| また別の話2 |
これも二月の話。仕事で時々訪れるある事業所に行ったとき、鳥のさえずりに耳を奪われた。もちろん、田舎のこと、その辺りで鳥の声が聞けるのは日常茶飯事。でも、そのときは違っていた。さえずりは明らかに建物の中で聞こえた。
まさか、と思いながら見回すと、ありました。鳥かご。それも二十センチ四方くらいの狭いのが三つ。ロッカーなどの上に置かれていて、高いし、遠いし、はっきりとは見えないけれど、ウグイスが一羽、メジロが二羽のよう。
そこにウグイスがいるらしいといううわさは聞いていたのだが、野鳥を捕まえて飼ってはいけないことなど常識だと思っていた私には半信半疑だった。しかし、現実に見てしまうと大きなショックを受けた。
ホー、ホケキョという美しい声も、どことなく哀れに感じられる。他の人にはどんなふうに聞こえるのかわからないが、私には「助けて」と言っているようで、心が痛んだ。
仮にも自然保護協会の会員である。自然観察指導員でもある。ここは、きっぱりと「逃がしてやって下さい」と言うべきだ。言うべきだが・・・。
言えなかった。言うだけの勇気がなかった。仕事上のこともあって、出すぎたことをして今後気まずくなるのもいやだった。責任者の人は、年令も社会的立場も当然私より上である。世の中には「俺こそが法律」のように考えている人も多い。下手に言って相手の機嫌を損ねては、却って鳥たちの待遇が悪くなるかもしれないし、一笑に伏され、取り合ってもらえないかもしれない。
でも、そんなことをいろいろ考え、何もできない自分に一番腹が立った。権力に屈して負けたかのような気分になって、落ち込んだ。
かわいそうな囚われの鳥たちを何とかしてやりたい、でも、私にできることって何だろう。もやもやした気持ちのまま、しばらく過ぎた。
そして、ふと思いついた。警察だ。警察の言うことなら、私が言うよりは効果があるはず。私は顔見知りの駐在さんに電話した。あまり大きなことになるのは困るけど、駐在さんだったら、ことを円くおさめてくれるだろうと思ったのだ。
意を決して電話したのに、駐在さんは留守だった。
忙しさにかまけて、さらにそのまま数日が過ぎてしまった。
そしてまた、問題の事業所に行くと、鳥かごは三つともきれいに消えていた。逃がしたのか、死んでしまったのか、誰かが家へ持って帰って飼っているのか、それは定かではない。でも、ごく当たり前のようにそこに置かれていたものが片付けられた過程には、何かしらの外部とのやりとりがあったと思われる。
身勝手ながら、私は「逃がした」ケースを信じたい。勇気と行動力のない自分を棚に上げて非難するのも何だが、やはりいけないことはいけないのだ。
実は、減少しつつあるため、採取をしないよう町の条例で定めている花が惜し気もなく花瓶に飾られていたのも、同じ事業所のカウンターであった。
今や、都会の人よりもむしろ、田舎の人にこそ、自然の大切さを訴えていくべきなのかもしれないと痛感させられたできごとだった。
(97.3.16)
編集長室へ戻る