vol.2 名付け考

 臨月に入り、名前のことも考えなくてはならない時期に来た。折しも人名用漢字の追加が先月末に決定したばかり。撫子、桔梗、苺、林檎…。どれもありそうなのに、これまでは付けられなかった名前だという。漫画の世界では昔から普通 に使われていたような気がするが。
 漫画といえば、私が小説を書くときに使っているペンネームも実は漫画から拝借した。木偏に秋と書いて「ひさぎ」と読むのだが、これも今のところ人名には使うことのできない漢字である。思うに、漫画家や小説家というのは、名付けにあたってインパクトは求めても、実用性には無頓着なのである。漫画や小説で使われていたものを子どもの名前にする際は注意が必要だ。
 私も小説を書くという立場からこれまで多くの名前を考えてきた。小説らしきものを書き始めた高校生の頃が一番凝っていて、個性的で魅力ある名前を探すのに何日も費やしたものだ。その名を思うだけで人物が動き出し、物語を展開してくれる。名前は小説の入り口であり、道標でもあった。いい加減な名付けから始めた話は気分が乗らず、つまらない出来になることもあった。
 だが、その頃から二十年ほど経って、最近ではほとんど名付けに時間をかけなくなった。「私」という一人称で書くことが多いため、気付くと主人公はおろか登場人物すべてに名前がなかったこともある。些細な日常を描く短い話の場合には、名前の個性さえ邪魔に感じるのだ。少し複雑な話になると識別 のために名前を付けざるを得ないが、その場合も話の展開を邪魔しないようになるべくありふれた名前を選ぶようにしている。
 架空の人物の名付け話はさておき、問題はわが子の名前。十年前の長女のときは、夫が独立発見した超新星1994I(アイ)にちなんだ名前にした。夫が「今度は量 子(りょうこ)はどうかな」と言うので理由を尋ねると「この子が大きくなるまでには量 子(りょうし)コンピュータが完成するようにという願いを込めて」とのこと。星と科学にしか興味のない夫。その案があえなく却下されたのは言うまでもない。

(愛媛新聞「四季録」2004年10月14日掲載)
<画像>ハギ

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