• 京阪神の電車を利用しての旅!






      
      京阪神の電車を利用しての旅
     
       山登り
    
      自閉症児の2女と一緒に山登りを始めてから、約4年がたった。
     富士山や日本アルプスと言った、有名な高い山を登ることはなかったが、1000メートル前後の
     山はたくさん登った。自宅が兵庫県の西脇市なので、ドライブして片道2時間以内で行ける
     ところはだいたい登った。西光寺山(西脇市)、三草山(社町)、妙見山・白山(黒田庄町)、
     妙見山(中町)、千ヶ峰・三国岳・篠が峰(加美町)、笠形山(市川町)、高御位山(加古川市)、
     小金嶽・三岳(篠山町)、五大山(氷上町)、粟鹿山(青垣町)、虚空蔵山(今田町)、
     剣尾山(能勢町)、鉢伏山(関宮町)、大江山(大江町)、三岳(福知山市)、
     おごしき山(千種町)雪彦山(夢前町)。
     なかには、雪彦山のように登りよりも下りのほうがこわかった山もあったが、何とか大きな
     けがもせず登ってこれた。日によっては、登る前からずいぶん嫌がったこともあったが、
     本人のペースにあわせながら登った。一時は、県内のすべての山を登ろうかと
     思ったりしたこともあったが、それは自分の考えであり、娘の考えでないことにきずいてからは、
     そんな考えは捨てることにした。だから、最近は一度登った山を季節を
     変えて登るようなことをしている。なかでも、京都の大江山は登山コースがいくつかあり、
     頂上からの展望がすばらしいので、何回登っても飽きない山である。
     ただ、日曜日は人が多いので、土曜日で学校が休みの時に登ったほうが、
     娘にとってはよかった。自然の中で、父と娘が二人きりになることで、
     親子の関係づくりができたような気がしている。
    
        電車の旅 JR編
     
      休日がいつも天気がよいとは限らない。雨天の時など、どのようにして過ごすか困っ
     てしまうことがある。温水プールに連れていっても、せいぜい2時間ぐらいしか持たない。
     家のなかで、ビデオやテレビを見て過ごすのも、もったいないような気がする。
     また、ドライブをして遠出をしても、車という空間の中での移動なので、広がりという点では
     少ない。山登りをして、父娘2人で過ごすこと慣れてきていたし、私も自信があったので、
     電車に乗って小旅行することを考えた。ふだん関わっている妻に言うと、「お漏らしもあり、
     奇声も発する2女と一緒に電車に乗る勇気はない。」とのことだったので、
     私と娘と出かけることにした。
       
