妻の手術
妻の手術を自分が術者になってやった。
ずいぶんみんなから止められた。
若い頃の私の外科の恩師からも、
「自分の身内の手術はしないように」といわれていた。
身内の場合、病気をいつもより悪く考えたり、逆に良く考えたりするから、というのがその理由だ。
要するに、身内の場合は冷静な判断ができないからということだ。
それにもかかわらず、やったのには理由がある。
外科医になって20年、私は今まで大勢の人の癌の手術をやってきている。
血のにじむような努力を重ねて、技術を磨き上げてきた。
その技術を、自分の最も身近な人のために使うことができないとしたら、それはなんといえばいいのだろう。
そんなときのためにこそ、修得した技術ではないのか?
この日のためにこそ、外科医としての道を歩んできたのではなかったのか?
私は、みんなの意見に従わずに、自分の手で妻の手術をすることに決めた。
手術の日、妻はにこにこ笑っていた。
手術台の上に乗った妻を見ると、さすがに自分の気持ちはいつもと違うことがわかった。
とても冷静とはいえなかった。
麻酔は同級生の助教授にお願いしていたので、妻のほうはすっかり落ちついている。
彼が何度も私のうちに遊びにきて、妻とも古くからの知り合いだったからだ。
家に泊まったこともしばしばあったからだ。
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気管の中に挿管して麻酔がかかった妻の顔を見るのは余りいいものではない。
私は努めて冷静になろうと努力した。
腹部を消毒して、手術シーツが掛かる。
手術する腹部だけを露出させて、顔が見えなくなった。
その瞬間に、私はいつもの外科医に戻っていた。
腹部にメスを入れる。コッヘルで出血を止めながら、筋膜、腹膜と切開を進めて、開腹する。
癌は胃の上三分の一あたりにあって、近くのリンパ節もはれている。
手術前の検査の通りに、肝臓とか、骨盤への転移はない。
大腸間膜の前葉をはがして、リンパ節を廓清して行く。
ここまでくると、私は今手術しているのが、自分の妻であることをほとんど意識しなかった。
目的の癌を完全に除去し、なおかつ、転移しているかもしれないリンパ節を徹底的に廓清した。
私の中に、まるで自動回路が組み込まれているかのようだった。
胃を切除するときになって、私は彼女の胃を全部とるべきか、それとも一部残すべきかで少しだけ迷った。
全部とるのと少し残すのとで、、術後の食事障碍がずいぶん違うからだ。
しかし、すぐに、再発の最も少ない全摘除を選ぶことにした。
食道と小腸をつないで、さらに、小腸と小腸をつなぎ、手術は無事終了した。
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集中治療室に帰っても彼女は深い眠りの中にいた。
麻酔医が意識的に、痛みを感じないでいいようにしてくれていたのだ。
本当に安心しきった表情で眠っていた。
私は子供達を集中治療室の中に入れて、ひとりひとり面会させた。
長女は高校3年生、長男は高校2年生次男は1年生、そして、三男は小学5年生だった。
翌日、妻は集中治療室から特別室に移った。
妻の姉が付き添ってくれた。
意識がはっきりして、昨日より今日のほうがしんどそうだった。
「どこから覚えている?」
「気がついたら、集中治療室に帰っていたわ。」
「傷が痛む?」
「それより、体中がとてもだるいわ」
「腰の下に手を入れてもらうととても気持ちがいいの」
「今日が一番しんどいんだよ。明日は今日よりはずっと楽になるからね」
「早くそうなってほしいわ」
それから、私はいつも通り、仕事を続けた。
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家では犬のバロンがどうも調子悪そうだった。
ここ数日全く元気がなかった。食欲もないし、いつもだるそうにごろごろしていた。
