癌は知らせるべきか(1)?



徹底追跡400家族の苦悩と決断 がん知らせて良かったか?  月刊朝日1990-11

1、序論
 うそをつくのはつらい。真実を話すのもつらい。癌患者を持つ家族にとって、これは苦悩の選択である。まして真実を語ることが死の宣告に等しいとき、家族は胸張り裂けんばかりの思いで病床に寄り添う。
 近年、治る可能性の高いがんばかりでなく、治らないようながんについても告知をし、医療方針や終わりの過ごし方を自分で決めるといった流れが目立っている。この背景には、医療一般にインフォームドコンセント(患者への十分な説明と同意)が浸透してきたこと、また高齢化が進むにつれて死の問題がかつてほどタブー視されなうなったことなどがあるだろう。
 とはいっても、やみくもに全員に告知すればいいという問題ではない。本人の病状や性格、年齢、おかれている環境、医師との信頼関係、などを考慮して、一人ずつについてていねいに検討しなくてはならない。告知の是も非も、本人が最後まで納得のできる生き方ができるためのものでなければならないからだ。
 亡くなった当人に、告知された、あるいはされなかったことについて感想を求めることはできない。せめて、故人の身近にいて、がんの苦しみも、死への恐怖も、生への希望もともに分かち合った家族達の声を聞きたいと考えた。
 癌で亡くなる人は、年間21万人をこえる。告知をめぐるドラマも決断も、21万通りあると言っていい。


癌告知に賛成?反対?

 癌の告知に医師の側は、おおむね告知の方向です。自分が癌になったら、知らせてほしいという人も、40代の回答者では60ー70%です。しかし、実際には、癌告知に、家族の人の同意を得るのは現在でもまだ困難なことが多い。
 

判断の基準は?
 「癌が初期か末期か、本人の年齢、性格、存命予想期間、体力、気力、宗教、健康な頃からの本人の意思など。」

癌告知に賛成

1、告知すると、本人は残された時間を有効に使うことができる。身辺整理、相続、遺言等、
2、本人に告知すると家族のものも精神的に楽であり、健全な人間関係を保てる。
3、知ることは権利である。
4、告知を受けた上で、治療の選択も自分でしたい。
5、疑心暗鬼になって、ただ、疑問の解決のみに集中すると有意義な人生が送れない。


「なぜ知りたいか」

 「わたしは母の他にすぐ下の妹も癌で失っており、たぶん私も癌で死ぬと考えています。残された歳月を力一杯生きたいと考えていますので告知を望みます。」

 「うろたえたり、嘆いたり、大変なことになると思いますが、ごまかされずに本当のことを知りたいと思います。誠実なお医者様の対応を心から願っております。」

 「私の場合は事業をしておりますので事業をきちんと引き継いでおきたいから知らせてほしいと思います。」

 「告知しなかったために相続で大変でした。告知するべきだと思います。」

*「残されたタイムスケジュールに応じて、体の自由なうちに、残す家族その他に最低限の手続きをしておきたい。遺族間で相続問題や権利問題などの発生しないように整理をつけておきたい。」

 「自分の場合性格上、死の恐怖に立ち向かう強さがあると考える。限られた余命の期間を身辺整理に当てたい。」

 「身辺整理ができますので、それに治療についてもむだな延命治療の拒否とか解剖していただいて好いとか、自分の考えを残すことができます。残された日々を大切に過ごしたいし、家族に苦しい、うそをつかせたくないと思います。」

*「家族にとっては、患者が癌ではないかとしつこく聞くのに、うそを言い続けるのは大変な苦痛であり、告知すべきだと思う。」

*「本人に隠し通す苦しみは大変なものです。告知に賛成です。」

 「残された時間を有効に使いたいから告知を望みます。その場になったら、あせるばかりでないかと自信はありません。しかし知らされないで、疑いを持ちながら、死に至るのはたまらない。」

