また別の話1

私は深刻なのに夫には大笑いされた話

 二月下旬のとある夜のこと。我が家では、二歳の娘が夜型の生活のため、同じく夜型の夫が娘の相手をして、母親の私はさっさと寝入っているという現象がよくみられる。その晩もそうだった。
 私は一人でぐっすりと眠っていた。ところが突然、右目に激しい痛みを感じた。何が何だかわからない。
 しかし、飛び起きた私はすぐに異変に気が付いた。ものすごい異臭。この地域に特有の、冬から春先にかけてお馴染みの異臭。ジャコのにおい。正式には「クサギカメムシ」というそうだが、要するにとってもくさいにおいを出す虫なのだ。
 そのジャコのにおいが右目周辺に感じられる。慌てて部屋の電気をつけて、布団の周辺を探してみたが、ヤツの姿はない。でも、右目の痛さとくささは夢ではない。とにかく目を洗おうと、洗面所へ駆け込んだ。
「どしたん?」
 ただ事ならぬ私の行動に驚いて、娘を抱えて夫も洗面所へやってきた。そして開口一番、「ジャコくさい」
 目を洗っても、激痛はしばらく続いた。痛い、痛いと言いながらこたつに丸まっていると、夫が自分の目薬を出してきた。先日、結膜炎になった時にもらったものだ。それをさして、だいぶ痛みがおさまってから、私はまた眠りについた。

 翌日、いつも通りに仕事へ行ったが、どうも目の調子がよくない。乾くし、痛みもあるし、もともと視力は良くないが、さらにぼぉっとかすむ感じ。ジャコに体液かけられて失明なんて、洒落にもならないなあ、と思いながら、その日のうちに夫に病院へ連れていってもらうことにした。
 町内には眼科がないので、松山市の総合病院まで行ったが、心配なのは先生が「ジャコ」のことをわかってくれるかどうか。松山で八年暮らしたが、ジャコはいなかったと記憶している。案の定、看護婦さんに「どうしましたか」と聞かれて、「昨夜寝ていたら、目に激痛が走って、起きてみたら茶色いくさいにおいを出すカメムシのにおいがしていたんです」と言ったが、わかってもらえなかった。
「え、カメムシが目の中にいたの? 目の中から出てきたの?」
「いや、そうじゃなくて、臭いはしたけど虫はいなかったんです」
「あ、そう。よくわからないけど、じゃあムシって書いておくね」
なんて会話を交わしながら、いくつか検査を受けた。先生は年配の女の人だったが、やっぱり困ってしまって、「そうねえ、目薬で治ると思うんだけど、何を出そうかなあ」と考え込んでいた。結局、薬が出てみると、昨夜さした夫の結膜炎の薬と同じものだった。

 目は二日程で良くなった。とりあえずほっとしたが、改めて鏡を見てみると、目のすぐ下に茶色い染みがある。まるでやけどのあとのように、皮膚が引きつった感じになっていた。目にばかり気を取られていたが、実は目の周りにもジャコの被害は及んでいたのだ。
 今度は、隣村の病院に行くことにした。ちょうど胃も痛んでいたし、そこの先生ならジャコのこともわかってくれるだろうと思った。先生は笑っていたけど、それは大変でしたねえと言ってくれた。肝心の顔の染みについては、下手に薬をつけるより、放っておけば日焼けのように皮がむけるだろうと言った。
 その晩、本当に皮はするっとむけた。

 私にとっては大変な「不慮の事故」あるいは「天災」だったのだけれど、夫には大笑いされた。もうひとつ、胃が痛むといって診てもらったら肋間神経痛だと診断されたことも夫の笑いの種となった。
 笑えない病気や怪我が多い中で、笑える患者になったことはすばらしい幸運だと、悔しいから自分ではそう思っている。

(97.3.16)


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