• 私に息子が与えてくれた!

            私の人生における裕生の存在...

     裕生が自分の息子で良かった!裕生が自閉症で良かった!
    そう思うようになったのです。
    15年前には、考えられないことでしたが...... 

     裕生がもうすぐ17歳になろうとしている今、
    正直な自分の気持を 書きとめておこうと思うのです。
    今、振り替えって裕生が生まれたころの私は、利己的で我がまま
    自分本位の世間知らず、
    もし、裕生という息子が現れなかったら
    楽な道を探すだけの人生を歩んでいたかもしれないのです。

     裕生が生まれてすぐに何かおかしいと感じても
    母親にまかせっきりで何をどうしていいのか....
    自閉症どころかその他の障害についても
     まったく無知ですべてに目を背けていたのです。
    ただただ息子に障害があると宣告されることを恐れていた。
    もちろんその頃は、今のように情報が豊富にあるわけでもなかったが
    進んで知識を得ようともしなかった。
    私の勉強不足が幸いしたのか
    自閉症と宣告されても親の努力で裕生は、克服できる
    自閉症から脱出できると信じて、何を恐れることもなく走りだしてしまった。
    無我夢中でただただ無我夢中で....

     そんな私の意識が変わりはじめたのは、裕生が中学に入学したころから..
    言葉は、まだまだではあったが
    彼の心が見えはじめた。彼にも私達の心が通じるようになってきた。
    私に気持の余裕が生まれたからか それとも裕生の成長か
    裕生が自分の息子で良かった!裕生が自閉症で良かった!と
    心から思えるようになった。
    裕生がまだ幼いころ療育キャンプで他の自閉症の親から
    「自分の息子が自閉症で良かった!」という話しを聞いて
    「何を言ってるんだ...理解できない...」と他の親と話したことがあった。
    今 、やっとその気持がわかるようになった。
    奇妙に思われるかも知れないが偽らざる気持なのです。

     他のお子さんの父母 、学校の関係者、また、ホームページで
    知り合った方々と話すうち
    自分の心のなかを整理することができ
    一人の人間の人生というものを考えた時 、
    これから同じ道を歩んでこられる方達のためにも
    裕生が彼自身の手で彼の人生を自分で歩めるように
    彼の前の道を歩きやすくすること、それが私達の現在の 、
    また、これからの人生において最も大きな仕事であるとともに
    私がこの世に生を受けた証であると
    そう思っているのです。

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