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ふたご座流星群を見る、と長女が外へ出た。「お母さんは?」という誘いを一度は遠慮したが、赤ん坊の二女もちょうど眠っていたので思い直して私も外へ出てみた。
ところどころに外灯はあるものの、月のない夜は足元がおぼつかないような田舎である。玄関から一歩外へ出れば、そこは天然のプラネタリウム。向かいの山からちょうどオリオン座が上ってきたところだった。
流星群で有名なのは何といっても八月のペルセウス座流星群、続いて十一月のしし座流星群で、十二月のふたご座流星群は時期的なこともあってあまり騒がれない。わが家でもぺルセ群は家の前にござを敷いて万全の態勢で見るが、ふたご座流星群を見ようとした記憶はほとんどない。例年なら雪が降っていてもおかしくない厳寒期だからだ。
明るい室内から急に暗闇の世界に出ると、最初のうちはわずかな星しか見えない。「冬の夜空ってこんなに星が少なかったっけ」と言いながら空を眺めていると、それまで見えなかったところに無数の光の点が浮かび上がってきた。星が少なかったのではない。私に見えていないだけだった。時間にすると数分の出来事だが、普段はこのたった数分を待つことができない。外へ出ることがあっても、闇に目が慣れるまでとどまって空を見上げるだけの余裕がない。久しぶりに星空を眺めた。
星空にはロマンだけでなく哲学もある。おうし座のプレアデス星団(すばる)やオリオン座大星雲などは、ぼおっとした光の塊だが、肉眼で凝視するとまるで逃げるようにその輪郭を曖昧にする。そして少し視線をずらすと、またぼんやりとした姿が視野に戻ってくる。物事も、核心ばかりにとらわれず、少し視点を変えると本質がよく見えてくることがあるものだ。
そんなことを考えながらたたずんでいると、やがて二女の泣き声で家と現実に引き戻された。暖冬とはいえ氷点下近い寒空の下、肝心の流れ星はひとつも見られなかったが、何となく心が温かくなったひとときだった。
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