巌頭之感

 明治36年5月、第一高等学校(現東京大学)の生徒、藤村操は「巌頭之感」という辞世の詩を滝の上部の大木の幹に書いて、日光華厳の滝に身を投げた。まだ、18歳の若さであった。18歳と言えば現代の高校3年生であろうか。しかし、この詩の意味するところ私には「不可解」。言葉や内容を考えると昔の人の方が偉かったような気がしてならない。


 悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲学、竟に何等のオーソリティを価するものぞ。万有真相は唯だ一言にして悉す。曰く「不可解」我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。
 始めて知る、大いなる悲観は、大いなる楽観に一致するを。


 ゆうゆうたるかなてんじょう、りょうりょうたるかなここん、ごしゃくのしょうくをもってこのだいをはからむとす。ホレーショのてつがく、ついになんらのオーソリティーをあたいするものぞ。ばんゆうしんそうはただひとことにしてつくす。いわく「ふかかい」われこのうらみをいだいてはんもんついにしをけっするにいたる。すでにがんとうにたつにおよんできょうちゅうなんらのふあんあるなし。
 はじめてしる、おおいなるひかんは、おおいなるらっかんにいっちするを。
  日光華厳の滝
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