 「治療技術の進歩への期待、家族と苦しみを分け合うという点から、自分自身の病気に正面から立ち向かってみたい。」

 「心の準備がありますし、残された日々を感謝し、家族もそのように接してくれると思います。できたら、ライシャワーさんのようにと考えています。」

 「生も死も自らが所有しているものである。病と闘うにしろ、病から逃げるにせよ、それは自分自身で決めたい。」

 「自分の人生なのだから、苦しくても知って、病気と闘って、納得して死にたい」

 「私自身42歳で白血病となり、44歳で骨髄移植を受けて今日ある身ですが、自分の病名を知り、人生の最後をしめくくることはどのような形であれ、本人の権利だと思う。」

*「私の権利です。そして残された可能性を試みるためにその時間を使います。可能な治療も受けます。治療法がないなら、残された時間に私の行うべき事、仕事、社会的責任、家族への責任、自分のしたいこと、旅、その他、山ほどやるべき事、やりたいことをやってから死にたいと思います。」

*「知らせるべきかどうかなどと他人が議論すること自体がおかしい。本人は当然知る権利があり、それでこそ人間としての尊厳が守られる。また短い時間でも、まわりの人々と密度の高い時間がもてる。無用なセンチメタリズムを持ち込むべきでない。」

「告知した上で、治療方針自体を本人に決めさせてほしい。自分の人生をどう終わらせるかは苦痛の問題とも絡めて、自分で判断するのが最善と信じます。一日も命を長らえるのをベストとしない人間も中にはいるのですから。」 

 「このアンケートに答えながら、やはり癌は告知するべきだと思った。しかしそのことで、患者、家族の精神的負担はある意味で重くなる。癌の治療は、肉体的だけでなく、精神的にサポートすることがとても重要だと言うことを医師にもっとわかってほしい。そして、ホスピスを全国に普及させるべきである。」


癌告知に反対

1、告知すると希望がなくなるから告知してほしくない。
2、恐怖や不安におののきながら生きたくないから。
3、告知されると、残された人生を有意義に生きる自信がないから。
4、知らなくても好い。だまされても良い。幸せに、明るく生きたい。
5、闘病する元気もなくなる。
6、告知するのは、周りの人のエゴだ。告知されて幸せな人など一人もいない。周りの人が耐えるべきだ。
7、立派に生きれると言っている人は建て前を言っているにすぎない。人間の本音はそんなに強くない。
8、元気なときに、告知を希望していても、現実に病気になるとそれが本当とは限らない。
9、死の準備など必要ない。
10、「真実を知りたい」といっている人でも、実際に知るとがっくりくると思う。
11、医師も本人が受容して、立派に生を全うされたと言っているが、必ずしもそうでない場合がある。完全に生をあきらめさすのが好いことかどうかをもっと深く考える必要がある。独善に陥っている可能性がある。


*「治るとの希望を持って、余生を明るく生きたいから、うそであっても、告知は望みません。」・・・こんな考えの人も現実にいるということ。このような考えの人たちにまで告知して、立派に最後を全うせよというのは、間違っていないか。

 「癌と知ることは、すべてのことに絶望と思えます。少しでも希望があれば闘病に耐えられると思いますので、知りたくありません。」

 「自分の性格を考えて、とても耐えられないだろうと思います。周囲のものにかえって心配をかけるような行動をとってしますのではないかとさえ思います。」

 「私自身気が小さいので、できたら最後の瞬間まで、病名を知らずに終わりたい」

 「日々体が衰えて、死に近づいて行くのを自覚することは、非常に残酷で、私には耐えられそうもありません。」

 「私は病にかかると弱気になる人間です。特に癌というものには、人並み以上に恐怖感をもっています。自分自身でうすうす感づいたとしても、周りの人から、それを言われると絶望感を持ち、望みがなくなってしまうような気がします。」

