うらなり

 



「坊っちゃん」の裏描く                       小林 信彦

 ちょうど百年前に発表された夏目歌石の「坊っちゃん」。四国の中学に数学教師として赴任した青年が語り手となる、漱石の代表作の一つだが、この中にで「うらなり」と呼ばれる人物がいた。
 無論、語り手の坊っちゃんがつけたあだ名である。いわく、「うらなり君程大人しい人は居ない。滅多に笑った事もないが、余計な口を聞いた事もない」ような人物だ。
 作家の小林信彦さんが彼を主人公にした小説「うらなり」(文芸春秋)を出版した。「『坊っちゃん』を裏側から描いてみたかった」と話す。
 発想がわいたのは1970年代。坊っちゃんの行動はうらなりから見たら、不条理劇のように理解できないものなのではないか。そう気付き、たまたま対談した作家に話すと「すごい着想」と言われた。「でも文芸雑誌に発表できるような状況じゃなかった。当時の文芸業界は閉鎖的でしたから。それに今思うと、あのころの僕の実力では書けなかった気がします」
 昨年2月から準備に取りかかり、約20回「坊っちゃん」を読んだ。「うらなりのせりふは予想以上に少なかった。本当に影が薄い人物です」
 「うらなり」は、「坊っちゃん」の時代から30年ほど過ぎた昭和9年の東京が舞台。古賀(うらなり)は銀座の喫茶店で堀田(山嵐)と再会、四国の中学で教師をしていたころを振り返る。
 「『うらなり』を書いてみて『坊っちゃん』の構造が非常に優れていることが分かった。坊っちゃんが語っているのは喜劇ですが、その裏で進行しているのは悲劇です」
 「うらなり」では古賀の後半生も語られる。四国から九州・延岡、兵庫・姫路へと移り、教師を続けた古賀。お見合いをして「生気がない」と断られたり、マドンナと再会することになったリ。教師を退職する前から随筆を書き始め、やがて静かな晩年を迎える−。
 「後半は想像力。昭和9年の銀座や東京駅のことは調べて、必要最小限の情報を入れました」
 「その後の日々」は滋味あふれる世界である。
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