裕生の誕生から

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"誕生から入学まで"

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"小学校に入学して!"

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"15才から現在に至るまで!""00.5.29"




“裕生が生まれて少し気にかかり始めたのは

生まれて間もないころだった。”

それは、気のせいかもしれない!

きっと、思い過ごし、

そんなことあるはずがない!

うちの子供だけがなぜ!

それは、障害を持つ子供の親が

必ず経験する暗やみへの入り口

しかし、やがて光りは見えてくる、

子供の笑顔とともに!






誕生から入学まで!

  • 裕生が生まれて、少し気にかかり始めたのはまだベビーベッドで寝ているころでした。 親の声に反応がない、親の顔を追いかけない、眠いときに頭を横に振るなど... それは、気のせいかもしれない!

  • icon そうしているうちに3才近くになり言葉も出ないのでおかしいと(子供の状態に気づくのが早ければ早いほうが良いのですが)きっと、思い過ごし!思うようになりました。 福祉事務所へ相談に行き..."自閉傾向がある"と言われましたが、 そんなことあるはずがない! 自閉症という言葉さえ理解できない私達でした。

    その頃、保育所の面接に行ったのですが先生方の熱心な進めで不安がいっぱいの中、保育所に通い始めたのです。 当初、送り迎えのときなど 他の子供達は朝、送っていった親が帰るとき泣いたり、 機嫌が悪くなったりといろいろな反応を見せましたが 裕生は何の反応も無い状態でした。 まだまだ子供の目ではない状態だったと思います。

    障害を持つ子供の親が必ず経験する暗やみへの入り口でどこへ行って良いかわからずに、ただ、おろろしているころであったように思います。
     

  • そこで、われわれ両親がやっと出した答えは、「裕生を何とか一人で生活できるようにしていく事が 親の責任であり、これからの十年間、二十年間を悔いの残らないように できる事はすべてやろう」と言うことでした。

  • 自分の子供が自閉症であることを認めるまでに時間がかかるのです!


    やがて光りは見えてくる!


  • その頃でした、親類から "「抱っこ法」というのが新聞に出ていたとよ!"と連絡をもらったのです。

  • とにかく何でもいいからその方法を勉強してみようと思い....資料を読んでみると その頃の裕生の状態にあっているように思えたのです....

    "「抱っこ法と言うのは膝の上に横向きの子供を親の左手でicon 子供の左腕 から回して左手を握り右手は子供の左足の上に添える型で始めるのです」"
    これがなかなか子供は拘束されるのが嫌で力の限り膝の上で暴れるし泣き叫ぶし大変です。 初日は20分が精一杯でした。これを毎日続けるうちに10分ぐらいで 子供は諦めるというのか落ち着いてくるのです、そして.... “この人は僕をどうするのだろう”
    という様な目で親を見るようになりました。 どんな型にせよ意思が通じたようで、次第に暴れる時間はなくなっていきました。

  • 次の段階は目を見て話し掛け、オーム返しでもいいから言葉を引出すことを続けたのです。.....

  • これまでの私達、親子の行動はあくまでも「抱っこ法」を自分なりに解釈し、子供の状態を見なが親の責任において進めていったものであって、本の著者には何ら関係のないものです!
    ..........もう大丈夫と思われるころからいろいろな単語を発声させ 徐々に鉛筆を持たせて丸や三角などを描かせたり、 ひらがなを書くところまでになりました。

    この間、覚えたかと思えばまた忘れる....と言ったことの繰り返しで(今、思い返してみるとすべて焦りは禁物なのです。)
    何事も時間がかかるのです。
  • こうして、五才の頃にはなんとかひらがなが、書けるようになり 30分らいは一人で椅子に座っていられる様になっていました。 その間、毎日2時間ぐらいの親と子の真剣勝負が続きました。 他に散歩、水泳、言葉の教室、キャンプ、家族旅行...

  • パニックはつきものでしたが!

