一日一感動

                                   地 軸 2004.06.27(日)
 「形見とて何かのこさむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉」。脱俗の世界に遊んだ禅僧、良寛さんが残した有名な辞世の歌である▲ この世に形見として置いていくものなど何もない。うつろう四季と、その輝き。私もしばし堪能させてもらいました―たどりついた、終(つい)の境地をさらりと歌い上げている。「悟り」とは素直さに立ち返ることか、と思ってみる。でも、これがなかなか難しい▲ 現代社会は複雑で、目まぐるしい。人を迷子にさせてしまうところがある。良寛さんもびっくりものだろう。そんなことを思っていると、知人から示唆に富む手紙をいただいた。「早くも、ニイニイゼミの初鳴きを確認、感動しました」とある▲ 定年後ライフを送っている知人いわく。庭に出てみると「ジー」という鳴き声。「セミ? 虫?」。早速専門家に問い合わせた。すると、ニイニイゼミに間違いなしということだった。おかげで終日、心満たされる思いだったという▲ 大いなる示唆というのは、知人が実践している「一日一感動」。「いつも素直に感動しよう、と思っています。きょうはメダカの元気がいい。道ですれ違った若いお父さんと坊やの表情がよかったな…。何でもいいんです。とてもいい気分になります」。手紙はそう結ばれていた▲ 確かに、感動することは心の深呼吸、自分を取り戻すひとときである。ささやかでも心がけたい。「水が一滴ずつしたたり落ちるなら、やがて大きな水瓶も満たされる」。古い仏典の言葉である。
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