• ある施設職員、T・Y さんからの体罰雑感!






     
     僕は小さな授産施設の職員をしています。一応知的障害者のための施設ということになっていますが、
    もともとは共同作業所として障害の種類を問わないで利用してきてもらっていますので、
    47人の知的の人・脳性マヒなどが重複した人・自閉症・脳性マヒだけの人・そして筋ジスと
    いろんな障害をもった人がごちゃごちゃと利用しているところです。
    
     もう十年近く前のことです。ある自閉症の青年が、他人の昼食をどうしてもひっくり返すこだわりがあるために、 
    本人が食べ終わると散歩として外へつれだすことをしていた時でした。
    丁度僕が当番の時、向こうから数人の女子中学生が楽しそうにぶらぶらと歩いてきていたところ、
    その青年は、そんなことは意識していないのですが、
    突然電柱に向かって、当然その中学生にも向かって、ジャージのズボンをパンツごとヒザ近くまで下げ、
    ジャーとやったのです。当然彼女たちはパニックに、
    僕が謝ったところでどうにもなりませんでした。
    そしてそのことでカーッとした僕は彼の頭をゴツンとやってしまいました。
    かれは、普通の人がいやなことが好きなものですから(カラシをみるとむせながらも食べる、悪臭がすき、
    痛いのがすき)、僕の方へもう一回といわんばかりに頭を出してきたのです。
    
     彼にとって何の役にも立たなかったことは言うまでもありませんが、いくらペニスを丸出しにして
    小便をしたからといって、無抵抗の知的障害も重く言葉すらない彼を殴った手に残った感触は
    何とも言えずいまだに思い出します。
     今振り返ってみると彼を殴ったのは、制止する僕の言うことをきかなかったことへの制裁
    (これは重大な認識の間違いです。彼は僕の言うことをきかなければならないという立場に立っているのですから。
    施設にいる障害をもつ人は施設の職員の言うことを聞かなければならないなどということはないはずです。
    納得すれば、ということのはずです。)、
    そして彼のそういう習癖をやめさせることができない自分の指導力のなさへのいらだちを転嫁したもの、
    とまったく僕自身から発したものが原因です。
    おそらく若竹寮の体罰も同じではないでしょうか。外泊への制裁と職員の指導力のなさの告白と。
     これでは障害をもった人は、障害をもったが故に殴られたりすることになり救われません。
    偶然とはいえ女子中学生に向かって小便をしたことと、無断外泊をしたことの質はかなり違いますが、
    私達が専門家だとしたらその原因を探り、環境や本人に働きかけそうしなくてもいい道を探すのが筋だと思います。
    
     なお、よけいなことですが僕はたまの無断外泊くらいしようがないとも思うところもあります。
    恋のアバンチュールみたいなものは誰にだって味わう権利はあるとも思いますので。
    その人が逢瀬を楽しんで帰ってくればそれでいいとも。
    でも管理責任を監督官庁などに問われると抵抗しきれないところもありますね。
    もちろん、僕が当直の日だったらやはり事故がなければいい、と必死で探すとは思います。
    矛盾しているけど個人と公人の間ででゆれてしまいます。
     
      元に戻します。僕は人権の上からも、発達を促す上でも、障害のある人を育てるという意味からも
    体罰は認められないと考えます。
    体罰を(強制的な)教育手段とするならば際限のないところまでいくこともあるし、
    公立のある施設では殴ったりすると跡がつくからと食事を抜くなどとということもあり、
    そうした巧妙で卑劣なことまで認めてしまうことになります。
    
     僕らは体罰の対象となったようなことも含めて、日々その障害をもつひとをまずそのままいわば、
    こういう言い方は適切ではないかもしれませんが、与件としてまるごとうけとめ、
    そこから出発するようにしなければならないと考えています。
    
     こんなこともありました。つい先日のことです。たまたま手近にあったルーペで、
    胸の小さな脳性マヒの女性の胸のところにそのルーペを当てて(のぞいたりはしてません念のため。)、
    「これで○○ちゃんも巨乳だ」と軽い冗談のつもりでした。
    この時は当の本人もアテトーゼでそっぽをむいていたせいかきがつかず、ほかの人も何をしているのだろう、
    という程度にしか見えなかったようで助かりました。
    セクハラともいわれるけど、まずかったな、とあとで思いました。
    僕がそのことで自分に感じるのは、彼女を軽くみているということです。
    セクハラなどという前に間違っても同僚の女性にはおろか妻や娘にもそんなことできませんから。
    彼女は短歌を趣味とし、よく本を読む人ではあるのですが、僕とはけっこうHな話をするとはいえ、
    そなことができてしまう程度に存在を軽く感じているのです。
    障害者だからというのでないと思っているのですが。
     彼女がある男性とつきあい、結婚まで考えているというので、どうなっているのと平気で肉体関係の進展度まで
    聞くことができるのです。
    こんなこと何もなしに普通はできませんから、やはりそういうことができるのは彼女の軽さゆえだと思うのです。
    この軽く感じるという背景には障害があり社会認識や経験でハンディがあることと関係があるかもしれません。
    同じような人でも重く感じる人もいるのですが。
    僕のどこかに差別感があるのでしょうか。自信がもてないところです。
    
     他に割と僕は普通の作業所のつきあいの中で、ふざけ半分だったり、注意の喚起だったりと
    障害をもつ人の頭をペチとやることが頻繁にあります。
    古い言い方が許されるなら、一種の愛情表現ともなるのですがこうして書き進めてくる
    とこれもやめなければならにように思えてきています。
    軽いとはいえ叩きなれていると、容易に本格的体罰に変化しやすいと思えてきました。
    
     作業所の職員になってはじめは、あれこれ教えようと一生懸命でした。
    そのころ一人の自閉症の青年に毎日たたかれていました。
    たいてい一通りたたくと今度はべったりというのを2年以上続けました。
    僕が殴ってはおしまいだとふせぐだけにしていましたが、どうして殴られるのか、という疑問の方が強く
    彼を殴るどころではありませんでした。
    そうして自閉症について少々勉強することになりました。
    気がついたときは彼に教えるということが自分が学び自分がどうすべきかということに変わっていました。
    その時、教えるつもりでこの道にいったのが、支えられているのは僕の方だと知りました。
    でもそれから数年、半狂乱になった人とともにすごしたり、他の職員とうまくいかなくてすっかり鬱になった人と
    つきあったりを経験する中で、お互い様だな、と感じるようになりました。
    
     このメールを書き進めるのに障害のある人との関係について気持ちの整理が必要でした。
    
     そのチャンスを与えてくださったことに感謝いたします。まだまだ書き足りないこと
    があるような気がしますが今日のところはこれで終わりにします。
     それではごめんください。
    
                  (T・Y)
    
    


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