてる。小学校でも転入当日にはやくも友達をたくさんつれてくるし、通りかかった女子中高生にもおおもてで「ぼく、何年?」とか「学校は?」などアンケートされてるのをよく見かけた、いいなー(^^)。おじさんおばさんたちにも可愛がってもらっていたし。

 そとから見えない部分があることに気づいたのは一ヶ月もしてから。Aの癖を近所の親切な奥さんがそっとしらせてくれた。やっぱり今回は児相のレポートを見た方がよかったかな、と思いつつやっぱり見なかった。わしは色眼鏡に対する嫌悪感がつおいのだ!(学校の先生なのにね)。見えない部分を見ることができなかったことがすごく情けなかった。また普段の明るい活発な面を評価していたし、それがすべてと思いかけていた。

 見えない面が見えてからもそれまでどうり普通の家庭で明るく楽しく流れていった。そのうち全部出し切るよ、大丈夫。
 だんだんわかってきたのは、Aはかなり知能を持っているらしいこと。わしらが思っていることもかなりの部分が予測済みらしい。何ヶ月たってもわしらには表面しか見せない。じつはこの間ほとんど切れ目なしにAが起こした多数の事件の事後処理をしていた。地域のかたたちやAの友人の家や店への謝りやことわりや釈明を続けながら見守った。いつかは出し切るだろう。わしらがあたまを下げてこどもが育ってくれるならなんぼでも下げちゃる。

 ・・・・・・とはいえわしらも人間。ある日とうとう怒って(叱ってでなく)しまった。そのときからわしの「見守る」が崩れた。家庭は機能したが表面だけ。結局児相へもどすしか無かった。これほど悔しい思いをしたことはない。自己嫌悪にもおちいった。このときの「怒った」「入れなかった」「家庭で守れなかった」というAへの罪悪感はいまもかなり大きい。このあとわしは児童心理の勉強にせいをだしたのは言うまでもないと書きたいが、やらんかったぞっ。
 やっぱし書きたくなかったな。つらいな。かなしいな。
 素人が診断すべきでないが、かなり本能に近い部分での問題だったのかもしれない。なぜもっと気長に待てなかったのかいま考えると後悔ばかりだ。
欄外 世の中いろいろです。ひとさまに言われたこといろいろ。人生は勉強
こどもが好きなんですね こどもはペットではありません。好き嫌いじゃないと思うんだけど。わしらも苦しいとき多いんですよ。けどおとながこどもの成長を見ないでだれがみるの。
クリスチャンだからやってる あんたは「自分のこどもだけ」なんですか。おとなの責任と思うのだけど。わしは頑固な無神論者だっ。(神前結婚+仏式葬式)
隠し子説  ・・・・・・?想像力豊かなおこさまをお育てなんでしょう。たぶん。
お金くれたらうちの子を入れてあげる(TEL)  ・・・・・・なんかお間違えじゃないですか。あっ冗談でしょうね、たぶん。
親の因果が子に報い あんたね、他人の子だからってそこまで言うのか。しかもあんた学校の先生だろうが。こどもにはなんの責任もないんだよ。
ぬけがけ でも学校の仕事とは関係ないから。それに「なんとかの研究」なんかとはかなり意味がちがうのですよ。でも校長先生にも言ってなかった。すみません。
あしながおじさん ふるいっ。学費も必要だろうけど、こどもが住む「家庭」がいると思うんだ。
えせ正義 行政の幹部さんより
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