      電車に乗って2女と出かけた最初の日は、平成8年12月22日だった。なぜこの
     日を選んだかというと、長女の11歳の誕生日であり、母娘で一緒の時間を過ごさせ
     てやりたいと思ったからだ。
       加古川線の無人駅の滝駅に車を止めて、京都まで行くことにした。切符は車内で買
     おうと思ったが、療育手帳を出して買うのに勇気がいり、結局買えないまま、加古川に着いた。
     加古川までは途中の厄神駅から人が多くなったが、席に座れていたこともあり、
     そんなに心配することはなかった。加古川からJR神戸線に乗った。新快速に乗る方が、
     早く京都に着けると思い、新快速に乗ったが、乗客が多く、席に座ることはできず、
     車内では大きな声が出た。まわりの冷たい視線を感じ、新快速の次の停車駅の西明石に
     着くと降りることにした。西明石から各駅停車の高槻行きが出ていたの
     で、それに乗り換えることにした。席に座れたのはよかったが、動き出してもすぐに
     止まるので、30分も乗っていると機嫌が悪くなってきた。車内はそれほど混んでい
     なかったが、この電車に乗り続けても、京都には行けないわけで、どこかで乗り換え
     ねばならないと考えた。電車が三宮に着くと、大勢の人が降りたので、2女もそれに
     つられて降りていこうとした。あえてとめずに、そのまま流れに乗ることにした。
     精算所で、療育手帳を見せ、運賃を払った。2女は重度の小学生なので、二人あわせて
     も、大人ひとり分の運賃より安かった。
       時計を見ると、12時前だったので、センター街のマクドナルドへ行くことにした。
     マクドに行くと言うことを告げ、連れていった。この当時、2女はマクドのチキ
     ンナゲットとフライドポテトを好んで食べていたので、この提案なら、初めて来る場
     所であっても納得すると思ったからだ。マクドの看板を見つけると喜んだ。それでそ
     こで食事をした。センター街のマクドから、再び三宮駅に戻った。阪急に乗ることも
     考えたが、途中で乗り換える手間を思うと、JRで行くことにした。
       三宮駅で、療育手帳をだして切符を買った。ならんでいる人があまりなかったので、
     買う時間はそれほどかからなかった。窓口の人もよくわかっていた人だったので、
     私が大人の半額、2女が子どもの半額の運賃だった。自動改札のJスルーも通れ
     たので、スムーズだった。
      ホームでしばらく待っていると、普通の高槻行きが来たので、それに乗ることにした。
     三宮で多くの人が降りたので、座席もすいていた。人混みではなかったので、
     たまに奇声は出るものの、わりと落ち着いて過ごすことができた。大阪駅に着くと、
     新快速・快速電車待ち合わせのため、しばらく停車した。高槻で乗り換えるなら、
     大阪で乗り換えた方がよいと思い、人の少ない快速電車に乗り換えようと思った。
     乗り換えるということを2女に説明し、新快速電車が出発してから、普通電車を降りた。
     少しむずかったが、快速電車もわりとすいていたので座ることができた。
     快速は、停車駅も少なく、スピードも速かったので満足そうだった。
      京都に着くと、トイレに行った。京都駅は改築中で、ごったがえしていた。
     時間を見ると、午後2時前だった。
       駅前を少し歩いてみたが、工事中ということもあり、バスの乗り場も変わっていたので、
     うろうろしていると迷子になりそうな気がした。それに、親が当てもなく歩き
     回っているので、2女の方はわけが分からず、こちらも十分な説明をしていなかった
     ので、だんだんいらいらしてきた。自動販売機のところに連れていき、そこで好きな
     飲み物を買うように言った。110円を入れると、飲み物が買えるということは知っ
     ているが、飲みたいものがたくさんあるらしく、多くの中から選択するのに、長いと
     きで5分ぐらいかかってしまう。後ろに並んでいる人がなかったので、ボタンを押す
     まで、ゆっくりつきあうことにした。ジュースを飲み、時間を見ると2時半をまわっ
     ていた。何をしに来たのかわからなかったが、切符を買って帰ることにした。
     みどりの窓口を探していったが、大勢の人が並んでおり、時間がだいぶんかかるだろうと
     思った。ただたんに待つということは一番苦手なことで、しかも大勢の人がいたので、
     覚悟はしていたが、やはり大きな声が出た。周りの人の視線を気にしながら、
     待つしかなかった。「切符がないと帰れない。」と何度も言いながら順番を待った。
    「加古川線の滝駅まで。大人と子ども片道。」と言って、療育手帳を見せた。
     窓口の人は、あまり慣れていない様子で、2女が子どもの半額になるということがわかって
     いなかった。貰った切符を見て言おうと思ったが、そのぶん時間がかかることを思うと、
     結局はいえなかった。それと、待っているときにそこそこ迷惑をかけていたので、
     引け目を感じたのかもしれない。
       Jスルーの改札を出て、再び電車に乗って帰ることを思うと気が重くなった。それに、
     2女にとって楽しい一日であったかどうか疑問に思った。最初の経験がつまらないものだと、
     次からはつきあってくれないかもしれないと思った。それで、新幹線を見せ、
     途中まで新幹線に乗って帰ろうと思った。こだまなら、座れる可能性が高いし、
     在来線で帰るよりは、はやく帰れるはずだ。そう思って西明石までの特急券を買った。
     特急料金も割引があればと思うが、そう思うのは厚かましいだろうか・・・。
       新幹線のホームに出ると、2女は少し興奮気味であったが、流線型の電車を見ると
     喜んでいた。大阪で乗り換え、途中で車内販売のアイスクリームを買ってやった。
     アイスクリームを食べている間に、西明石に着いた。ここで、在来線に乗り換え、
     加古川まで行った。2女の機嫌はわりとよく、いい調子であったが、加古川線の電車が
     50分近く待たないと無いことがわかると、だんだんいらいらしてきた。
     いったん駅から出て近くを歩くことも考えたが、ぶらぶら歩くことは、京都駅でやったし、
     二番煎じはよくないと思い、時計とにらめっこしながら待つことを考えた。
      ようやく電車が来た。しかし、ホームに待っている人は多く、席に座ることはできなかった。
     むずかる2女を相手に、とにかくこの電車に乗るしかないことを話した。
     3つ目の駅の厄神をすぎると席が空き、ようやく座ることができた。それからあとは、
     わりとスムーズにかえってこれた。新幹線を使ったにも関わらず、帰る時間は6
     時半をまわっていた。新幹線に乗ったと言うだけで、長くてしんどい旅だった。
    