 「自分自身の性格を考えるとき、どんなに意志が強いとは申せ、平穏に生活を送れるほど人間ができておりません。できれば知らないまま死にたいと思います。」

 「死というひとかけらの希望もない絶望に向かっていいがたく苦しい闘病を続けなくてはならない。このような残酷きわまりない生の形があってはなりません。」

 「ごくわずかでも、生きられるかもしれないという希望を残しておいてあげる方がいいと思う。告知するのはまわりの人が、自分の心の負担を患者に一部、転嫁してしまうことだと思う。」

 「告知すれば、だれでも深刻に悩み、悲しみ、怒り、恐れなど、大変なショックです。それを乗り越えて、計画的に落ち込まずに生きていける人はごくごくわずかだと思います。」

 「私の妻のように、病気になる前には、知らせてほしいといっている人も、それは本当に自分のこととして考えていないときの発言と思えるからです。死に直面した人の気持ちは計り知れない。病気との闘いの点でも、回復を信じていたほうが、がんばれると思われる。」

*「主人が病気になるまでは告知は必要と思っていました。しかし、そうとう露骨に医者に言われたり、検査の図面を見せられてもわからないのか、わからないふりをしているのか、主人を見て、治る見込みのない人にわざわざ言う必要を感じませんでした。」

 「すべての人間は生まれた以上、いつか死ぬことを知っている。それがいつであるかはっきり知らないことは天の恵みであると思う。そんなとき突然、がんになっただけでも十分ショックを受けているのに、それが不治の癌であり、死が目前にあるなぞと、知らせねばならないのか。未来が死であり、絶望であることを知らせる必要はない。死に心の準備なぞ必要はないと思う。」

*「永久に生きるつもりでいた人が次の日にたまたま死んでも、本人は幸せであり、毎日死ぬぞ、死ぬぞと医者や家族に無言の圧力をかけられながら、不安と恐怖と絶望の中に、うわのそらで生を続け、死を自らに納得させ、生をあきらめて行く過程の苦悩はその人のみの知るところで、医師を含めた他人が、患者は立派に悟って、安らかに死についたなぞというのは創造力の欠如、思いやりの欠如だと思う。」

 「家族にとっては、患者が癌でないかとしつこく聞くのに、うそを言い続けるのは大変な苦痛でありつい、白状したくもなるが、告知に耐えないと思う患者の場合は、家族がその苦痛に耐えるべきであろう。」

 「手術の必要があるときは、希望があるわけだから、知ることはなんら差し支えないが、あと半年、あと三ヶ月などと刻々と死が近づくことを知らせてもらう必要はない。人間はそれほど強くないし、恐怖や不安におののきながら、最後の日々を過ごすことは無意味であると思う。」

 「残された人生はせめて心だけでも明るく生きたいと思います。期限を告知されれば、そのときからくらい日々を送るようになると思います。たとえ病気でも明るい気持ちを持ち続けたいと思います。」

 「死を待ちながら、平常心で生活できる人は、建前上は無数にいても、本音はどうであろうか?特に日本で、何かの議論がなされるときは、タブーと建て前が多すぎる。」



どちらともいえない

 「自分に100%の自信はもてないので、いざその場になったらどうなるかわからず、何ともいえません。」

*「病気に打ち勝とうという意欲のあるときは良いと思うが、弱ってしまったら、知らないほうがよいかもしれない。そのときにならないとわからない。」

 「私自身が医師であり、症状、治療などから、ほとんどわかってしまい、告知の有無に関わらず隠すのは無理と思われる。ただ、どの程度の状態なのか、特に治る可能性のない場合、そのことを知らされると、自分がどうなるかは自信がない。」

*「癌告知を一般論として、賛成反対と問うのは賛成できません。一人一人が違った立場にいますから、おしなべて、賛成何人、反対何人とするのは間違いだろう。」

 「告知した場合、その後の患者の精神面でのケアが非常に大切である。この点で、十分な準備がなされない限り、告知すべきでない。治療がしにくくなると言う医師の意見がよく見られるが、末期癌の場合は、もはや病気を治すと言うより、その人の生涯をその人らしく尊厳を持って、少しでも快適に充実させて終わらせるというのが、最大の目的だと思う。」