最初は、妻がいないために寂しがっているのかと思ったが、どうもそればかりではないようだ。
その夜、バロンが死んだ。
それほど悪かったとは知らなかった。
私は彼が妻の身代わりになってくれたのだと思った。
妻にはこのことはいわないでおくことにした。
「バロンがなくなったんでしょう」
翌日、部屋をのぞくと、いきなり妻は私にそういった。
「どうしてわかったの?」
「子供達の様子が変だったもの」
「そうか、実はそうなんだ」
「ここのところ、ずっと調子悪かったのよ」
「君にはいわないでおこうと思ったのだけれど・・」
「いわなくてもわかるわよ」
「子供達元気ないわね」
「そりゃ、君がいないから」
「食事ちゃんとできてるのかしら」
「茶々子ががんばってくれているよ」
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妻には心配させないようにそう答えたが、私は、毎日ずいぶんと不便をしていた。
妻がいるとき、当たり前と思っていたことで、当たり前でないことがいっぱいあった。
たとえば、下着が洗濯して、きちんときまったところにおいてあることだ。
妻が入院してから、それが、いかにありがたいものかがわかった。
茶々子は洗濯はしてくれるのだが、乾いた後、ぜんぶ一緒においてあるので、たくさんの洗濯物の中から、自分のものを探し出さなくてはならない。
ワイシャツのあり場所がわからない。
あれやこれやで、毎日がとても疲れる。
ナース達がスーパーウーマンに見えた。
彼女たちは、病院の仕事と、家事をいったいどうやってこなしているのだろう。
妻の術後の回復は順調だった。
子供達は学校から帰りに毎日病室によった。
一週間後には食事を開始し、手術後21日目に退院した。
貧血が残っていたので抗ガン剤の注射はしなかった。
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妻は自分の病名を私に聞かなかった。
自分でかってに「潰瘍」と信じ込んでいるようだった。
わたしは、昔から「癌告知」は患者全員にするべきだと思っていた。
それまで、思うように告知ができなかったのは、患者さんの家族の反対があったからだった。
実際に自分の妻が癌になり、手術をし、こうやって回復してみると、彼女に向かって
「君はじつは癌だったんだよ」
というのがとてもむづかしいのを感じた。
「もう少し元気になってからでいいや」
そう自分に言い聞かせて、告知をもう少し先にのばすことにした。
一月して、ほとんど手術前の生活にかえったころ、今度は
「いまさら、告知して彼女を悩ますこともない」
と思いはじめた。
そして、家庭は彼女の手術前の生活にもどった。
ブラックジャックになりたい(外科医の夢)

外科医はとてもかっこいい。病に悩む人をすばらしい腕で治してあげることができる。
昨日まで生死の淵にいたひとが、ドラマチックに生還する。
それは本当にすてきなドラマだ。
どんなに苦労しても、毎日目に見えてよくなってゆく患者さんを見るのは楽しい。
そんなとき、夜眠れない生活も、家族をほったらかしにしていることも、すべて忘れて、
「ああ、外科医になってほんとうによかった」と思う。
一方、末期癌ですでに手術の時期をすぎた人たちをみると、自分の力のなさを思い知らされる。
どんなに進んだ癌でも、たちどころに治してしまう「ブラックジャック」は、外科医の永遠のあこがれなのだ。
赤い手
医学部4年生の夏休みにどうしても手術の手洗いをしたかった私は、第二外科学教室に申し出て、それを許された。教育担当の講師は、私を手術室の手洗い場につれていって、いきなり私の手の先から肘まで、べっとりとまっかな色素をぬりつけた。手洗いで、どの部分が盲点になりやすいかを実感させるためである。
かたいブラシでごしごしこするのは、見かけよりもずっと痛く、塗られた色素はなかなかのかなかった。手の平の小指側から始めて、手背、前腕の内側から外側へと、手洗いの手順をていねいに教えてくれた教官は、手洗いの後、色素の濃く残っている指と指の間、爪と皮膚の間、前腕の内側などが盲点であることをていねいに教えてくれた。