        台湾への旅
      
      それからしばらくは、2女と電車の旅をすることはあまりなかった。
     平成9年の3月末には、私の家族(私・妻・長女・2女・私の父)と妻の両親と妻のおじさんの
     計8人で、台湾への2泊3日の旅行をしたこともあって、少しばたばたしていたからだ。
     2女だけでなく、親や長女にも体験を広げさせてやりたいと考えて、この計画を企画した。
     ハワイにも行きたいとの声もあったが、長い時間飛行機に乗ることを考えると、
     台湾が一番いいのではないかと思った。この旅行はツアーであったが、2女に
     とってはしんどかったようだ。見学する時間もあったが、ショッピングのための時間
     がわりとたくさんあり、免税店でいるよりも、外に出て買い物に出かけた。セブンー
     イレブンやロッテリアなどの看板を目にするとそこにいきたがった。日本とちがって、
     歩行者優先ではないので、道路を横断するのは恐かった。しかも、養護学校のことを台湾では、
     廃人学校というのを聞き、愕然とした思いにとらわれた。
     ただ、家族でこんな体験のできたことは得難いものだった。
    
      電車の旅 JR・京阪編
      
      長女が修学旅行で5月の末京都に行くので、みどりの日に家族で京都に行った。
     篠山口周辺が整備されていたので、篠山口に車をおいた。また、JR東西線が開通し
     ていたので、京橋まで行くのにとても便利になった。妻と長女は自動販売機で切符を
     買い、私と2女は窓口で京橋往復の切符を買った。家族ということもあり、私は気が
     少し楽だったが、長女は少し離れており、2女の近くにいるのは避けていた。
     このような気持ちを抱くのも仕方のないことだと思ったので、あえて近くにいるようには言
     わなかった。ただ、降りる駅だけを前もって話しておき、自分一人でしっかり行動が
     とれるように言った。宝塚で、東西線に乗り換えた。尼崎で乗り換えると座れないか
     もしれないからだ。2女はもう少し乗りたかったらしく、降りるときに嫌がった。前
     もって話していたが、切り替えるということは難しいときがある。宝塚で、東西線に
     乗った。わりとすいていたのでよかったが、尼崎からずっとトンネルが続くので、だ
     んだん不安になってきたようだった。京橋手前で、外の景色がみえるようになると
     ほっとしていた。
       JR京橋から京阪電車に乗ろうと思った。連絡通路を通っていくと、マクドの看板
     がみえた。ほしそうにしたので、マクドに入って食事をすることにした。長女にとっ
     ても、マクドに行くのは久しぶりだったようで喜んでいた。そのあと、京阪の京橋駅に行った。
     窓口がわからず、自動券売機を見ると、車椅子のマークがあったので、それを使って買うこと
     にした。しかし、いくら操作しても子ども運賃の半額の値段は出てこなかった。
     私は障害者の運賃、2女は障害者の運賃の切符(子どもの場合、規定の子ども運賃と同じ)
     を買った。妻と長女はふつうの切符を買った。券売機で買ったから、自動改札が通れると思ったが、 
     自動改札機のなかでさえぎられてしまった。
      2女どころか、私自身もパニック状態だった。係員のいる改札口へ行き、療育手帳と切
     符を見せた。障害者割引というはんこを押してもらった。2女が子ども運賃の半額に
     なることを言うだけの気持ちは、私自身が混乱していたこともあり、言えなかった。
     同じ券売機で買っているのに、なぜ自動改札が通れないのか不思議に思った。
      沈んだ気持ちでホームにあがった。特急に乗るためには、普通・急行と2本電車を
     やり過ごさなくてはならない。電車が来ているのに、乗らないでやり過ごすという経
     験はしたことがないので、特急まで辛抱させるのに苦労した。ようやく、特急が来て
     乗ることができた。京都の七条まではノンストップなので、2女は楽しんでくれた。
     三条で降りることになっていたが、もう少し乗りたかったようで、降りるときにだい
     ぶん手をひっぱっらねばならなかった。
      京阪三条から歩いて新京極まで行った。修学旅行でみやげ物を買うところだけに、
     長女はいろんなところに行きたがった。4人で行動するには、長女のニーズと2女の
     ニーズが合わないこともあり、私と2女・妻の長女のペアに分かれ、時間と待ち合わ
     せの場所を決めて別行動をとった。さすがこれだけたくさんのみやげ物屋があると、
     2女は混乱したのか、行ったり来たりして、何を買うか決めかねていた。結局、待ち
     合わせの時間までに決めることができず、何も買えないままになってしまった。
     新京極から京阪四条まで歩き、再び京阪に乗って帰った。ここでも、子ども運賃の半額の
     切符は買えなかったが、その日は言うだけの勇気がなかった。なにか損をしたような
     感じだった。
    
