先生の卒業式

 

伊藤 百合子 第23回PHP賞受賞作・愛媛県西条市・主婦・55歳

 明日はいよいよ、3年間学年主任として担当した生徒達の卒業式である。3年生の予行練習の後で、どうしても私は、最後のメッセージを伝えたかった。
 3年前に出会ったこの生徒たちは、今時の中学生にしては希有の、純な心の持ち主だった。「自分たちの力でこの学校をよくしよう」と、日々の生活の規律を正し、節目節目の行事に真剣に取り組む彼らを、私たち教師は誇りに思っていた。
 一方、私は、50歳を過ぎてから、中学生という爆発的エネルギーの年代と一緒に、全力で仕事をこなすのは、肉体的にかなりきつく感じ始めていた。このまま教師を続けたら、生徒とは全力でとことんつきあうという信念を保てなくなる。何より、生徒や周囲に迷惑をかける。どこかできれいに区切りをつけたい、と思っていた。
 3年前、この生徒たちに出会った時、心は決まったのである。共に毎日を一生懸命過ごし、彼らが卒業する時、私も33年間の教師生活を卒業しよう、と。心が決まってからは、最後の教え子となる一人ひとりが一層愛おしく、全力で仕事にあたった。もちろん仲間の先生たちと共に。生徒たちには「一緒に卒業するからね」と言ってきた。
 卒業式の当日は、学級担任でない私には、彼ら全員に語りかけられる場はない。今日が最後となる。何日も前から、この3年間のことを思い出し、すでにもう胸はいっぱいであった。立派に成長してくれたことへの感謝と、これからの生活への激励をやっと言い終えて集会を終わろうとした時、学年生徒会役員のU君が言った。
 「今から、先生の卒業式をします。僕が先導するので、ついてきてください」
 「えっ?」と思い、戸惑いながら、U君の後につき、再び全員の前に立った。
 今日の司会役、進行役が、さっと所定の位置につき、全員が静かに待っている。学年担当の先生方もニコニコ笑っている。「あっ、みんな知っているんだ。私の知らない間に、準備してたんだ」と驚いたが、その程度のものではなかった。
 「最初に、先生に卒業証書を授与します。先生、前に出てください」
 見ると、証書を入れる筒まで用意されている。前生徒会長が読み上げた。
 「あなたは、33年間の教員生活を、この西条市立東中学校で終えようとしています。・・・・・人生の先輩として、多くの生徒たちを導き、社会に送り出しました。そのたゆまぬ努力をたたえ、感謝の意を込めてここに卒業を証します。平成12年3月16日 卒業生一同」
 涙をこらえるのがやっとであった。明日はめでたい卒業式、涙なんかふさわしくない。笑って送り出すのが私の役目だと、決めていたのだから。
 しかし、これで終わりではなかった。
 「先生、イスにすわってください。次にF君が先生への手紙を読みます」
 私はもう堪えきれなかった。
 「・・・・・明日はついに卒業式です。先生にとって、最後の教え子となる僕たちは、明日、先生のもとを旅立ちます。しかし、先生はいつになろうと僕たちの先生です。これから先、先生が最後に送り出したのは僕たちだと、胸を張って言えるように、がんばっていきます。最後に、今まで長い間本当にお疲れさまでした。そして、本当にありがとうございました」
 読み始めると、あっちから、こっちから。女の子だけでなく、男の子たちからも、グスングスンという声がする。私はもう、顔を上げることもできす、ひたすら泣いた。一生で一番嬉しい涙であった。教師冥利だけでなく、人間冥利とでも言いたい涙であった。手紙には、5クラスの生徒全員の寄せ書きまで添えられていた。
 人格形成に大きな影響を持つ思春期にある生徒たちには、人として正しく生きることを学んでもらうことが必要だ、と私は思ってきた。そのために、女性であっても、学年主任の役をいただいたからには、自分に「父親」の役目を課した。嫌われてもいいと覚悟し、人間の生き方を、私なりに精一杯、厳しく語ってきたつもりであった。この生徒たちは、それをしっかり受け止めてくれたことを、はっきりと感じた。
 「次に先生に歌を送ります」去年在校生として、卒業生のために歌った『春なのに』と校歌を今、私のために歌ってくれている。

 翌日、立派に彼らは巣立っていった。昨日あれだけ泣いたのだから、今日はもう絶対に泣かない、と決めていたのに、晴れ姿にまた泣いてしまった。
 今も、思い出すと、涙がでる。うれしさで泣けるなんて、本当に幸せ者だ。人に精一杯生きる勇気と、元気と喜びを与えるのは何かを、教えられたのは私であった。
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