父と妻の手術・・癌告知・家族としての経験から

 私は自分自身で妻と実父と二人の癌の手術をした。一人は助かり、一人はなくなった。
 癌から回復する喜びと、癌で肉親を失う悲しみの両方を経験した。
 癌の告知、治療の難しさを、癌を治療する医師の側と、がん患者をもつ家族の側からの両方の立場から体験した。
 この体験をするまで、患者の家族が許してさえくれたら、私は患者への癌の告知は「100%告知すべきだ」と思っていた。
 しかし、多くの場合、患者の家族の人に告知することを拒否されて、思うように告知は進まなかった。

  自分の妻と父の癌を家族としての立場で経験して、家族として、告知することの困難さをいやというほど心に感じた。

 いや、実際は告知などどうでもいいとおもったのだ。ただ、患者が幸せであってくれたら、それでいいと。



       一、妻が癌に倒れる

 19**年*月*日、病院の医局にいた私の前の電話が鳴った。
 時間はもう午後4時を少しすぎていた。それは私の妻からだった。
「あなた、私吐血したみたいなの」
 私は自分の耳を疑った。今朝まであんなに元気だったし、病気のきざしはひとかけらもなかったからだ。
 私は、まず落ちついて話すようにアドバイズしてから、今日一日、食べたものをたずねた。コーヒーを飲まなかったか、にんじんを食べなかったか、トマトジュースを飲まなかったかなど。
「そんなんじゃないのよ。血のかたまりがでているから間違いないわ」

 家に帰ってみると、妻のいったことは本当だった。台所の流しに、かなりの量の血液が塊とともにでていた。
 この頃、彼女はかなりストレスの多い生活をしていたから、きっと、ストレス潰瘍からの出血だろう。
 わたしは、すぐに自分の車で、病院につれて行った。
 病室を用意して、同僚のAドクターに内視鏡を頼んだ。

 病変は胃の入り口を五センチくらい中に入ったところにあった。
「良性潰瘍と思いますが、先生、念のためにバイオプシーしておきましょうか」
 バイオプシーとは胃の病変のところから直接細胞を採取して、顕微鏡で、良性か悪性かを調べる検査だ。
 血液検査で、かなりの貧血がみられたので、輸血をどうしようかと迷ったが、まずはバイオプシーの結果を待つことにした。

 家に電話して、子供達に彼らの母が入院したことを知らせた。当時長女は高校生、長男は中学生で、一番下の子は小学生だった。
 
 翌日、わたしが、外来をしていると、Aドクターがバイオプシーの結果を持ってきた。
 彼の表情から、あまりよくない報告だとわかった。
 結果は「悪性」で癌だった。私はこれまでにも、バイオプシーの結果用紙を何百回となく見てきた。
 なれているつもりだった。
 しかし、妻の胃から採取した細胞が悪性と診断されたレポートをみながら、わたしの頭に浮かんだのは、彼女の癌がすでに手術できる範囲をはるかにこえている姿だった。

 私は、大急ぎで、手術に必要な検査を済ませた。
 病院の外の喫茶店にA先生をさそった。
「妻の手術を自分で執刀しようと思うが、君はどう思う?」
「私がお手伝いします」
 それが彼の答えだった。
 私は5日後に彼女の手術をする事に決定した。

 翌日、院長室によばれた。
「君は奥さんの手術の執刀をするそうだね」
「はい」
「よしたまえ。自分の家族の執刀をするのはよくない。平静な気持ちでできないだろう」
 院長のいうことは正しいと思った。

 確かに私は平静な気持ちではない。
 手術をしていない今でさえ平静でないのだから、手術中はもっと平静でないかもしれない。
 しかし、こう考えることもできた。
 自分の妻の手術さえ満足にできないのなら、他人の大切なご主人や奥様の手術をすることが許されるのか?
 私が若いときから今まで、苦労を重ねて、手術技術を磨いてきたのは何のためだったのか?
 自分に最も近い人間が危機に瀕しているのに、それに役だってやれなくて、それが技術といえるのか?
 考えた末に、私は予定通り自分の手で妻の手術を執刀することにした。 

 麻酔は大学で助教授をしている同級生に頼んだ。彼は何回も家に来て、飲食をともにしたことがある。

 手術の日に、手術台の上にのった妻を見るのはあまりいい気持ちではなかった。
 妻のほうは麻酔医が知り合いの医師なので案外とリラックスしていた。
 いつものとおり、気管内挿管が行われ、麻酔医から皮膚の消毒をしていいとの合図があった。
 私は、妻の腹部を消毒した。
 口からチューブを通されて彼女は眠っていた。
 私は自分の心に平静かどうかきいてみたが、あまり平静とはいえなかった。