その日、はじめて手術についたあと、半袖のシャツに着替えて、電車に乗った私の腕は、まだ残っている色素で赤く染まっていた。 まわりの人が、不思議そうに私の腕を眺めているのが、私にはなんとも誇らしく、その日、私は外科医となることを決意したのだった。
医師となり、外科医の道を歩んでこんなに 年月がたった今も、私は時々あの赤い手を思い出すのである。
不可の不可乗
医学部の一年生のときに、とびきり厳しい先生にでくわした。
動物学の先生だった。
実験は午後1時に始まる。
最初の実験は「ぞうりむしの観察」だった。
学生一人一人に顕微鏡が与えられて、顕微鏡で見た「ぞうりむし」をケント紙に写生するのだ。
「ぞうりむし」一匹を写生するのだから、何ということはない。すぐにできてしまう。
それでも、でいねい一時間かけて写生して、午後2時に先生に提出すると、
「これは、ダメ」といって、バリッと破かれてしまった。
破かれたので、もう一度最初から描き直さなくてはならない。
みていると、僕の次に提出した友達も、その次の友達もみんな破かれている。
次に今度は3時間かけて、描いて、午後5時頃提出した。
驚いたことに、今度もまた、バリッと破かれてしまった。
ぼくは、一時間の電車通学だったので、少しでも早く帰りたかったのだ。
もう、夜の電車になってしまう。
午後9時に提出したら、また、破かれてしまった。
クラスの全員が同じだった。
午後11時30分になって、やっと、先生は提出したケント紙を受け取ってくれるようになった。
実習が終わって、ぼくは、駅まで行かなくてはならないのだが、まだ、町がよくわからないので、鉄道線路を伝って、駅まで歩き、そこから、夜行列車に乗って家に帰った。
家についたときは、午前3時頃になっていた。
今、思えば、先生は、将来医師になる生徒たちに夜遅くまでがんばる癖をたたき込みたかったのだと思う。
それにしても、毎回午前0時までの実験は、生徒にも大変だが、先生にも大変だったことだろう。
この先生の採点はまた、とびきりからかった。
「優」や「良」はほぼ皆無だった。
「可」がつく生徒がニ人か三人。
「不可」はいい方で、たいていは「不可の二乗」「不可の三乗」
ぼくなどは、「不可の不可乗」だった。
睡眠不足とのたたかい
若い外科医は慢性的に睡眠不足です。
夜、救急患者に何度もたたき起こされます。
受け持ちの患者さんが重症になると、一晩中必死で治療しなくてはなりません。
何日も徹夜をすることもあります。
したがって、外科医はどこででも眠るのが上手です。
椅子で、居眠りをするのなど、何でもありません。
ソファーならもう申し分なしです。
むかし、鉄道の寝台車は眠れないという人がありました。
本当にそうかと思っていましたが、実際に乗ってみるととても快適でした。
たしかに、ベッドは狭めですが、横になれますし、おまけに、カタンコトンという車輪の音がリズミカルでとても快適に眠れました。
目的地に朝早く着いたので、もう少し乗っていたい気分でした。
徹夜のあとのカンファレンスは、つらいものです。
必死で目を開けていようと思うのに、瞼が自然におちてくるのです。
上のまぶたをばんそうこうでつり上げておきたい気分になります。
おとうさんありがとう
昨夜から、家族の人も主治医の私もほとんど徹夜だった。
胃癌の末期だった。
彼の呼吸はかすかで、消えかかったろうそくのようにたよりなかった。
それでも、大きな声で呼びかけると、かすかにうなずくのだった。
夜が明けて、もういよいよという時にかれの妻が私にたずねた。
「先生、酸素マスクをとってもらっていいですか?」
私はうなづいて酸素マスクをはずした。
奥さんは、彼のほほにそっと自分の頬を近づけて、
「おとうさん、ありがとう」といった。
目に涙をうかべながら、何度も何度もその言葉を繰り返すのだった。