      電車の旅 JR・近鉄編
    
      2女と再び、電車の旅に出かけたのは、平成9年8月15日だった。お盆ということ
     もあり、妻の実家(兵庫県市島町)に2日前から帰っていたが、2女はそろそろ帰り
     たがり、妻や長女はもうしばらくいたいとの意見が食い違い、一日をどうして過ごす
     かいろいろ考えた。日本海の方にでるには人が多いだけで面白くないので、逆に大阪
     に出ることを考えた。それで、JR柏原まで車で行き、そこから電車に乗ろうと思った。
     駅に着くと、特急北近畿に乗れそうだったので、療育手帳を出して乗車券(往復)と特急券を
     買った。窓口の人は、頼りなく感じたので、2女が小学生であり、子ども運賃の半額になることを
     説明した。人も少なくスムーズに買えた。電車に乗る前に、トイレに行った。トイレに誘うときに、
     「長い時間電車に乗るから行っておこう。」と言った。本人としてはあまりしたくなくても、
     こちらが先にしているのを見ると、納得してようをたしているようだ。よく考えると私自身も、
     したいからおしっこをする場合よりも、しばらくはできないから、
     とりあえず済ませておこうとやっていることが多いように思う。
     ただ、身障者用のトイレがあるときはいいが、ないときは男性トイレに2女を連れて行かねばなら  
     ず、本人に申し訳ないと思うことがある。
     Jスルーはなかったが、改札を通りホームに出た。まもなく特急が来てそれに乗った。
     わりと席が空いていたので、一番はしの席に座った。宝塚近くまでは、車窓の景色を眺めたり、
     車内販売で買ったアイスクリームを食べたりして静かにしていたが、
     飽きてくると少し声を出したり、前の人のところを覗き込んだりしていた。
     こんなとき、2女が自閉症児であると説明しようかという気に一瞬おそわれる。
     『しつけができていないのは、この子が障害児であるからだ。』そんないいわけもしたいが、
     それは自己弁護にすぎない。『だったら初めから連れてくるな。』自分のなかで自問自答
     しながら大阪までの時間を過ごした。そして、こんな経験は、毎日関わっている妻な
     らもっといだいたものであろうと思った。
       大阪についても、どこへ行くとはっきり決めていなかったので、とりあえず難波に
     出ることにした。難波に出れば、近鉄や南海に乗れるからだ。地下鉄の梅田駅まで歩き、
     切符を買おうと思った。窓口は遠く、ふだんの梅田に比べると人は少ないとはいえ、
     それでも多かったので、結局障害者割引のない規定の切符を買うことにした。
     何か損したような感じだったが、時間がもったいないような気がした。
     改札はJスルーと同じようなものだったので、2女にとっては使いやすかった。
     階段を下りホームに出ると、電車がすぐに来た。地下鉄はトンネルの中を走っているような感じで、 
     2女にとってはつまらないが、難波までは席に座れなくてもすぐだったのでよかった。
       難波に着くと、南海の乗り場に行った。高野山まで特急があり、私自身それに乗っ
     たことがなかったので、乗りたいと思ったからだ。こうや号という特急はそんなに本
     数がなく、1時間近く待たないと乗れなかったので、南海に乗ることはやめた。時計
     を見ると、午前11時をまわっていたので、マクドを探すことにした。少し時間がか
     かったが、目的がはっきりしていたので、嫌がることはなかった。マクドでいつもの
     チキンナゲットとフライドポテトを食べ、オレンジジュースを飲む(今では、マクド
