われ事において後悔せず

 

(なぜ、斬ったか)
と、そぞろに悔い、
(あれまでにしないでも)
と、自分の苛烈な仕方が、自分でさえ憎まれてならない。
 われ事において、後悔せず
 旅日記の端に、彼はかって、自分でこう書いて心の誓いに立てていた。けれど源次郎少年のことだけは、いくらその時の信念をよび返して心に持ってみても、ほろ苦く、うら悲しく、心が痛んでたまらなかった。剣というものの絶対性がまた修行の道というものの荊棘には、かかることも踏み越えてゆかねばならないのかと思うと、余りにも自分の行く手は蕭条としている。非人道的である。
(いっそ、剣を折ろうか)
とさえ思った。

           吉川英治原作「宮本武蔵」より




 内田吐夢監督の「宮本武蔵」一乗寺の決闘の中では、一乗寺で幼い源次郎少年を斬り、逃げて山中のお寺に隠る。その時、少年に対する供養のため「仏像」を彫りながらこの言葉「われ事において、後悔せず」とつぶやく。
 このことは人間いかなることがあっても後悔はあると言うことに他ならない。いかに克服するかが突きつけられた課題である。
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