 「一口に癌と言っても、それぞれ違うので、本人の状態、性格、経過などを考えて、告知するか否かを考えなければいけないと思う。この病気ほど個人差のある病気は亡いと思うので、やはり、ケース・バイ・ケースだと思う。」

*「一概に賛成、または反対などといえない。なぜならば、その判断をするのが、息子であれ、医師であれ、本人ではなく、他人であるという事です。病人の気持ちがいずれにあるのか、そのことがわかりもしないのに、他人が勝手に決めつけるのは、病人の気持ちを無視し、人間の尊厳を傷つけることにもなりかねないからです。」

*「身辺整理をし、充実した生き方をするためには、知りたいと思うが、精神的にどれだけがんばれるか自信はなく、知りたくもあり、知りたくもないというのが正直な気持ちです。」

 「当事者となれば、不安で、知りたい、知りたくない、どちらともいえない、の三つ全部に丸をつけたい気持ちです。」


 思いやりのある告知を:「死ぬなら、準備できる癌の方がいい」という人がいる。見事な人生の締めくくりをした人たちが紹介されている。立派だけど、遠い人という気がします。私が癒されるのは、迷いや、弱さ、をそのまま表現してあるもの、「強くなくってよい」「弱音を吐いても、取り乱してもかまわない」といってほしい。生き方の本質に携わる立場の、医療者、宗教家、マスコミなどから、「理想の死」「自らの意志と決断にもとずいた総仕上げと締めくくり」などと理想の死ばかり提供され続けたら、私はますます落ち込んでしまいます。(朝日新聞960216)


告知に心は耐えられるか?

1、告知に賛成で積極的に耐えられる人と、2、告知に反対だったが、積極的に耐えられる人と 3、告知に賛成だといったが、実際は耐えられない人と 4、告知に反対で、耐えられない人
耐えられない人の中に(a)あきらめられる人、(b) 最後まであきらめられないで苦しむ人とがある。


告知賛否議論は最も家族を傷つける?


 「主人が病気の間どれほど告知で悩んだか。いっそ主人が感づいてくれたら、どんなに気分的に楽になるだろうかと何度も思いました。今でも告知しなかったことを公開している面と、それで良かったのだと慰めている面と、両方です。」

 「告知とは単に病名だけのことではないと思います。私どもの場合、本人は病名は知っておりましたが、再発手術の段階で、その後の見通しや、経過については必ずしも真実を告げられませんでした。最後の入院に際しても本人は手術に成功し、入院は後遺症治療の為と信じて、再起の希望をもち、回復後のプランを心に描いておりました。
 医師の賛成は得られませんでしたが、もっと本当の事を知らせるべきでなかったか?という悔いと、これで良かったのかもしれないという思いの間に、今も引き裂かれるような心境でおります。」

 「よく新聞では、癌の告知について、日本は後進国という記事を目にしますが、告知することが、先進国の人のすることなのでしょうか?理解しにくい所です。(発展したことの証明になるのでしょうか?)家族にとって、告知についての是非は、家族が本人にとって一番よしとして行ったことの結果なのですから、告知の是非を議論されることは、家族の心を痛める材料になっても、心を安らかにする材料にはなりません。自分たちがとった選択がベストであったと信じたいのです。」


告知賛成でも反対でも どちらにせよ必要なこと (オリジナル)

1、それぞれの人、それぞれの時期に応じた対応が大切、同じ人でも時期が異なれば、対応をきめ細かく変えること。患者が、癌とわかっている、と思っているのと、医師から告知されるのとは全く違うことを知っておくこと。
2、病院が、入院の時に全員にアンケートをとっておく。
3、平生から、癌告知について、家庭で話し合っておく。