     の味に飽きたのか看板を見てもそれほどこだわらなくなった。)と、今度は近鉄の乗
     り場へ行った。奈良までなら30分ぐらいで行けるし、奈良公園で鹿と遊べると思っ
     たので、奈良に行くことにした。それに、紗央理が2歳ぐらいの時に、家族で奈良へ
     行ったことがあるので、ひょっとしたら覚えているかもしれないと思った。窓口で療
     育手帳を出し、切符(往復)を買った。慣れているような感じの方で、この切符で自
     動改札が通れると言って下さった。
      Jスルーと同じ感じで改札を通り、ホームに出た。特急電車がたくさんあり、乗り
     たそうにしたが、快速急行に乗った。それほど停車駅はなかったが、対面で座るの
     は、2女にとってはどうも苦手なようで、車窓の方を向いたり、向こう側の人の方を
     見たりと、落ちつかない感じだった。奈良に着くと、奈良公園へ行った。かき氷の旗
     があったので、ピョンピョンとび跳ねていたので、かき氷を一つ買った。それを木陰
     で食べたあと、興福寺の五重塔を背景に写真を撮った。そして、鹿煎餅を買い鹿に煎
     餅をやるところも、写真に撮った。本人にとっては、鹿に煎餅をやることより、自分
     が食べたそうであったが・・・。
       再び、近鉄奈良に戻り、今度は急行に乗って難波まで帰った。それから地下鉄に乗
     り、梅田に着いた。地下鉄の切符は、行きと同じように、規定のものを買った。自動
     販売機と窓口がわかれていることもあり、僅かのお金をけちるような感じがして、ど
     うも使いにくい。
       地下鉄の梅田からJR大阪まで歩き、福知山線の乗り場に行った。篠山口までなら
     30分に1本あるが、福知山だと1時間に1本しかない。1時間近く待つのはしんど
     かったし、特急もいい時間のが無かったので、篠山口までの電車に乗ることにした。
     三田までは快速だし、特急と比べてもそんなに時間は変わらなかった。始発というこ
     ともあり、一番はしの刺激の少ないところに座れた。疲れていたこともあり、篠山口
     まではスムーズに帰れた。篠山口に着くと、30分近く待たねばならなかった。
     時間があったので、駅のトイレに行った。身障者用のトイレがあったので、そこを使っ
     た。こちらが少し目を離している隙に、呼び出しボタンを押してしまった。暫くして
     駅員さんがこられたので、間違って押してしまったことを詫びた。こんなことは割と
     あったので、慣れているが、呼び出しボタンを押してもこられないこともある。
     責任上こちらも暫く待っているが、長い間待ってもこられないときは、わかっているとき
     は復旧の操作をして、その場から離れることもある。それから、お菓子を買ったり、
     ジュースを買ったりして、時間を過ごした。とにかく、何にもなしで、ただ待つだけ
     ということは、紗央里とつきあっていて、一番難しいと思う。だから、キャンプや講
     演会などで、保育して下さるボランティアの人には、本当に頭が下がる思いがする。
      ようやく電車が来て、柏原に着いた。時計を見ると、午後6時近くになっていた。
     柏原から、妻の実家まで30分近くかかった。妻と長女に今日一日のことを話すと、
     一緒に行かなくてよかったとの冷たい返事がだった。篠山口で30分待ったことをの
     ぞけば、前回の京都旅行に比べると、私としては、充実したような感じだった。新三
     田を基点にすれば、乗り換えのロスなどが少なくなると思った。
    