    さて、入学という関門が待っていました。

  • 養護学校普通学校かの選択です、われわれ両親はとにかく大勢の子供の中で可能性を引き出してやりたかったのです。 今でも周りの子供の力に勝るものはないと思っています。

  • 将来、社会にでるようになった時、そこに生活しているのは、

    "裕生といっしょに育った子供達なのですから!"


    小学校へ三人で面接に行きました。

  • しかし、校長先生の「他の子に迷惑がかかる、私は、たくさんの子供達を預icon かっているのだから一人の子供のことだけを考えるわけにはいきません。」という言葉でした。 私達は、裕生のことしか考えていませんでした。しばらく沈黙の時間が過ぎた後、 特殊学級を受け持っておられた先生が「私に任せてください、責任持ちますから!」と、これで何とか私達の願いはかなったのです。 その頃はまだ自閉症という言葉さえ御存知のない先生が多い時代でした。






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    小学校に入学して!



  • 小学校入学時は(二学期までは)親、学校、先生、の心配もあって、 母親が裕生の机の横に付き添う型で始まりました。

  • 正直言って「これからどうすればいいのか?」周りのみんながもちろん親が一番 不安でいっぱいでした。
    毎日学校の中を走り回ったらどうしよう(無理を言って入学させて...) 学校からいなくなったら....などと心配は尽きませんでした。 担任の先生も最初は不安、心配、重圧、いらだち、でいっぱいのようでした。 しかし、そのうち学校全体で何とかしようという雰囲気になるのに そう時間はかからなかったように思います。

    もちろんその間にいろいろと....学校からいなくなる、家からいなくなって スーパーで一人ぶらぶら、パニック、など....いろいろハプニングがあったことは 言うまでもないと思います。
    しかし、二学期の後半には先生から 「もう大丈夫だからおかあさん、付いてこなくてもいいですよ!」 と言っていただけるようになり生活も少し落ち着いてきたようでした。

  • 一年生の運動会は、親を含めて周りのみんなが落ち着かないビッグイベントでした。 私など、最初から最後まで開会式、控え所、かけっこ、遊技、...などなど ずっと裕生を凝視していたので (もう心配でじっとしているかな、泣いてないかな、icon 大声を出さないか.......など)大変長い一日であったように思いだされます。

  • 周りの子供達のおかげで何とか無事最後まで大したパニックもなく終わりました。 この時、みんなが気にかけていてくれた事が痛いほどよくわかりました。
  • これを境にいろいろな行事をこなして行きながら、周りの人達にも 認識してもらい、裕生も少しは慣れて落ち着きを見せるようになり、 学校生活、家庭生活、全般にいい状態になって行きました。 私達も少しは、安心して学校へ送り出せるようになったのです。

  • 自閉症は、毎日状態が変わりやすく(安定した状態、不安定な時の繰り返し....案外、 緊張しているときの方がよかったり、突然、涙がポロポロ出てきたり...) 自閉症児のパニックは自分の立場、相手の言っていること、これからの予定、 などが理解できずに起こる場合、自分の意図していることが理解してもらえない場合が多い様です。

    子供の立場にたって考えてみる、大人の都合で行動を急がせないことが大事ではないかと、やっと最近 実感しているのです。それとともにこちらの意図することを根気良く伝える努力をすること... ですから始めは、わからなくてもいいから言葉で説明しながら行動を起こす、 なにか、彼に理解できる合図として使えるものをたくさん与える必要があるのではないかと思います。
    ただ、状態が好転していくのは本当に少しづつで良くなってきたかと思えばまた後戻り という事の繰り返しでした。
    親の精神状態も安定するのに時間がかかりました。
    学校生活と平行して家での学習、運動、遊びどれも毎日の積み重ねであり、 できることを継続してやることで必ず何らかの答えが出てくることは どのタイプの障害を持つ子供にも当てはまるとだと私は思います。

    実のところ我が子を本当にかわいい、愛しい、と思い始めたのは小学校の五、六年生の頃からでした それまでは負担に思うことの方が多かったと......今、中学三年生になって五、六才の子供に 対するような愛情を持って子供に接している感があります。 もう少し今の状態が、時間が続いて欲しいと!