 消毒を済ませて、手術用のシーツをかけた。無影燈の下で、白い皮膚だけが露出されていた。
 シーツが掛かって、顔が見えなくなった瞬間に、私はいつもの外科医に戻っていた。
 メスで皮膚切開をいれ、筋膜、腹膜と順番に切開して、腹腔にはいった。
 癌は胃のまわりのいちばんちかい部分のリンパ節に転移しているだけで、それより遠くまではいっていなかった。
 A先生との呼吸のあった手順で、手際よく癌の摘出にかかった。
 胃を全部摘除し、脾臓も一緒に取った。
 わたしはもう手術しているのが妻であることなど考慮しなかった。
 約4時間で手術は終わった。
 腹部にガーゼをあて、手術用シーツをのけると、ふたたび、妻がそこにいた。
 妻の顔が見えるようになったときから、私の心はまた平静でなくなった。

 子供達をICU(集中治療室)にいれてやって、妻に会わせた。
 「ママの手術は無事すんだから家にかえっていなさい」

 翌日、個室に移した。
 妻の姉が、二日間付き添ってくれた。

 妻が入院して、私は妻のありがたさがはじめてわかった。
 主婦なんて大したことはしていないと思っていたが、それは大いなる誤解であることがわかった。
 洗濯済みの下着やワイシャツがきまった場所にあるということのありがたさがはじめてわかった。
 長女が洗濯をしてくれているのだが、たくさんの洗濯物の中から自分のものを探すだけでも一苦労だった。
 日常と違う生活をしながら、勤務をするのはとても疲れた。
 毎日家庭の用事をこなしながら勤務している看護婦さん達の大変さを思った。
 
 妻の術後の回復は順調だった。子供達は学校から帰りに毎日病室によった。
 一週間後には食事を開始し、手術後約1月で退院した。貧血が残っていたので抗ガン剤の注射はしなかった。

 妻は自分の病名を私に聞かなかった。自分でかってに「潰瘍」と信じ込んでいるようだった。
 わたしは、原則として「癌の告知」は患者全員にするべきだと思っていた。
 例外は、告知に耐えられないくらい、性格の弱い人や、もう告知をして悩ますこともないだろうと思うくらい高齢の患者さん達だ。
 しかし、それまでも、なかなか思うように全員に告知をすることはできなかった。
 それは、患者さんの家族からの反対があったからだ。

 実際に自分の妻が癌になり、手術を終え、こうやって回復してみると、彼女に向かって
「君はじつは癌だったんだよ」
というのがとてもむづかしいのを感じた。
「もう少し元気になってから話そう」
 私は自分にそう言い聞かせて、告知をもう少し先にのばすことにした。

 それからまた一か月がすぎて、妻がほとんど手術前の生活にかえったころ、今度は
「いまさら、告知して、彼女を悩ますこともないかな」
と思いはじめた。

 それからの5年間、彼女の癌がいつ再発するかと、私はときどき不安にかられるときがあった。
 どんなに、手術が完全にできたと思っても、細胞レベルでの転移が完全には否定できないからだ。
 下の子はまだ小学生で、今、母親を一番必要としている。
 それまでの私は、病院の仕事がいそがしくて、妻や子供達と、ゆっくりつきあったことが、ほとんどなかった。
旅行らしい、旅行もあまりしていなかった。
 私は、病院から比較的早く帰って、妻や子供達と一緒にいる時間を以前より多くした。家族そろっての時間が貴重に思えてきた。
 旅行にもつれていった。
「私が病気してから、やさしくなったのね」
「わたしが今まで元気だったから、病気するなんて夢にも思わなかったんでしょう」
「でも、すっかり元気になったから、もう大丈夫よ」
 妻は私の変化をすなおに喜んだ。

 そして、告知しないまま、5年がすぎていった。

 手術後、5年がすぎたある日、私は妻に
「ちょっといいかい。君の病気だけどね。じつは癌だったんだ。」
「・・・・・・・・」
「でも、もう5年経過したから、大丈夫。なおったよ。おめでとう。」

 私は、これでよかったのか、一度ゆっくり妻と話し合ってみるつもりである。


       二、父の場合

 19**年の正月を過ごすために、父と母が高松の私の家にきた。いつものように紅白をみながら、ふと父がつぶやいた。
「最近どうも便秘していけない。どうしてかな」
 何気ないそのことばが、私は妙に気になった。
「お父さん、それはいけないから、正月がすんだらすぐに大腸の検査をしてみよう」
 父は今まで通りとても元気で、食欲もまったく普通通りだった。
 滞在を少しだけ延ばしてもらって、病院が始まるとすぐに、検査をすることにした。
 何もないように祈るような気持ちで行った大腸レントゲン検査の結果はS字状結腸癌だった。
 しかもかなり進行していて、大腸が癌でせまくなっていた。いやな予感があたってしまったのだ。
 大急ぎで、体の他の所に癌が転移しているかどうかの検査をした。さいわい、明らかな転移は見つからなかった。

 私はさっそくこのことを父に話すべきかどうかを母と妻に相談した。
「手術の結果がわかってからでいいのじゃない?」
「結果がよければいいけど、悪かったら、かわいそうなんじゃないかしら」

 父はからっとして、ものごとにあまりこだわらない性格だった。じっとしているのが嫌いで、いつもどこかへ出かけるのがすきだった。
 最近は面づくりに熱中している。一日も早く、家に帰って、面づくりを再開したいという父を説得して滞在を延ばしながら、私は手術日の2日前に父にいった。

