ぼたもち・おはぎ

ぼたもち・おはぎ:同じ菓子 異なる名前 なざだろう

 お彼岸の定番の和菓子といえば「おはぎ」。もち米やうるち米に小豆あんや黄な粉などをまぶしたものだが、同じものを「ぼたもち」とも呼んでいる。春のお彼岸は牡丹(ぼたん)の花に見立てて「ぼたもち」、秋は萩(はぎ)の花になぞらえて「おはぎ」というのが通説になっているようだ。同じ菓子なのに異なる名称がつけられているのはなぜなのだろうか。【澤晴夫】

 ◇春に豊穣祈願、秋は収穫感謝

 「ぼたもち」「おはぎ」は、もともとは春の豊穣(ほうじょう)祈願、秋の収穫を感謝して神にささげる食べ物だったようで、民間で行われていた風習だったこともあり、地域などによって、さまざまな呼び名があったようだ。

 ◇季節の花「牡丹」と「萩」一般的

 最もポピュラーな説が季節の花から「牡丹餅」と「お萩」だが、このほかには、どんな由来があるのだろうか。

 <小豆あん・黄な粉の区別>小豆あんをつけたものが「ぼたもち」、黄な粉をまぶしたものが「おはぎ」。

 <あんの状態で区別>こしあんをつけたものが「ぼたもち」、つぶあんが「おはぎ」。

 <米の状態で区別>あんをまぶす米の状態で区別し、もちにまでついたものが「ぼたもち」、ついた米のつぶが残ったものが「おはぎ」。

 <大きさで区別>形の大きさからという説は丸くて大きいものが「ぼたもち」、小ぶりで長めに作られたものが「おはぎ」。

 <くず米説>精米する時にワラくず交じりのコメを「ボタ」と呼んだことから、くず米を使ったものが「ぼたもち」。

 <仏典説>仏典に用いられたパーリ語の「ブタ」(「飯」の意)が「ぼた」になり、「ぼたもち」になった。

 ◇おはぎ「女官言葉が江戸時代に定着」

 諸説ある中で、和菓子の歴史に詳しい「虎屋文庫」(東京都港区)の研究主幹、青木直己さんは「もともとはぼたもちだったのを、宮廷の女官たちが『おはぎ』と言うようになり、女房言葉の『おはぎ』を庶民も使うようになったのでは」と話し、女房言葉では、ぼたもちを「やわやわ」と言うこともあるという。「おはぎと言うようになったのは江戸時代からでしょう」と青木さん。「棚からぼたもち」ということわざもあるように、ぼたもちは庶民が使った名称のようだ。

 食文化史研究家の永山久夫さんも「ぼてっとした形から『ぼたもち』になったのだと思う」と話す。

 江戸時代中期以降、庶民も砂糖が使えるようになり、甘いぼたもちが登場。庶民が家庭で作る以外に、商品としても作られ、ぼたもちよりも上品な言葉として「おはぎ」の名が広まったのだろうとみる。

 永山さんは「季節の花にちなんで『牡丹餅』など、さまざまな説があるが、こじつけの説も多いようだ。ただ、昔は年中食べられるものではなかったから、魅力的で、あこがれの食べ物だったのでしょう」とも話す。

 ◇厳しい夏冬を前に、神仏の力…取り込み図る?

 では、なぜお彼岸に「おはぎ」や「ぼたもち」を食べるようになったのだろうか。

 永山さんは「お彼岸は季節の変わり目。厳しい夏や冬を迎えようとする時期で、小豆が健康にいいということを経験的に知っていたのでしょう」と話す。

 小豆の赤はおめでたい色で、邪気をはらう色としても信じられていた。先祖供養の他、神仏に供え、御下(おさ)がりを食して、「神仏の力を体の中に取り込みたい」と願う意味もあったのだろうと永山さんはみている。

毎日新聞 2006年9月20日 東京朝刊

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