明日の神話

とてつもない個性 37年の歳月超えた熱量

画家岡本太郎の壁画「明日の神話」が、東京・汐留で8月31日まで公開されている。原爆がさく裂した瞬間を描いた縦5.5b、横30bの大作は、1968−69年にメキシコ市で制作。しかし注文主の倒産で日の目を見ずに行方不明となり、三年前に発見された。公開を機に、岡本から多くの影響を受けた美術家の小沢剛さんに寄稿してもらった。

「明日の神話」公問
小沢 剛  おざわ・つよし 1965年東京生まれ。東京芸大大学院修了。街角に置いた牛乳箱の中に作品を展示する世界最小の画廓など、美術や社会をユーモラスに批判した表現で知られ、日本の中堅世代を代表する美術家の一人。99年、岡本太郎記念現代芸術大賞の準大賞。一昨年、東京・森美術館で大型個展を開いた。10月に青森県立美術館や香川県・直島の企画展に出品する。

 七夕の晩、僕は汐留に向かっていた。一度も展示されることなく、長い間、失われていた幻の岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」が披露されるというのだ。到着したときはまだ幕が掛かっていて、作品の横で順次さまざまなバンドが演奏をし、会場を盛り上げていた。
 高校生のころ、何冊か読んだ岡本太郎の本の表紙に、この絵が印刷されていた。邪悪なものに焼き焦がされているのに、爆発的なエネルギーで笑い返しているかのようなどくろに見えた。言葉にはならない熱量を絵から感じた。読み終えた後に、思わず鉛筆でスケッチブックに描き写した。今、描かねばいられない、という気持ちで描いたと記憶している。
 2003年の夏、僕はイタリアのベニスビエンナーレの会場で展示作業中に旧知のメキシコ人アーティストと再会した。近況を語り合った後、彼は「最近、日本人からの依頼で岡本太郎の壁画を探しているんだ」。僕は何を探しているのかすぐにわかったが、あの混沌(こんとん)としたメキシコの町で何十年も所在知れずの巨大な壁画が、再び出てくるとは思えなかった。
 ところが、2、3カ月後に発見されたという報道が流れた。死しても驚きを与え続けるアーティストである。その後、養女の故岡本敏子さんはじめ、多くの人の尽力で、日本に運ばれ、修復を経て公開に至った。
 話を会場に戻そう。最終演奏者の山下洋輔が登場し、ピアノを激しくたたき始める。いよいよ除幕かと期待は最高に高まってきた。曲が終わった瞬間「ここで2分間CMがはいります」と、イベントを生中継するテレビ局の冷たいアナウンスが入る。しらけた!ここまで盛り上げてそれはないぜ!思わず「アートとコマーシャリズムは共存できないぜ!」とやじってしまった。
 だのに会場を埋めた、目立ちたがりの若者たちは極めておとなしくしていた。僕は不愉快になって帰ろうとしたが、人が多くて身動きがとれない。そうこうしているうちに巨大な幕は落ちた。
 それはまさに岡本太郎がよく使う「なんだこれは!」という言葉そのものであった。少なくとも1分間はそこにいた誰もがシーンと見入っていたと思う。繰り返し図版を見て、知った気になっていた絵の前で、ただ懐かしい気分に浸ろうなどと甘ったるい気分でいた卑小な自分が露呈されてしまった。圧倒的なエネルギーととてつもない個性を解き放っているその絵は、古色にまみれているどころか、今まさに生まれ出たばかりといった勢
いで迫ってきた。
 この絵の収蔵先は決まっていないらしい、例えば平壌に送りつけるのはどうだろう。この絵の本当のパワーが現れて、世界は変わるかもしれない。完成から37年も経て今、私たちの前に現れたのは、世界が再び怪しくなりつつある状況だからなのだろうか?帰りの電車の中でそんなことを考えていた僕は、鉛筆で模写をした高校生のころのようなピュアな自分に戻っていた。


         明日の神話全図

         「明日の神話」公開風景

 話の種に戻る