映画「ジャック・サマースビー」

犠牲によって守られる永遠の愛

 泣いてしまいました。あんな結末になると思ってなかったので。(まだ観てなくて、結末を知りたくない方はこれ以上読まないでください。)

 最初の、死体を埋めるシーンで、何かしらショッキングな展開になる予感はしていたのですが、まず、六年ぶりに戻ってきた夫・ジャックが本物かどうかという妻・ローレルの疑惑自体が私には疑問でした。
 最初はただの困惑で、はっきりした疑惑になるまでに一年もかかっていました。六年の歳月、夫が死んだと思って別の男と結婚を約束していた後ろめたさ、ジャックが髭を剃ってイメチェンした違和感など、彼を別人とすぐには断定できなかった要因はいろいろあると思います。でも、仮にも夫だったんだもの。どんなに似ていても、別人だったらわかるでしょ? と私などは考えてしまうのですが。
 それが、自分の心の中だけでなく外部からの情報もあって、確定的なものになっていった矢先、夫に逮捕状が出てしまいます。ここから、物語の色が少し変わってきます。

 夫の罪状は殺人。絞首刑になるのは間違いない。彼がジャック・サマースビーでなく別人であることを証明すれば、彼は無罪になる。しかし、彼がジャックでなければ、町の人々と苦労して耕した土地をみんなに分譲するための契約が無効になってしまう。愛を取るか、信頼や人々の未来を取るかの選択を迫られるのです。
 ローレルは彼を愛するあまり、別人であることを証明する証人になります。そこには、町の人たちを裏切ったという心理はなかったでしょう。ただ彼を愛していた、彼を死刑から救うためにはそれしかなかったのです。
 しかし、彼はジャック・サマースビーとして生き、そして死ぬことを選びます。

 物語の前半、人の変わったジャックは私財をなげうって町の再建のために力を尽くし、それに対してローレルはこう言います。「前は裕福だったけど退屈な毎日だった。今は家もガタがきているけどとても幸せだ」この映画のテーマはここにあるのかなと思っていた私の推測は、後半の裁判で覆されるのです。
 別の人間になって人生をやり直した男。彼もまた、ローレルを愛していたからこそ、ジャックで居続けることを選んだのでしょう。彼女の夫として、彼女の子供の父親として永遠にその名が人々に刻まれ、死をもって彼女との永遠の愛を完結させることを望んだのです。
 こう考えてくると、やはり死刑がなくてはこの物語は成立しませんね。でも、観終わって私が真っ先に考えたのは、何でハッピーエンドじゃないんだー、ということでした。黒人判事の裁量に最後まで期待してしまいました。アメリカ映画なんだから、それくらいやってよ、というのは甘い考えでしょうか。
 しかし、別の意味で映画はハッピーエンドに終わってはいたのだと思います。二人の子供を立派に育てているローレル。町の復興は教会の塔の再建に象徴されており、人々の心の中では彼は善人ジャックとして生きているはずなのだから。

 物語はさておき、この作品ではジョディ・フォスターの魅力が今一つ出し切れていなかった感じがして残念でした。何故この役が彼女でなくてはならないのか、首を傾げ続け、おおっ、これこそジョディ・フォスター!と思ったのは、ラスト近く、死刑台の夫に自分の姿を見せるためすごい形相で人込みを掻き分けていくシーンだけでした。ま、クライマックスですから、憎い演出と言えないこともないんですが。
 時期とか体調とかにもよりますが、私は基本的に心があったかくなるような映画が好きなので、これは嫌いではないけれどちょっと重いなあと思いました。上映会終了後、ほかの人に聞くと、そんなに重いってほどじゃないという意見もありましたが。

 余談になりますが、これを観た翌日、たまったビデオを整理しようとテレビドラマ「バージン・ロード」の最終回を観ていると、主人公の恋人のジャーナリストが戦地で銃撃戦に巻き込まれて死んでしまうという展開になっていました。そして、残された主人公は悲しみを乗り越えて新しい命を育てていこうと誓うのでした。
 おいおい、これもどちらかの死によって永遠の愛を成立させる話なのかい、と涙ながらに思っていると、違っていました。愛する人は、戦地から奇跡的に生きて戻り、ふたりは幸せな結婚をするのです。
 でも、それがもしも恋人によく似た別人だったとしたら・・・物語はジャック・サマースビーへと新たな展開を見せるのですが、もちろんそんなことはありませんでした。よかった。

(97.3.21)


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