宇和島さんさ



宇和島笹
 宇和島市の座敷唄(―うた)「宇和島さんさ」は、全国的に名の通った愛媛の民謡。宇和島藩の五代藩主伊達村候が1749(寛延2)年に参勤交代で江戸へ出府した際、仙台伊達家との間で家格について本家・分家の争いが起こった。この最中、仙台側の地元民謡「さんさ時雨」に対抗し、宇和島藩家臣が即興で「宇和島さんさ」を披露したのが由来と伝わる。地元では知る人ぞ知る存在だったが、1982年の民謡全国大会で歌った松山市の主婦が優勝したことから、一気に知名度が上がった。


竹に雀の 仙台様も ションガイナ
今じゃ此方と エエエ 諸共によ

しかと誓いし 宇和島武士は ションガイナ
死ぬも生きるも エエエ 諸共によ

君は小鼓 身どもがうたい ションガイナ
締めつつ ゆるめつ エエエ 諸共によ

笠を忘れた 旅路の時雨 ションガイナ
雨に濡れたは エエエ 諸共によ
 
                 (4番まで)



  さんさ時雨(さんさじぐれ)は、旧仙台藩領に古くから伝わる民謡で、婚礼などの祝宴に必ずといっていいほど唄われる格調高い唄。伊達政宗の出陣の唄とも、戦勝の唄ともいわれる。伊達勢が芦名氏に勝利し、南奥州の覇者となった頃の即興歌が元になっているという説が有力。「ショウガイナ」を「勝凱」「勝凱奈」と当て字したり、さらに「メデタイ、メデタイ」と付け加えたりするのは、その起源となっている「凱旋」からきているものと思われる。

さんさ時雨か萱野の雨か
音もせで来て濡れかかる ショウガイナ

さんさふれ〜五尺の袖を
今宵ふらぬで何時のよに

武蔵あぶみに紫手綱
かけて乗りたや春駒に

門に門松 祝に小松
かかる白雲 みな黄金

この家お庭の三蓋小松
鶴が黄金の巣をかけた

この家座敷は芽出度い座敷
鶴と亀とが舞い遊ぶ

芽出度嬉しや思うこと叶うた
末は鶴亀 五葉の松

扇芽出度や末広がりで
重ね〜の お喜び

雉子のめんどり 小松の下で
夫を呼ぶ声 千代々々と




仙台笹
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