主人がまさに神に召されようとするときに、
「おとうさん、ありがとう」
妻は夫の最後の時に、かれに感謝の言葉を贈った。
いままでの結婚生活で、彼はきっと妻を大切にしてきたのだろう。
彼がいきをひきとったのは、それから間もなくだった。
夜中の電話
午前二時に、電話が鳴った。
眠い目をこすりながら、電話に出てみると、妻の友達の夫からだった。
「妻が、昨晩急にはげしい腹痛で、入院したのですが、痛み止めを何度うってもらっても止まらないんです。大丈夫でしょうか?」
私は、一度も診ていないので、何と返事をしたものかと少し考えて、
「主治医の先生によくたずねてごらんなさい」
とお返事した。
明け方、もう一度電話が入った。
「手術が必要といわれたんです。それで、ぜひ先生にお願いしたいのですが。」
「そうですか、それでは、そちらの先生に、紹介して下さるように頼んでみられたらいかがですか?」
彼の奥さんはよく知っている。毎月、うちに雑誌を持って来てくれている。
午前8時病院に行って、さっそくに部屋の工面をしてもらった。
午前十時に彼女は救急車で私の病院に送られてきた。
ていねいな紹介状とCTの写真をいっしょにもってきた。
一見して、ただならないことが彼女のお腹の中に起こっていることがわかった。
顔色はあおざめて、おなかは板のようにかたくなっていた。
「血型・検血・生化学・胸部・腹部XP・超音波・CT」
「集中治療室に運んで」
「手術室に、緊急割り込みを手配して!」
画像診断部長から、電話が入った。
「腸が壊死しているようです。血性腹水があります。上腸間膜血栓が疑われます。」
わたしは、これは困ったと思った。
上腸間膜血栓だと、まず命は助からない。
そのことは、患者である彼女にはふせておこう。しかし、ご主人にはありのままをお話ししなければならない。
「奥様は急性腹症といって、すぐに手術が必要な状態です。」
「画像診断では、上腸間膜血栓がうたがわれています。」
「これは、とても重篤な病気で、手術しても救命できない場合があります。」
「それでは、子供達を手術の前に会わせたいのですが、いかがでしょうか。」
「ぜひそうして下さい。」
「帰ってくるのにニ時間かかるのですが・・・」
「それはダメです。待っている間にも腸はだめになっていきますから、・・・それでもお待ちになりますか?」
「いいえ、それでは、手術をおねがいします。」
「準備でき次第手術にかかります。」
朝から、大腸癌の手術が進行中だった。こちらの進行状況をきくと、腸切除は終わったが、肝臓の左にある転移をこれから切除にかかるところだという。
他の科の予定手術のまえに割ってはいるしかしかたがない。
手術をまえにして、私の心は沈んでいた。
腸がすべて壊死になっていたら、救命はむずかしい。
いままで、小腸がすべて壊死していて、助かった人はほとんどいない。
祈るような気持ちで、開腹すると、腸の壊死は約一メートルだけで、残りの小腸は大丈夫だった。
「助かった!」
私はおもわず喜びの歓声をあげたい気分だった。
壊死になった腸を切除して、手術を終えた。
「だいじょうぶ。これで奥さんは助かります。」
心配で蒼白になっていた彼女のご主人は、手術後の私の言葉に思わず泣き出した。
よかった。彼女は運がよかったのだ。
わたしは、夜が遅い。寝るのはたいてい午前一時頃だ。寝る直前にふろにはいる。
もう少し早くふろに入ればいいと思うのだが、それができない。
これは、長年の私の経験から来ている。
早くベッドに入っても急患や病棟の異常で必ず途中で起こされる。
早くふろに入っていると、冬の寒いときなどに、ふろの後で、病院に出て行かなくてはならなくなると、湯冷めして風邪を引いてしまう。
午前零時をすぎると、さすがに、夜中の電話がかかってくる確率はぐんと少なくなる。
救急患者も病棟の患者もこの時間にはたいてい眠っているからだ。
このような経験から、外科医の夜は自然に遅くなってしまう。