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  • 15才からの裕生です!
    1. 朝、6時には、目を覚しすぐにテレビをつけます。
    2. 午後4時過ぎ、”にこにこ”しながら帰ってきます。
    3. 家の仕事の関係で私が帰宅するのが午後8時前後になるのでそれから その日の絵日記(簡単なものですが小学校へ入学したころから毎日)を書いています。
    4. 言葉の理解度は、短文であればかなり理解しているようです。たとえば.......
    5. 話す方は、やはり単語の連続が多く接続詞を使うところまでなかなか行きません。
    6. 機械的な計算問題は、得意です。
    7. 漢字は意味の理解はまだまだですがそれでも使い方、読み、書きともに少しずつ進歩しています。
    8. 今、テレビのチャンネル、番組にこだわりがあるようです。
    9. ほんの少し、成長したのでしょうか?
    10. 97’5月現在のこだわりと言葉遊び!



    17才になって!

    1. 家での生活は相変らず、朝6時には起きてカーテンを開けテレビをつけて

    2. 新聞...主にテレビ欄、折り込み広告を見ながら勝手にパンを焼いて食べながら
      上機嫌です。
      前日の夕食によって...カレーライス、ビーフシチューなどの時は、
      もっと早起きして台所からガタゴト音がしていると思えば裕生が
      鍋をガスコンロにかけてグツグツ....においがぷ〜ん
      その後きれいに片付けて我々が起きるころには、"にこにこ"
      icon "してやった"...ってなところでしょう。
    3. 日曜日にちょっとゆっくり....なんて寝床でグズグズしていると

    4. 「お父さん起きるよ!」と言ったかと思うと布団をパッとはがされます。
      自分で朝御飯は食べたし散歩に行こうと思っているのです。
      散歩もはじめの頃は、裕生のために....だったのですが最近では、
      町内を歩くというのも結構、新しい発見があったりして
      おもしろく趣味のひとつになってきたようです。
      たとえば、車では見過ごしてしまう人様の庭先の花とか
      車では、入っていけないような路地とか...
      ...とは言っても見知らぬ路地を適当に歩いていくと ...先日など
      おばちゃんが変な顔で見ています...気にせず歩いていくと
      やっぱり行き止まり....引き返すと...さっきのおばちゃんが...
      格好わる〜なんて事もありました。
      しかし、歩いてみるとほんの10分ぐらいのところでも
      知らないことの多いこと、本当にびっくりするものです。
    5. 近頃、わたしがテレビを見ながらぼそぼそ独り言を言ったりすると

    6. 真ん丸い目をしてこちらをじっと見たりすることがあります。
      いろいろな会話にも良く反応してこちらが驚くこともあります。
      小人数であれば人の話しを良く聞けるようになったようです。
    7. 母親でなければ...というのは、非常に顕著になっています。

    8. ちょっと母親が会などで夜、外出したりすると不機嫌で
      元気がないのがよくわかるのです。
      しかし、母親が学校へいくと死らん顔をして先生を驚かせたりするのですが
      学校と家庭との行動の境界線が存在することで寄宿舎での生活を、
      いろいろなストレスを乗り越えているのでしょう。
      日曜日の夜に寝付きが悪いのも境界線を越える
      気持の不安定な面がでているのかも知れません。
    9. 自我の芽生えでしょうか、成長の過程でしょうか?

    10. 最近、「....へ行くのは、嫌!」とか「....は、したくない!」
      「来年の四月からは、家で居る!」
      或は、散歩中に小学校の先生の家の前を通り掛かると
      今までは、全く無視していたのに「T先生の家!」と言って
      玄関のベルを押すそぶりや「図書館で本を読む!」と言った
      自分の要求を示すことが多くなってきたように思われます。
      嬉しい半面、親が戸惑ってしまうことも度々です。
      家で居たいと言われると「そうかそうか家で居るか!」と
      言いそうになってしまう弱い父なのです。

       裕生も18才!