        電車の旅 JR・阪急編
      
     新三田に車をおいて、JRを利用すれば便利であるとわかったので、この年の秋以
     降、宝塚までJRで行き、そこから阪急を利用することが増えた。これまで何回も宝
     塚のファミリーランドへ行ったことがあったが、入園料について障害者割引が全くな
     かったので、電車に対しても配慮がないだろうと思っていた。しかし、近鉄での印象
     が良かったので、宝塚駅の改札口で駅員さんに障害者割引のことについて聞いた。窓
     口で療育手帳を見せなくても、自動券売機で買えることがわかった。子どもの半額と
     いうものも買えた。しかも、自動改札も使えるということだった。自動改札の時に、
     駅員さんの方に療育手帳を見せればいいわけで、待つ時間も少なくとてもスムーズで
     あった。これなら、もっと早くから利用すべきであったと思った。
     ただ、JRが10円以下の場合切り下げなのに対して、阪急は切り上げであった。
     たとえば、大人運賃260円の場合、子ども運賃130円、子どもの割引運賃70円
     という具合になる。少しのことだが、各社によって対応が違うのはおかしいと思った。
       阪急には、宝塚から清荒神とか、箕面までといった近距離しか乗らなかったが、
     気がね無く切符が買えるので割とよく利用した。清荒神までは駅から歩いて30分近く
     かかるが、お参りをしてからでないと、何も買わないと2女と約束をして、参道を3
     回ほど歩いた。最初の時は、参道の露店に気を取られ混乱したこともあったが、
     お参りをすれば好きなものが買ってもらえるとわかってからは、行く道中に帰りに買うも
     のを考えるようになってきた。そして、がまんをするということがどういうことなのかが、
     イメージできるようになってきた。この経験は、箕面でもじゅうぶんいかされた。
     箕面駅から滝までは1時間近くかかるが、滝へ着かないと買えないとの約束で遊歩道を歩いても、
     それほど混乱することなくがまんして歩くことができた。
    
