昔の先生

平成10年12月27日(日)愛媛新聞「地軸」より

 口元を真一文字に結び、天井を見つめていた先生の目が潤んだかと思うと、みるみる涙が頬を伝った。何も言わず教室を出て行ってしまい、残された生徒たちは静まり返った▲昭和30年代後半、南予のある中学での出来事だ。担任で、国語と音楽の中年女性教師を、生徒たちはくみしやすしと踏んでいた。授業中、床を這って離れた席にちょっかいを出す、昨夜のテレビの話にふける、注意されると大声でまぜ返す好き放題▲何カ月か過ぎ、その日も例のごとし。だがまさか泣き出すとは。どうすればいいのか分からなかった。次の授業、先生は何事もなかったように始めたが、生徒の方は違った。悪たれどもが急に模範生のようになり、それはずっと続いた。陰でちゃん付けで呼ぶのはやめなかったが▲その先生が泣くのをもう一度見た。卒業式だった。ハンカチを握りしめ、何度も目頭をぬぐった。数年前の同窓会。先生はかつての悪童連中に囲まれ、喜んでいたという。「先生も年取ったが元気じゃ」。とりわけ手を焼かせていたはずの友人が伝えてきた▲文部省調査によると、精神的疾患で休職する先生が急増している。学級崩壊で追い詰められる事例が多いという。その昔にも校内暴力や体罰などは結構あったが、荒れは牧歌的ではあった。子どもも先生も、どこかでブレーキを利かせていた。今は荒れの「質」が違うのだろう▲子どもが変わった。
心が見えないという。巷には心理学やコミュニケーンョンの解説書、ハウツー本があふれている。だが、肝心の子どもの目に、何でもありの世紀末社会や大人がどう映っているか。書物だけでは分からない。

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