                      .....”99.6.5

    1.  少しずつでは、あるが成長というか 変化、裕生の意識の中で変化があるように思う。

    2. 月曜日、いつものように もう問題はないのだがJRのトラブルを考えて 駅まで確認に行くと
      私が着いた途端に手を振って「バイバイ!バイバイ!」 不機嫌そうに....
      自分で学校へ行くバージョンに入っているのに 親の顔を見せるなっていうのか ...
      まあ、私がいるとちょっとしたことに口出しするので 嫌なのかもしれません。

       先日もいっしょにJRに乗った際に 普通列車では、いつも乗降口のところに立っているのですが
      わたしが「裕生、端の方で立っときな乗り降りする人の じゃまになるだろ」というと
      怒ったように席を指さしながら「お父さんは、座る。お父さんは、 座る。」
      と黙って座っておけと言いたかったのでしょう。 ...少々、私も反省!
      口も出さず、行動も起こさず、見ているだけというのは なかなか、大変なのです。
      一番、子離れができない私です。

    3.  先日、自閉症協会徳島支部の総会の時のことです。

    4. ボランティアの方達に2.3時間、裕生の相手をしてもらったのですが
      3人の学生さんで裕生より1才年上で同世代ということもあったのか
      裕生に後で「裕生、今日何したん!」と聞くと 「お友達と遊んだ。」
      「何して?」 「ブランコで遊んだ。」
      裕生としては、4人で同じ感覚で遊んだ...ひょっとして 裕生が相手をしてやった。
      ...と思っていたりして、 ちょっと可笑しくもあり
      以前よりも自分というものが できてきたような気がするのです。
       
       不安そうな顔は、少なくなり自信みたいなものが 見えるときが少しですが
      あるのです。
      カメの歩みの成長でしょうか!

    19才になって環境も変わりました!

                                  .....”00.5.29



    1. 学校生活から通所へと生活環境の激変に相当なストレスを感じているようで

    2. 独り言、いらいらしている時間が以前に比べて増えているように思われます。
      学生でいっぱいのJR内でのストレスと片道1時間30分(徒歩30分)による疲労、
      年上の人に囲まれた施設での作業などからくる不安、無理もないことだと思われます。 ...
      毎週土曜日のスイミングスクールへ行くまでの15分ほどの時間でも
      ほとんど車の中ではなかったことなのですが"コックリコックリ"眠そうです。
      疲れているのがよくわかります。...そんな時は、こちらもスピードを落としたりして....
      頭が下につかえそうなほどにくの字になって眠っているのを見ると可愛くもあり、
      また、可哀想にも...
      様子を見ながら疲れがピークと思われるときは、休ませたりして
      あまり負荷をかけすぎないようにするのは私たちのいまのところの重要な課題です。
      できるだけ施設でも家庭でも楽しみな部分が明確に存在するように
      また、リラックスできる時間が持てるように

      指導員お方達とも相談しながら裕生が自分の居心地の良い場所を獲得できるように
      努力していきたいと思っています。

    3. 指導員の方の話では、40才代の男性の入所者の方と仲が良いそうで

    4. 先日の淡路花博へ行った時もその方とずっと腕を組んで行動し
      機嫌よく過ごしていたそうです。
      指導員の方は、「私が腕を組に行くと!やめて...」といって
      相手にしてくれないのにねえ.....
      相性がいいのかな?
      今度、見学させていただくときにその方とお話しできたらと思っています。
      ここのところ少しづつ落ち着いてきているように思えるのも裕生の居場所が
      少しづつできてきたのかもしれません。
      周りの環境が整い、裕生も徐々に慣れて欲しい....そんな2000年5月29日誕生日の近況です。
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