        電車の旅 JR・南海編
      
      平成10年5月3日初めて、南海電車に乗った。天気があまり良くなかったので、
     去年の夏乗れなかった南海電車に乗るつもりで、新三田から新今宮までの切符を買った。
     新今宮駅で高野号に乗って高野山まで行こうと思ったが、特急に乗るのはだいぶ
     ん待たねばならなかったので、急行で行くことにした。自動券売機を見たが、障害者
     割引のボタンが無かったので、窓口で療育手帳を出し、「高野山まで大人一枚・小学
     生一枚、往復で」とつげた。係りの人は、何かの用紙に療育手帳の番号を写し、切符
     を発行してくれた。用紙に書いたぶん時間がかかった。近鉄と同じように自動改札が
     通れるだろうと思って通ると、前がふさがった。しかたないので、係員のいる改札口
     を通った。もちろんここでも療育手帳を出した。一回見せればじゅうぶんなはずなのに、
     三回も見せたような気分になった。  急行も特急も所要時間はそれほど変わらないが、
     対面で座る急行に長くいると、2女はどうしてもイライラしてくるようだ。何とかなだめながら、
     極楽橋まで着いた。そこから、ケーブルカーに乗り換えた。ケーブルカーにはあまり乗ったことが
     なかったので、不安もあったが景色がパノラマ風に展開するのに喜んでいた。高野山に着くと、
     りんかんバスには乗らず、歩いて金剛峰寺まで行った。途中道の端で蛇が死んでいるのを
     娘が見つけた。
     普通はバスで通る道を、歩いたことにより、蛇と出会ったわけで、その不思議さを改めて思った。
     草むらに葬ってやると、何も言わないのに、娘が手を合わせたのには驚かされた。このこと
     だけでも、高野山にきた値打ちはあるように思った。一時間近く歩くと、公園があったので、
     新今宮駅構内で買った弁当とお菓子を食べた。そのあとお参りをして、帰り
     は特急に乗って帰った。
    
        
       電車の旅を通して思うこと
      
      関西の大手私鉄会社のうち、娘と一緒に阪神に乗ったことはなかったが、他の私鉄
     に乗ってみて、会社によって対応が違うことにびっくりした。一番進んでいるのは阪急で、
     健常者と言われる人と同じように切符が買えるのは、ノーマライゼーションと
     いうことからも有り難いことであると思った。京阪やJRの一部では、障害者切符の
     ボタンのある券売機もあるが、子どもの半分というのがプログラムされていない。
     一度、JR大阪駅の窓口で療育手帳を出して、切符を買おうとしたら、面倒くさそうに
     して、「券売機で買えるのに」と言った係員があったが、子どもの半分の運賃は設定
     されていないことを知っていてほしいと思った。また、一度療育手帳を出して買って
     いるのに、何度も何度もそれを提示させるような仕組みはやめてほしいと思った。
     私自身は、療育手帳を出すことに対して慣れてはきたが、療育手帳を見ず知らずの人に
     提示するということは結構勇気がいるのである。特に南海の場合、番号を控えている
     にも関わらず、自動改札が通れないのはおかしいと思う。自動改札機のプログラムの
     設定をしっかりやってほしいと思う。
       私が電車の旅を始めたのは、公共の交通機関を利用することにより、子どもに社会
     性をつけさせるためであった。車に乗って、ドライブをするほうが、子どもにとって
     も私にとっても楽であるが、それでは社会性は身に付いていかない。電車に乗ることが、
     学習なのであると思っている。ただ、普通思われる机に向かってのものでなく、
     体験を通して学ぶものである。特に、自閉症児は小さいうちから、こういった経験を
     積んでおかないと、大きくなって取り組んでも、電車に乗ることは難しいと思う。
    
        あとがき
      
      京阪神の私鉄について、障害者を介助して電車に乗ったときの経験をまとめたが、
     他の地域でも、その実態がどのようになっているか、連携が取れたらと思います。
     法律に基づいてのことが、地域によってばらつきがあるということはおかしいと思うの
     です。
     どこにいても、同じサービスが保障されることが大切だと思います。
     各地の実態など、お知らせください。
    
    お便りをおまちしています!
    saoriyuk@d1.dion.ne.jp



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