「おとうさん、腸に潰瘍ができていて、手術しないといけないんだ」
「薬ではだめなのか」
「はい、手術しないと、そのうち便が通らなくなってしまうのです」
「それは困るな」
「いま便秘しているのが、その兆候なんです」
「そうか、手術しないといけないのか。おまえがしてくれるのか?」
「お父さんのお望みならぼくがします」
「頼むよ。そのためにおまえを医者にしたんじゃないか」

       三、癌の告知について

 肉親の手術をする前は、私はすべての人に癌告知をするべきと思っていた。
 しかし、そう思っていた私が、父にも妻にも癌の告知をしなかったのはどうしてだろう。

 思っていることと、実際とはこんなにも違うのだ。

 わたしはそれまで、家族が反対するために本人に、癌の告知をしてあげられないことに罪悪感を感じていた。
「家族の人のせいで、自分の思っているとおりしてあげられない」 「家族のひとさえ賛成してくれたら、患者はもっと違った考えで残った人生を過ごしたかもしれないのに」と。

 しかし、今、私はそうではないと思っている。  この問題は、告知がいいとか悪いとかでかたずけられる問題ではない。
 ひとりひとり違ってていいのだと思う。  いくら個人が大切にされる時代といっても、患者の幸福に最も深く関わっているのは、その人の家族なのだ。  患者にとって告知するのと告知しないのとどちらが幸福かを、医師が一人で決めるべきではない。
 「どちらが正しいか」でなく、「どちらがより幸福か」のほうが問題なのだ。  真実を告げるのが正しいとはかぎらない。  幸福でさえあれば、嘘だって許されていい。

 父は手術の時点で、癌がお腹の後ろに広がっていて、根治手術は不可能だった。
 一年後に、尿を運ぶ管がつまってきて、腎瘻(腎臓から直接尿が外にでるような手術)をつくり、さらにその一年後に、ついになくなった。

 最後まで癌告知をしなかった父は、死ぬ間際に般若心経を板に刻んでいた。
 面うちを一心にしていた彼がこんなものを彫ったのは、あるいは、自分の残された時間があまりないことを知っていたのかもしれない。
 しかし父は私に自分の病気について、一度も尋ねてはこなかった。
 わたしもそれについて聞きたいかどうか一度も尋ねなかった。
 今でもそれで良かったと思っている。


 「死と直面して、現在の生を充実して生きる」

 これは言葉で言うのは簡単だ。
 しかし、自分の残された時間がはっきり告げられて、その期間を本当に恐怖や、心配なく幸福に過ごせる人たちがいったい何%いるのだろうか。
 全く生の希望なくして人間が生きることの苦しさを、いったい誰がわかっているといえるのだろうか。
 患者の悲しい「あきらめ」を私たちは「患者は死を平静に受容して立派に生を全うした」といっているだけではないのか。
 それがかれらにとって最も幸福な選択だったといっていいのだろうか。
 回復を信じて、さいごまで医師に怒りをぶつけながら、もんもんとしながら死んでいった人のほうが、平静なあきらめの人生よりむしろ幸福とはいえないのだろうか?
 私たちは死に行く人たちの視点でなく、やはり傍観者の視点で物事をとらえているのではないだろうか?
 
 
       四、希望

 癌の告知について、私は今はこう考えています。

 私は癌の告知を

1)手術や化学療法で治癒が期待できる場合と、
2)手術も化学療法も不可能で、絶対的に治癒が望めない場合、特に予後があと2〜3カ月か1年くらいしか期待できない場合に分けております。
1)の場合は、原則として、患者さんに病名をお知らせし、患者さんと医療者が一致協力して、病気と闘わなければならないと考えます。

2)の場合は、私は、患者さんのご希望に添うことにしております。

「あなたは、病気について、すべてをお知りになりたいですか?」
「たとえ、それが、耐え難いような事であっても、すべてを説明してほしいですか?」
とたずねた上で、お話しします。
希望されない場合はお話ししません。

 患者さんには、「すべてを知る権利」と同時に、「耐え難い事実は知らないでいる権利」もあると思うからです。
 人は、顔が違うように、がんとの闘い方も個人差があります。面と立ち向かうのが好きな人と、すこし、逃げの姿勢が好きな人とがいます。

 ただ、予後まではっきりお話ししない人の場合(「あと数カ月の余命です」など)でも、私は次のことを原則にしています。

 1、うそは言わない。
 2、ただし、聞かれないことまで説明しない。

 私の告知が!00%でない、というのは、こういう意味です。


 患者から、生きる勇気と希望を取り去るのは一番いけないことと私は思います。
 たとえ真実をつげるときでも、多少の希望は残してあげるべきと思います。

 家族が告知を拒否するのは、ふかい愛情からきていることを、私たち医療者はもっと理解しなくてはならないと思うのです。

 告知する、しないより、何が患者にとって一番しあわせかが大切だと思うのです。




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