 治療者の立場で、

1、苦痛は最大限に除去する。実際には、痛みはとれても、嘔吐、呼吸困難、だるさ
などは薬でとれない。最終的には眠っていただくことになる。
2、患者だけでなく家族も含めた、精神的保護が大切。(医師、看護婦、精神科医、ケースワーカー、宗教者、など)相談の場を作る。
3、医療者、家族、患者が、三者一体となって、親密な協力ができるようにする。
4、医療者と家族は愛情を持って患者に対する。逃げ腰にならないない。
5、「立派に最後を生き抜く」ことと、「幸せだったかどうか」は別物であることを理解する。「知らない苦しみ」のほうが、「知ったあきらめ」より幸せな場合もあり得る。患者さんは、苦しい中で、自分の最後を必死で演技しているのかもしれない。
人間は本来「生」をあきらめるようにできていない。最終的には、その人その人の意志に任すのが適当だろう。 


(石垣靖子:命光るより)
1、生きることを尊重し、誰にも訪れる死に対しても敬意を払う。
2、死を早めることも、遅れることにも手を貸さない。
3、痛みのコントロール
4、心理のコントロール
5、死が訪れるまで積極的に生きていけるように支援する。
6、患者家族の人も一緒に支援してあげる。
 これは癌に限らず、すべての病気の終末期に共通するので「静かなる革命」と呼ばれている。


 (オリジナル)

 今回、遺族のアンケートを、まとめて読んでみて、助からない患者さんの癌告知の問題は、一口に賛成反対で片づけられる簡単な問題ではないという事を改めて感じた。
 「おかしい、こんなはずはない、と思いながら、悩み、不信、怒り、などをいっぱい抱えて、のたうち回っている」ほうが、「完全にあきらめて、受容する」より、患者さんは本当はもっと幸せなのではないか?」という疑問が湧いてきたとき、100%告知して、十分な緩和ケアをしてあげる、それが患者さんを最も幸せにしてあげる方法なのかどうか、わからなくなった。「安らかに」、「尊厳を持った最後」を看取ってあげたというのは、世話する家族や、医療団の自己満足にすぎないのではないか。「幸せ」という尺度で測ると、きわめて疑問だ。
 「知らない極楽、知る地獄」という言葉がある。「安らか」、「尊厳」等という言葉は、「完全なあきらめ」の裏返しではないか?
 生きるようにプログラムされた人間が、「生」をあきらめて幸せであるはずがない。結局、残される家族、お世話をする医療団が、患者さんにその生をあきらめさせる手助けをしているだけではないか?死期は知らないですむのが一番幸せなのではないか?
 我々がやっていることは、たとえていえば、「最初に金槌で頭をごつんとたたいておいて」、後で、その痛みをいかに少なくしてあげるか相談しているようにも思える。
 金槌でたたかなければ、少なくとも、その痛みはないはずだ。

 本当の所は、その人の臨終まぎわに、「知らされて幸せだったか」、「知らされないほうが幸せだったか」、聞く以外に方法はない。しかし、それはほとんど不可能だ。
 「自分からその告知の苦悩に勇気を持って耐えよう」と望む人たちがいる以上、また、そう自分は望まなくとも、「社会的必要性から、どうしてもそうせざるを得ない」人たちもいる以上、最終的には、前もって「告知を望むか望まないか」アンケートをとっておく以外に方法はないだろう。

 あるいは、事業の引継とか、身辺整理とかが必要なくらい重症であることだけを告知して、回復の可能性が皆無ではないことも、同時にいってあげるのが一番やさしい方法なのかもしれない。

 自己の苦痛より、家族や周りの人の幸福のほう優先する人には、「あと何カ月生きられるといった事を含めた「完全な告知」をするべきだろう。

 要するに、患者さん本人の価値観(幸福感)が、自分優先か、家族優先か、に集約されるような気がする。

 どんなに気の弱い人でも、「家族の幸福のため」といえば、相当につらい事実も耐えられるのかもしれない。


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