原爆の火

■《天声人語》 08月06日

 火と木の物語である。広島の被爆を伝承する火と木だ。まず火の物語から始めよう。
 福岡県の星野村に原爆の火が燃え続けている。この村出身の山本達雄さんが、被爆後の広島から持ち帰った火だ。原爆投下の翌月、爆心地近くの全壊した叔父の書店の地下で残り火がくすぶっているのを見つけた。山本さんはその火をカイロに移して星野村に持ち帰った。
 火は仏壇のほか火鉢やいろりにも移し、家族で守り続けたという。そのことが世に知られるようになった68年、星野村に管理を移し、火は村の平和の塔に移された。その後、あちこちに分火もされて、各地でともし続けられている。「原爆の火」から「平和の火」へ、そして「ヒロシマの火」として世界にも知られる。
 次は被爆樹から音楽が生まれた話だ。爆心地から北約1キロの陸軍病院の庭にあったエノキが、黒こげになりながらも被爆を生き延びた。84年の台風で倒れたが、広島の高校生たちが保管してきた。そのエノキから笛をつくろうという話が持ち上がり、コカリナ奏者の黒坂黒太郎さんらが昨年、木笛の一種コカリナに仕立てた。
 広島で3日に催された国際平和シンポジウム「核廃絶の流れを確かなものに」の冒頭で黒坂さんがその演奏をした。エノキは笛にはなりにくいというが、被爆をくぐり抜けた笛は、素朴で澄んだ響きを聴かせてくれた。
 シンポジウムでは、ヒロシマの火の新しい計画も明らかにされた。北米先住民の平和活動家が来年1月からヒロシマの火を携え、核廃絶を訴えて全米を旅するという。



 2005年宇和島市中央町の南予文化会館前にこの原爆の火の平和の塔が建った。宇和島中央ライオンズクラブの活動の一環として設立されたものである。あとであ話を聞くと、この火をなにで燃やすかが問題になったとか。最終的にはガスによる火となった。この火は、被爆地広島の焼け跡で燃え続けていた小さな炎を福岡県八女郡星野村の人々により、灯し続けられていたものを分化したものである。

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